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ゴーグル4:ゴーグル君わけを話す

そのままお呼ばれされるような格好で、ゴーグル君とお姉さんの御宅にお邪魔した。にしめ腐ったような色の壁紙をしているのがゴーグル君の部屋で、純白の壁紙をしているのがお姉さんの部屋、らしい。流石にお姉さんの部屋には入ったことがない。必然三人が集まるときはゴーグル君の部屋になるのだが、彼の部屋は少し塩くさいのであまり好かない。ちなみに外観はどこにでもあるような家屋で、築年数は三年、と新築同然だ。いやらしいので聞いたことはないが、二人の家は裕福な様子がある。こちらに越してきたのが三年前だが、越す前も一軒家を持っていたそうだ。

帰ってきて、ゴーグル君の部屋で三人輪になって座った。ゴーグル君は湯浴みをしていたらしく、ノックもなしに入ったお姉さんに随分立腹したが、しばらくしたら落ち着いた。僕には食事と称する水浴びと、風呂に相当するだろう湯浴みの違いがわからなかった。どちらも洗面器を使っていて、せいぜい中の水の温度くらいの違いしかない。

「それで、買ってきてくれたの?」

「ええ。健二郎君にも選んでもらったし、ばっちりよ」

お姉さんがビニール袋に手を突っ込み、レンズを取り出した。プラスチックのパッケージを破いて、少し女の子としてどうなのかという程の獰猛さを垣間見た、中身を取り出す。

「うはあ、ナウすぎる。トレンド最先端じゃないか!」

ゴーグル君は座布団の上で、ゴム紐を器用に動かして小さく跳ねる。そんなんできるんだ。っていうか、死にかけのバッタを連想した。

「もう、そんなにニヤニヤして。だらしないわよ?」

わかるの?

「だって仕方ないじゃないか。これなら僕はゴーグル史に名を残すようなゴーグルになれるかもしれないよ」

「よかったわね」

お姉さんが菩薩のように優しい顔をしている。やっぱり良い人だな。いや、良いお姉さんというべきか。


雲行きが怪しくなったのは、お姉さんがゴム紐も買ってきたと告げたあたりからだった。袋からまた新しいパッケージを取り出して、意気揚々と見せるお姉さんに、ゴーグル君は何も言わなかった。表情なんてないが、それでも何となくゴーグル君が歓迎していない雰囲気は察せた。

「いらない」

そしてついにそんなことを言った。

「何言ってるの? こんなにナウいじゃない?」

「そんなのナウくないよ。昭和だよ、昭和。そんなの付けてたら皆に笑われるよ」

笑われないと思うが。

「な! アンタの今付けてるヤツこそ、皆に笑われるわよ。今に千切れるわよ」

「千切れないよ。笑われていないし」

「千切れるわよ。それに皆も陰で笑っているわよ」

笑ってないってば。

「そんなことないよ」

「あのねえ。アンタがいつまでもそんなの付けてたら、お父さんやお母さんも笑われるのよ?」

「どうしてさ」

「眼鏡の家は、子供にまともなゴム紐も付けてやってないんだって、笑われているに決まっているわ」

眼鏡の家って、なんか眼鏡で出来てる家屋みたいだな。

「そんなことないさ。父さんも母さんも何も言わないじゃないか」

「それは……」

ほうら、とゴーグル君は鬼の首を取ったような声をあげる。

「それはアンタにあんまり煩く言うのが可哀想だと思っているだけよ」

「違うね。問題ないと思っているから、言わないだけだよ」

「全くアンタってゴーグルは……」

ちょっと止めた方が良いのだろうか。僕が入っていくのも何だかなとは思うけど、多分止めれるのはこの場では僕だけなんだろう。二人のお母さんは、今は下でトドのようないびきをかいて昼寝している。

「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いて」

「……」

二人黙る。お姉さんは今僕が居ることに気付いたというような顔をしている。なにげにかなりヒートアップしていたらしい。

少し落ち着いたら今度は、どこか気恥ずかしげだ。まあ身内の喧嘩を他人に見せてしまえば大抵はこういう反応だろう。

「まずお互いに話し合ってみよう。冷静に」

異存はないようで、お姉さんが頷き、ゴーグル君も何も言わなかった。

「どうして、ゴーグル君はそんなに紐を付け替えるのが嫌なんだい?」

「それは……」

さっきまでの勢いは何処へやら、口ごもる。

「そうよ。どうして今のくたびれたヤツに拘るのよ?」

「うるさいな。どうでもいいだろう」

「ちょっと。二人とも」

望まぬまま、議事進行および調停役が任ぜられているようだ。

「ゴーグル君。お姉さんも、ゴーグル君が笑われたりしたら可哀想だから言ってるんだよ? わかるだろう?」

何も言わない。けれど、首があったならきっと縦に振っていてくれたと思う。

「だから、君の理由をお姉さんに話して納得してもらうのが筋ってものじゃない?」

厚意を跳ね除ける時には相応の誠意を。わたくしごとだが、死んだ祖父の教えだったりする。

「……」

ゴーグル君は今度は言うのを渋っているわけではないようだ。言葉を選んでいるのかもしれない。

「父さんに買ってもらったんだ」

「あ」

言葉足らずだが、お姉さんは思い当たることがあったらしい。

「あれから替えてもらってなかったの? お母さんにも?」

「……うん」

お姉さんが中空に視線をさまよわせる。

「ってことは、えーっと。引っ越してすぐじゃなかったかしら? 父さんが単身赴任に出かける前でしょう?」

「うん」

そう言えば、彼らの父親が現在単身赴任中だという話は聞いた気がする。

「父さんと約束したんだ」

「約束?」

「姉ちゃんや母さんが気付かなくて、僕が言い出せないとき、父さんがそっと気付いてくれたんだ。事前に何も言わないである日帰ってきたらポンと渡されてさ。紐がまた緩くなったら遠慮しないで俺に言うんだぞって。すぐまた買ってやるからな、って。少し照れくさそうに父さん、そう言ってくれたんだ」

「……そう。そんなことが」

「父さんはあんまり僕の装備について関与しなかったろう? 姉ちゃんや母さんに任せきりで」

「うん、そうね」

「父さんはひょっとすると、姉ちゃんや母さんに遠慮してたんじゃないかって思うんだ」

何となくわかる。女親や女兄弟というのは、可愛がるのが得意で、男衆は大抵出る幕がない。だけどそれは決して、子供や下の兄弟を想っていないわけじゃなくて、ただ単に女より器用じゃないだけなのだ。何かしてやりたいと思っていても、それらは既に与えられている。

不覚にも胸が温かくなった。不器用な男親と、不器用な息子の小さな交流。その証だったのか。

「だから僕は今度父さんが帰ってきた時に、父さんに替えてもらおうと思っていたんだ」

話しきるとすっきりしたのか、語調は穏やかになっていた。

「ふうん。じゃあ今からお父さんに聞いてみましょう?」

「え?」

「だって、帰ってくるって言っても次は来月だっけ? それまでに切れてしまったら困るでしょう?」

僕とゴーグル君が事態についていけないまま、置き去りにしてお姉さんが携帯を操作する。耳にあてて繋がるのを待つ。

「あ、もしもし。お父さん? うん。ごめんね。今大丈夫?」

ゴーグル君に口があったらパクパクと言葉にならない息を吐いていただろう。

「うん。えっとね、眼鏡のゴム紐がガッバガバでみすぼらしくて仕方ないから、替えたいんだけど」

それから数回相槌や質問をして、やがてお姉さんは携帯を切る。

「いいって。はよ替えてやれって」

えー。

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