ゴーグル26:ゴーグル君見つかる
僕たちはおばさんに留守を頼むと、家から飛び出した。すぐに三手に分かれる。行動範囲の狭い彼のことであるから、近所周辺を徹底的に洗うのが効果的ではないかということで、水中家の立つ地区を重点的に。
それ以外も網羅するためには、応援を呼ぶことにした。ゴーグル君がそこまで遠出が出来るとも思えないが、それでも念には念を入れておく必要がある。
フルボッキ内藤の番号を呼び出し、走りながらかける。二回ほどの呼び出し音の後、繋がる。
「なんだい、御崎君? 僕は今、乳首の周りに生えた毛をむしりとるのに忙しいんだけど」
「そんなしょうもないことをしている場合じゃないんだよ」
かいつまんで事情を説明する。聞き終わると、彼の方から協力を申し出てくれた。
「僕は町の南側を重点的に探すから。君は、万が一にも北側まで出ていないか、探してくれないか。そう、うん。美伊地区の方」
「わかった、美伊地区だね。合点承知の助だよ」
「いいかい? 今君がいじっているビーチクじゃないよ、北側の美伊地区だよ? わかっているかい?」
「モロのチンだよ。任せておけって」
イマイチ不安は拭えないけれど、まあ居ないよりはマシだろう。
それから僕はしらみつぶしに家の近所から徐々に範囲を広げていって捜索する。
目ぼしい成果は上がらない。
駅の方へ行って彼が好きだったゲームセンターや、いつかガッカリマンシールを買った駄菓子屋も回った。そこらへんの人をつかまえて、喋るゴーグルを見なかったかも尋ねてみたが、一様に頭がおかしい人を見る目をするだけで、有益な情報は得られなかった。
道路にガラス片が転がっているのを見るたびにドキリと心臓が跳ね上がったが、それらはほとんどがガラス瓶の破片だった。それらを確認すると、最悪の想像を振り払うように、無二無三探し回った……
途中で買ったアクメリアスのペットボトルをがぶ飲みする。甘酸っぱい白濁の液体で喉を潤すと、自然と苛立った感情のままに、くずかごへ乱暴に放り込んだ。
見つからない。あれから五時間。それこそ、血眼になって探し回ったが見つからない。お姉さんや玲奈からも音なし。
いやがうえにも、嫌な想像が頭の中をぐるぐる回りだす。
お姉さんの言ったように、車に踏まれていたら? どこかの物好きが、面白がって拉致していたら?
思わず天を仰ぐ。じりじりと肌を焼いていた太陽も、今はすっかり自身が炎に包まれたように、赤くなって、西へと下がり始めている。肌に張り付いたTシャツをパタパタと扇ぎ、整わない心音を無理に落ち着かせる。
「大丈夫、大丈夫だ」
ゴーグル君はドジじゃない。そう簡単にひかれたりはしないさ。そう簡単に変な人について行かないさ。彼は少しなら動けるんだから、道路の端に寄るくらいは出来る。彼は達者に喋るのだから、さらわれそうになったら大声を出せる。
だったら…… だったら、どこへ行ってしまったんだ。
そのときだった。僕の視界の端に、きらりと光るものが映った。
それは本当に、水が陽光にきらめくような、一瞬のもので、僕は気のせいかとも思った。だけど、どうにも違和感が拭えず、視界の端から端まで順繰りに見ていった。今居るのは、水中家からそう遠くない場所にある児童公園だ。ここも何度となく探し回った。まだ日の高いうちにも、遊具で遊ぶ子供たちを押しのけるような勢いで、公園の端から端、遊具の陰に至るまで探し回ったはずだが。
果たしてそれは、茂みの中にあった。側溝の近くに植えられたツバキの奥、そこに西日を反射させる何かがあった。
近づいていく。知らず駆け出していた。
「ゴーグル君!」
「その声…… 御崎君かい?」
ゴーグル君だった。どういったわけか、レンズの大部分に白い液体が飛び散っており、何とかその液体からまぬかれた部分が日の光を反射していたらしい。
とにかく、僕は全身から力が抜けるような感覚を味わった。無事だった。とにもかくにも無事だった。喜びを表現したいのに、その力すら残っていないようだ。今頃思い出したように走り回った疲れが押し寄せたように、その場にへたりこんでしまった。
「よかった。本当によかった」
知らずそれを繰り返していた。
「ごめんよ、心配かけたみたいだね」
「いいよ。それは、いいんだよ。お姉さんに言ってあげなよ」
そこまで言って、僕は玲奈とお姉さんのことを思い出した。二人に早速連絡を入れる。
お姉さんは泣きじゃくって喜び、近くに居たらしい玲奈もまた、喜びの声を上げていた。
一旦通話をきる。
「ゴーグル君、一体何があったんだい?」
やっと感情の波が引いていくと、続いて事実関係が気になった。
「実はね。鳥にさらわれたのさ」
「え?」
「家で水浴びをしていると、開けっ放しにしていた野鳥が入ってきてしまって、僕が声を上げる間もなく、紐を咥えて飛び立ってしまった」
「そんなことが……」
「それで、飛んでいる間に声を上げて吃驚させたら、落っことされて割れてしまうだろう? だから木に止まったところを見計らって、大声で脅かしてやったのさ。計画通りにいったはずだったんだけどね」
ゴーグル君が力なく笑う。聞いてみれば実になんてことのない経緯である。自分のせいかもと気を揉んだ、僕たちの心配はことごとく杞憂だったらしい。
「はあ、そんなことだったのか」
「それよりも、御崎君、落ち着いたのなら早く僕をここから連れ出してくれないか?」
「う、うん。そうだね」
「早くしないと、アイツが……」
言い終わる前に、ゴーグル君が息を呑む気配があった。
僕もまた背後に何かの気配を感じて、ぱっと振り返っていた。黒ずんだ体色の野良犬だ。
「げ、まずいよ。御崎君! 犬が帰ってきたんだろう? そいつのせいで僕は視界を封じられてここに押し込められていたんだ」
振り返った先の野良犬は、黄ばんだ歯をむき出しにして、低く唸っている。間違いなく僕を敵と認識しているようだった。
「そいつは、僕を自分の子供だと勘違いしているんだ。とんでもなくバカな犬なんだよ。おかげで、僕のレンズに乳房をこすりつけて、乳を分泌するんで困っていたんだ」
ゴーグル君が白く濁っていたのは、そのせいだったらしい。彼が視界を奪われていなければ、この近くを通っていた僕に助けを呼ぶ声が出せたはずだと考えると、確かにこのバカ犬のせいでこれほど事態がこじれてしまったと言える。
「御崎君、噛まれないようにした方がいいよ。というか、ここは一旦退いて、後で来て」
威嚇を続ける野良犬を見ていると、確かにそれが良さそうにも思う。留守にしている間を見計らって、こっそり連れ出すのが正解かもしれない。
だけど、僕の目は、辺りに武器になりそうなものが無いか探していた。
早く彼を家に連れて行ってやりたかった。お姉さんや玲奈を安心させてやりたかった。
「御崎君!」
手近にあった木から手ごろな枝を手折るのと、野良犬が飛び掛らんと足に力を込めるのは同時だった。




