ゴーグル25:ゴーグル君出自を知らされていた
「わたしのせいだ」
繰り返し紡がれるその言葉に、僕は不穏な色を感じ取った。
「どういうことなんですか?」
僕の方も余裕がなくて、難詰するような口調になってしまい、内心で激しく後悔する。
「何か心当たりがあるんですか?」
優しく聞きなおす。だが、何か手掛かりがあるのかもしれないと思うと、お姉さんの顔を食い入るように見つめてしまうのをやめられなかった。
「……昨日、眼鏡とアルバムを見ていたの」
「アルバム?」
「ええ」
そう言うと、お姉さんは階下へ下りていった。どうしたのか、と訝っていると、すぐに戻ってきた。その手には厚紙にビロードを張った、それらしい装丁の本。アルバムを取りに行っていたようだ。
許可を得て、玲奈と二人で覗き込む。
お姉さんが赤ちゃんだった頃から、順々にめくっていく。ゴーグル君の写真が見られるようになるのは、お姉さんが一歳くらいになってからだ。一緒に写っているものは、ほとんどお姉さんがゴーグル君のゴム紐部分を持って振り回している様子をおさめている。あまりに速く振り回しているのか、悉くぶれていて、本当にこれがゴーグル君なのか正確なところがわからないくらいだが、まさか水中家に彼以外のゴーグルの家族が居るとも思えず、恐らくは彼だろう。
しばらくめくっていくと、お姉さんもいくらか成長し、振り回している場面以外も写真におさまっている。両手で鳥の雛のように優しく持っているモノが印象的だった。
そうして最後のページまで行くと、ゴーグル君の入学式、これはウチの校門だから高校入学ということになる、の写真で終わっていた。
「眼鏡とアルバムを見たのなんて初めてだったわ」
「……」
「眼鏡がね。僕の赤ちゃんの頃の写真はないの? って聞いてきたの」
ゴーグル君が乳幼ゴーグルだった頃…… あるのだろうか。アルバムをめくりかえして、ゴーグル君が赤ちゃんのお姉さんと一緒に写っている写真を眺める。体長は今と何ら変わらない程度に思う。
「見てわかると思うんだけど、あの子は成長していないの」
とても沈痛な面持ちで言うので、まあそれはそうだろう、と簡単に受けあえなかった。
「眼鏡はね。わたしと血が繋がっていないの」
「ええ…… まあ、それは」
「わたしが本当に子供の頃、お父さんがモロッコの古物商から買い取ったものなの」
「……」
モロッコにゴーグルをつけて泳ぐという習慣があるのだろうか。浅学なためわからないが、それにしてもおかしい。ゴーグル君のどこかに、国内メーカーのロゴを見たような気がする。いや、でも。彼はパーツを取り替えても中枢部分は残ったままなのだ。後から付け替えた可能性もある。となるとかの国で産出されたものなのか。
「最初はね。よくわからない言語を、片言に話すだけだったらしいわ。でもそのうち日本語を喋るようになって、わたしの話相手になってくれたそうよ。一人っ子だったわたしが寂しくないように、って買ってきたものだったから、お父さんもお母さんも喜んでね…… そのうち情も湧くようになって、今では家族なの。たとえ血が繋がっていなくても、ゴーグルでも、家族なの」
その言葉に嘘がないことくらい、もう既にわかっている。二人は本当に仲の良い姉弟だ。
「それで、それをゴーグル君に話したんですか?}
カクンと、力なくお姉さんがうなずく。
「ゴーグル君はなんと言っていましたか?」
「……そうか、とだけ」
「……」
「それっきり何も喋らなくなって。わたし眼鏡が、知らなかったなんて知らなくて! あの子はずっと、お父さんとお母さんの本当の子だと思っていたんだわ! それを! それをわたしが……」
「落ち着いて下さい」
また泣き出してしまったお姉さんの背を、玲奈が優しく撫でる。
僕は、違うと思う。少なくともお姉さんのせいだとは思わない。ゴーグル君もそれが理由で家出したくなったわけではないはずだ。血が繋がっていないことくらい、彼なら悟っていたはずだ。彼は賢い。っていうか賢くなくても、流石に察していて然るべきじゃないだろうか。だったら、彼は感謝しているはずだ。口では何と言っていても、血の繋がらないゴーグルである自分を家族として迎え入れてくれた水中家に感謝しているはずだ。
「モロッコに帰ったんだわ!」
「落ち着いて。美咲。彼はパスポートも持っていないじゃない」
「でも! あの子ポーチにも入るのよ! 誰かの荷物にまぎれて出国するくらいわけないわ!」
「だから落ち着きなさい! 彼にはチャックを開けることなんて出来ない。忍び込めないよ」
「じゃあ、だったら! どこに行ってしまったの?」
お姉さんは相当に平常心を失っている。そこで、彼女ははっとした顔になる。
「まさか、空港へ行くまでに、何かあったとしたら?」
「美咲」
落ち着かせようと猫なで声で話す玲奈の慰めも甲斐なく、お姉さんの顔から見る見る生気が失われていく。
「十トントラックにひかれて、粉々に砕けているかもしれないわ! どっかの悪いスポーツ店に捕まって、店頭に陳列されているかもしれないわ!」
「美咲、落ち着いてってば」
懸命な玲奈の声も耳に届いていないようで、お姉さんは自分を責める言葉をひたすら重ねている。
よくないな、と思った。
僕や玲奈もまた平常心をなくしかけていたが、お姉さんの錯乱ぶりは、それを遥かに上回る。そういう人を見ていると、逆に僕や玲奈の方は、いくらか冷静さを取り戻してしまったらしい。そういう頭で考えても、このままじゃ埒も明かないし、良くない。こうしていても、思考が悪い方悪い方へと流れてしまうのは明らかだった。
だから、こういうときは……
「探しましょう」
「え?」
お姉さんが上げた顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。
「僕たちでも、ゴーグル君を探すんですよ!」
部屋でじっとしているから、いけない。ガムシャラに体を動かしてしまえば、また彼の為に何かをしていると思えれば、きっと少しは暗く沈んだ気持ちも晴れるはずだ。
「そうだよ! 探そう、美咲」
玲奈も同調してくれる。
「でも…… 警察がもう」
「あんな公僕なんてクソの役にも立ちませんよ! 僕たちで見つけるんです! 彼のことを一番わかっているのは、ここにいる僕らじゃないですか!」
家族だ。幼馴染だ。友達だ。
目に強い光が宿るのを見た。
「そうね、どうかしていたわ。まだわたしはやるべきことを何一つしていない。そのうちから諦めてちゃいけないわよね。弟が居なくなったんだもの。お姉ちゃんは探さなくちゃいけない」
自分に言い聞かすようにして紡がれた言葉と共に、お姉さんは立ち上がった。




