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ゴーグル23:ゴーグル君慣れている

玲奈がしずしずと近づいてくる。計画を早速実行に移すつもりらしい。是非もない。すぐさま、ゴーグル君を心持ち差し出す。水の中で持ったまま、一秒、二秒。その間も、こぽこぽと小さな気泡が浮いては消えしていた。やがて彼の息が心配になる前に引き上げる。

今である。玲奈が衝撃の事実に気付く時。ゴーグル君は確かに生きていて、その確かな証として、呼吸をしている。僕は目で彼女を鼓舞する。

玲奈の唇がおもむろに開く。そうだ。出来る。頑張れ。

「健二郎……」

僕は小さく頷く。

「健二郎、粗相は感心しない」

「は?」

一瞬何を言われたのかわからない。何度反芻してみても、彼女の言う言葉がわからない。いや、そもそも約束していた言葉とかけ離れた内容だ。時計の秒針が一周するほどの沈黙。やはり、何度考えても、玲奈が言いたいことがわからない。

僕は彼女の顔をじっと見る。どこかよそよそしい雰囲気に、付き合う前の彼女の様子が重なる。壁を作っていたという彼女。堅苦しい言葉遣いをして、弱味を見せない彼女。

「君が屁をこいて、のちそれを潜伏させたまま、その腹話ゴーグルの近くまで遠隔操作し、炸裂させているのだろう? 絶えず」

「……」

「違うのか?」

「そんな器用な屁は産まれてこのかた出来たことがないよ」

ようやく理解した。玲奈は、ここにきて臆病風に吹かれているらしい。やはり認めない、信じない、ということではないらしい。証拠に、僕と二人きりではないと意識しているから、例の壁を作った喋り方をするのだろう。ただ勇気が足りないのだ。認めるということは、意外と難しい。

だったら、それなら、僕はどう行動するべきだろう。

考えあぐねていると、当のゴーグル君が手の中で暴れるのがわかった。こそばゆいので、やめて欲しい。

「御崎君。一体どうしたことなんだい? 会長さんが僕を認めないことなんて、いつものことじゃないか?」

「えっと、それは……」

確かに彼からすれば、珍しいことでもない。むしろ、僕が今更になって玲奈に認めさせようと躍起になっている方がおかしい。

と、僕の頭の中で豆電球が光る。

「玲奈、今の聞いたかい? お姉さんも居ないのに、ゴーグル君は言葉を喋ったよ?」

これならどうだろう。いつの間にか退路を絶って、玲奈をやり込めようという形になってしまっているような気がするが、この際仕方ない。ちなみにお姉さんは今はウォータースライダーに行っている。

玲奈はぐっと言葉に詰まった。苦悩のような表情をするので、心苦しくなる。僕のわがままで企画された仲直りプラン、強要をするのは、玲奈にとってもゴーグル君にとっても良くないのではないか。彼女に勇気が出ないというなら、日を改めるべきではないか。こちらまで弱気になりかけたそのとき、玲奈もまた何か閃いた顔をした。

「君は努力家だな。わたしと遊んでいるばかりかと思っていたが、いつの間に腹話術なんて習得したんだ?」

「……」

「血反吐を吐くまで練習したんだろう?」

自信満々に適当ならべる玲奈。これはもう駄目かもしれんね。

「御崎君、気持ちは嬉しいけど、もういいよ。慣れているしね」

ゴーグル君の声が感情を捨てたように平坦に聞こえたのは、気のせいではないと思う。



数時間ほど遊んだ後、僕たちは市民プールを後にした。玲奈とゴーグル君は結局、直接言葉を交わすことはなかった。

僕と玲奈の反省会は、僕の家で夕食を共にした後も続いていた。

「やっぱりアレは無理があると思うの」

「ううん、そうかな」

ちなみに、僕に愛想をつかされるかと心配していたらしく、玲奈はまた例の泣き虫退行状態に陥ったが、なんとかなだめすかした。元々が僕の独善的な考え方からの提案だったので、少なくとも僕に彼女を責める権利などなかった。

「うん。わたしに勇気が無いのが一番の原因だとはわかっているんだけどさ」

「……」

「健二郎にも、不名誉なこと言った」

「いや、屁のことは良いんだけどさ」

玲奈が言うような戦略性の高い屁がこけるのなら、一度こいてみたいと思ったのは秘密だ。

「ケンジー。お母さん、今からウンコしてくるからー」

階下から母さんの声が聞こえる。勝手に行って来てくれと大声で返すと、満足そうな母さんがトイレに入っていくのが見えた。

便秘が長期、慢性化した母さんが、さっき浣腸をすると言っていたので、その成果が出て嬉しいのだろう。玲奈も居ることだし、出来れば黙って行って欲しかった。

「……健二郎のお母さんは良いね。明け透けで」

「秘すべきことまで、明け透けなのはどうなんだろうと思うけど」

「わたしもいつかはあんな風になれるのかな?」

「ならないで欲しいけどね」

あまり考えたくはないけど、玲奈もあと三十年もすれば、体面とか気にしないで思う様生きる、おばちゃんという生物へと変わり果てるのだろう。ああいう人たちには、不思議と動物的な憎めなさがある。

何にせよ、少し沈みかけた空気が、母さんのおかげで和んだ感じになる。

「まあ、あせらないでいこうよ。別に今回のことがラストチャンスというわけでもないんだしさ」

僕は総括する。半分以上は自分に言い聞かせた言葉。急いていたのは僕の方で、実際二人のペースで少しずつ距離を詰めるのが正解なのかもしれない。というより、荒療治が失敗した今となっては、それ以外に活路はなさそうだ。

「そうだね。うん。次は頑張るよ。ごめんね」

「ああ、大丈夫」

そう、大丈夫。僕たちにはまだまだ時間が残されている。

このとき、僕はそう楽観的に考えていた。

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