ゴーグル20:ゴーグル君報告される
ほうぼうの体で店から飛び出した後、僕は彼女を抱きしめて、背中や頭を撫でて落ち着かせるという作業に従事する。ビルとビルの間に身を滑り込ませて、昼日中からお守りのようなことをするのにも、いつの間にか慣れていた。
「僕が好きなのは、玲奈だけだから」
柔らかい頬を撫でる。年上だというのに、子供のような弾力を伴っている。産毛まできっちり手入れしているのか、つるつるのタマゴ肌。
「……本当?」
メソメソとべそをかきながら、僕を見上げる玲奈。先程、おもりと表現したが、今の彼女を見ると、どうしても色気づいたことより先に、その単語が浮かんでしまうのだから、仕方ない。
「本当だよ。今すぐは無理だけど、結婚するのだって、イヤだったわけでもないんだよ? 僕が十分に働けるようになって、その時まで君の気持ちが切れてなかったら、結婚しよう」
まんざら口から出任せというわけでもなく、ちょっと考えていることでもある。若いから将来の見通しが甘いのだろうと、大人たちに聞かせたら失笑されるのかもしれないが、結構本気だったりする。
「そんな! わたしが健二郎を嫌いになる筈ないよ!」
「ありがとう」
疑っていたわけでもないけど、彼女の気持ちは本物だ。きっと気持ちが強すぎて、裏切られたときのことを考えるとどうしてもキコクシュウシュウたる様子の片鱗を覗かせてしまうだけなのだ。そうに違いない。
「……わたし、嫉妬深いんだよ」
「それは知ってる」
この数日で思い知らされた。昼夜問わず電話は掛かってくるし、毎日ウチに来るし、デートも毎日課せられるし、これほどの束縛は、僕を監視する意図も含まれているのだろうと思う。
「でもね、初めて好きになった人だから、どうしても、失いたくないんだよ。わたしも自分がこんなに独占欲が強かったなんて初めて知ったよ」
「うん。僕も悪かったよ。玲奈が居るのに、ついつい他の女の子を見てしまった。でも本当に気持ちが移ったりとかそういうのは無いから、絶対」
むつみ合う。庇護欲とも、情愛ともつかない暖かな感情に、胸の奥が支配されている。彼女が手に入れた初めての彼氏。新しい自分を見つけて戸惑うことだってあるだろう。だけどそれは彼女だけに当てはまったことではなくて、僕自身、こんな感情を他者に抱いて過ごすことになるなんて、彼女と付き合ってみるまで、夢とも思わなかった。
「ごめんね。嫌いにならないでね」
「うん」
正直、彼女については今更どんな行動を取られても、動じない自信があった。付き合う前から多少、いやかなり、変わっていることはわかっていたのだから、こちらも何の覚悟もせず首を縦に振ったわけでもない。
「犬に食べさせたりしないからね?」
「うん」
それは是非、思いとどまって欲しいところだったので、一安心。
「……ガスマスク、あげるからね?」
「うん。それはいいや」
翌々日は、珍しく玲奈は用事があったので、一日フリーとなった。それでも筆まめというか、頻繁にメールが飛んでくるので、全く気は抜けないのだが、それは余談。
今日は久しぶりにゴーグル君と会うことにした。この一週間ほど、玲奈にかかりっきりだったものだから、彼のレンズを見たときに、懐かしい気持ちになった。今は彼の部屋にお邪魔して久しぶりに四方山話に興じている。
「しかし、ふうん、御崎君がねえ」
玲奈との交際についても、言ってみた。彼にしても、両者知らぬ仲ではないわけだし、言っておいた方が色々都合が良さそうだという判断からだ。
報告したはいいが、彼はそれっきり何も喋らなかった。僕の方が焦れて感想を尋ねる。
「どう思った?」
「どうって…… まさか会長ルートだとは思わなかったよ」
「ルートとか言うのやめてよ」
「それにしても、僕が姉ちゃんに言うのか…… 気が進まないな」
そう言えば。同じ理由で、お姉さんにも報告しておくのが良さそうだ。
「だったら、僕から言ってみようか? それが筋な気もするし」
「……」
ゴーグル君が黙考。それほど考え込むようなことだろうか。僕くらいの年頃の男女が付き合うなんて、そう珍しいことでもないだろうに。
ゴーグル君は、たっぷり時計の長針が一周するくらい考えた後、
「いや。僕から言うよ。君が言うっていうのもね」
僕はさぞ奇怪なものを見るような顔をしていただろう。いや、喋るゴーグルを目前にしているわけだけど、そういうことでもなく。
「どういうこと?」
「……君は知らないほうが良いことさ」
ううん、と唸りそうになる。さっぱりわからない。
「君がロリコンだったのだから、仕方が無いってことさ」
ゴーグル君はそれっきり、この話はおしまいという雰囲気だった。僕はロリコンではないが、とにかく彼が僕に言うべきではないと判断した以上、気にしない方が良さそうだった。
閑話休題。
「そういえば、夏休みの宿題はどの程度進んでいるんだい?」
僕の方から話題提供。
「姉ちゃんの方が終わらないと、僕の方の代筆が出来ないから、まだ少し先かな」
なるほど、色々と大変だな。というか、やっぱり書く必要のある課題が出ているんだな。先生もテストに関してはそれなりに配慮できているが、宿題までとなると、やむなしというところか。膨大な量を口頭でやり取りするわけにもいくまい。
ティンときた。
「そうだ。僕が書き取ってあげようか? もういくらかは目を通しているんだろう?」
「え? ああ、なるほど。それは助かるよ」
そこまで言って、急にゴーグル君が何かに気付いたような雰囲気で押し黙った。やがて開いた口からは、気遣うような声音。
「でも、大丈夫なのかい? これからデイトとかあるんじゃないの?」
ああ、そういう心配か。
「少なくとも今日は大丈夫だよ。玲奈は実家に戻っているらしいから」
駅まで送っていったのだから、間違いない。里帰りということなのだが、他県まで出るので、会えるのは明日以降。ちょっと寂しいような、それでもとんぼ帰りしてくると息巻いていた姿が嬉しいような、親御さんに申し訳ないような。
「……寂しいのかい? 気持ちの悪い顔をしているよ」
「いや、寂しいわけはないよ。あの子は実は結構束縛が強いタイプみたいで、昨日まで毎日のように会っていたからね」
とにかく、と話題を元に戻して。
「今日は、久しぶりだし、君の課題を手伝わせてよ」
何となく。気まずくなりそうな雰囲気があって、僕は強引に話をまとめた。
俗に言う友情か愛情か、ということなのだろう。人に与えられた時間は、有限である。常に取捨選択を迫られるものである。現にここ数日はゴーグル君と遊ぶより、玲奈と遊ぶことを選択していた。それが、今日たまたま彼女が居ないからといって、彼に摺り寄るのは何か、彼を都合よく扱っているような気がして、負い目を感じてしまう。気まずくなりそうな雰囲気の正体というのはそれだと気付いていた。
難しいな、と思う。人付き合いには法則も、正解もない。
何か彼の為に出来ることはないだろうか。そんならしくもない事まで考えてしまった一日だった。
ちょっと常用外打つと、変換できないパソコンって……




