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ゴーグル16:ゴーグル君野人と遭遇する

それは突然の出来事だった。

下山中、道脇のクヌギ林、その下生えがガサガサと揺れ動く音がして、次いで暗闇の中に何物かがうごめく気配を感じた。タヌキか何かじゃないかな、と平静を装ったゴーグル君の声を聞いた。しかしその声が震えていたことから、内心では僕と同じような直感が働いていたものだと容易に感じられた。

そう、多分違う。もっと大きくて獰猛な生き物。喉の奥から漏れ出たような、低い唸り声のようなものが聞こえる。

どうするべきか。ガードレールを一枚挟んだ向こう側に、まだ見ぬ恐ろしい存在が居る。指の先が震えているのが自分でもわかった。考える。今この場に居るのは三人といちゴーグル。人間三人相手に、襲い掛かってくるだろうか。ふ、と手に持っていた会長さんの虫取り網の存在を今更ながら思い出した。相手には武器のように見えるんじゃないか。だったら振り回してみるか。だが下手に刺激するのも賢明とは思えない。どうするべきか……

視界の端で、会長さんが、半歩後ずさった。本能がマズイと告げる。今、何らか弱味を感じさせる動きを見せるのは良くない。獣はそういった感情に敏感だ。

ガサガサ!

空気を切るような音を残して、それが飛び上がった。

ガードレールの上に乗っかったそれが、星明りの下、照らされる。

「や、野人だ!」

ゴーグル君が叫ぶ。獣の独特の匂いが鼻をつく。

毛むくじゃらの、一見ヒヒのように見える体躯は、しかし人と同じくらいの大きさがあった。顔の中ごろまで裂けた口からは、鋭そうな歯が覗いている。

「逃げろ!」

誰が叫んだのか。少し前を歩いていたお姉さんが走り出すのがわかった。血が沸騰するような錯覚、頭がくらくらする。足に命じる。動け、逃げろ。

やっとこさ動いた時、会長さんが腰を抜かしているのが見えた。野人がもうひとジャンプ。彼女の前に降り立つのがわかった。いけない。R15の壁を越えてしまう。

そこから僕の動きを逐一追いかけるのは難しい。何せ、脳の制御下を離れてしまって体がひとりでに動いたと言って差し支えない。

「おんらーーー」

持っていた虫取り網を、野人の頭めがけて、思いっきり被せた。

いつの間に距離を詰めたのか。振りかぶった動作すら、手の感覚に残っていない。まるで、細切れに時間移動したような感覚だった。

野人が網を取ろうともがいているのが見えた。僕はそのまま、会長さんの体を抱え上げて、走った。

ひたすら走った。

一体自分が何処に向かって走っているのかもよくわかっていなかった。会長さんの体の重さも、ほとんど感じなかった。滅茶苦茶に走った。ただ、意識の片隅で、坂を下っていることだけはわかっていた。このままいけば、下山し、ふもとまで下りて、街に出る。そうすれば助けが呼べる。その一心だった。振り返る勇気はなかった。



国道072号線。

ぽつんと立ったコンビニの近くで、お姉さんとゴーグル君の姿をみとめた時には涙が出そうになった。ゴーグル君の顔の表情はわからないけど、少なくともお姉さんは僕と同じような顔になっていると思う。即ち、喜びと安堵と、恐れと、色んな感情の入り混じった表情。

僕たちは、ひとしきり互いの無事を喜び合うと、すぐさま自分たちの街へと帰ることにした。少しでもあの野人の近くから離れたい気持ちがそうさせた。まだ足腰の立たない会長さんをおぶって、帰る道はやけに現実感がなかった。僕だけじゃなく、皆ぼーっとしていたと思う。さっき起きたこと見たこと、命の危険があったかもしれないこと、全部が嘘のようで。だけどしっかりと記憶に焼きついていて。脳の処理が追いついていなかった。そういえば会長さんのガスマスクも、いつの間にか紛失してしまっていることに、今更ながら気付いた。

「……アレは、何だったのかな」

やっとこさ口を開いたのは、ゴーグル君だった。だが、誰も答えなかった。そもそも答えを持ち合わせていなかったし、口を開いて、アレを現実の出来事と確定してしまうのが怖くもあった。

「あんなの絶対おかしいよ」

だけど、いつまでも現実から目を背けているのも、無理な話だった。多分一番最初に、茫漠とした現実と非現実の狭間から戻ってきたのがゴーグル君だったのだろう。だがそれでも彼自身、まだ完全には混乱から脱しきれていないらしく、しきりにあの存在を否定しにかかった。

「あんな存在、どう考えてもおかしいよ。僕のレンズが正確なら、二足歩行してたよ」

「……そう、だね。多少前かがみでも、確かに後ろ足二本で立っていたように思う」

僕もやっとこさ、口を開いた。喉がカラカラで、舌がピリピリしていた。

「そうね。サルにしては大きすぎたような気もする」

お姉さんも言葉を発する。上擦っていて聞き取りにくかったけど、僕がさっき話したときも、同じようなものだった。さりげなく背中の会長さんの気配を探った。何となく、彼女にも声を出して欲しかった。いつの間にやら、声を出すことが、ショックから立ち直った合図のような認識になっていたから。

だけど、会長さんは未だに少し震えたまま、僕の首っ玉にしがみついたままだった。

「忘れよう」

ゴーグル君が言った。

「そうね。考えてもわかるわけないし、通報するにも何て言っていいかわからないわ」

二人とも舌を動かしている間に、幾分か調子を取り戻してきたように感じる。

「それが良いよ。狐につままれたようなものだと思おう。幸い誰一人怪我もしていないしね」

僕も自分に言い聞かせるように言った。それが総意のようになって、また沈黙が降りかけた時、水中家が見えた。


「今日は、会長もウチに泊めるわ」

それが良い、と僕は思った。結局、まだ何も話していないのは彼女だけで、僕は少し心配だった。非科学的なことを受け容れられないタチな、彼女。今回のなぞの生物にはこたえたのかも知れない。そんな彼女を一人暮らしだというアパートだかマンションだかに一人で帰すのは気が引けていたところだった。

「立てますか?」

顔を振り向かせて、声をかける。首を大きく左右に振った。

お邪魔させてもらう。お姉さんの部屋へ運ぶと、そのまま去る。女の子の部屋に入るというのに、インテリアなどに興味を引かれることもないが、状況が状況だけに仕方ない。ドアに手をかけた時、小さな声に呼び止められる。

「けん……じろう君」

お姉さんじゃなくて、会長さんの声だった。久しぶりに聞いた声は、かすれていた。

振り返る。声とは裏腹に、彼女の顔にはいくらか血色が戻っているような印象を受けた。内心安堵した。

「ありがとう」

野人に立ち向かったことか。それともここまで運んできたことか。

「君は、わたしの王子様だ」

思わず苦笑する。表情筋を初めて動かしたかのように、口の端が痛痒い。

なんと答えていいかわからず、おやすみなさいとだけ返して部屋を辞し、そのまま水中家もお暇する。


僕も早く帰って寝よう。

整理しきれないこと。それは寝て忘れてしまうのが一番良い。

「あんな存在、どう考えてもおかしいよ、か」

ゴーグル君の言葉。間違いない。だけど……

「それを君が言うかね、しかし」

いや、あんな獰猛そうな生物と一緒くたにするのは失礼だ。もう本当に忘れよう。

家々から漏れる明かりに、いちいち鼓舞されるような気持ちで、一人夜道を家へと急いだ。

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