ゴーグル15:ゴーグル君星を見る
僕たちの誤算は、彼女が弟想いの世話焼きお姉さんであるということを失念していたことによる。
「天体観測なんていつ以来かしら。ロマンティックが止まらないわ」
しかも、一番ノリノリだったりして、始末におえない。
(どうするんだよ、ゴーグル君)
(仕方ないじゃないか。ついてくるって聞かないんだから)
僕たちは小声で事後策を話し合う。えらいことになってきた。
(ここ、本当に星空が見えるのかな)
(知らないよ。本当に観測する気なんて更々なかったんだし)
「何をブツブツ話している。性病か?」
「いえ。なんでもないですよ」
おまけに何故か会長さんまで居る始末。本当に大変なことになってしまった。
まあ、どうしてこうなったかというと、説明するほどのことでもないのだが、僕が約束の時間にゴーグル君のお宅を訪問したときには、お姉さんと、何故か会長さんまで玄関先で待ち受けていた。お姉さんはまだ蒸し暑い夏の夜だというのに、長袖の上下に身を包み、会長さんなど迷彩服を着ており、双眼鏡と虫取り網とガスマスクを持っていた。多分ついてくる気なのだろう、と思ったらやっぱりついてきた。
そしてどういったわけかガスマスクと網は僕が持つことになった。
以上である。
(とにかく、多分大丈夫だよ。夏の大三角くらいは見えるはず)
ゴーグル君の気休めも、今ばかりは頼もしく聞こえる。
(後はビルの光がどうのこうの言っとけば大丈夫だよ)
(そんなんで騙されるかな)
不安である。教師よりはマシとはいえ、規範とならなければならない立場の生徒会役員二人を連れ立って、見えるかどうかもわからない星見。もしくすんだ汚い空しか見えなかった日には、僕たちがロクに下調べもせずに、適当にこの場所を選んだということが発覚してしまうかもしれない。
山を登っていく。登山道も整備されているが、夜の闇の中で登るのは不安だったので、街灯もキチンと整っている車道を使う。脇にはラインが引かれた、一応歩道とも路肩ともつかないスペースがあるので、峠を攻めにきた暴走車両に跳ね飛ばされる可能性は低いだろう…… と思う。
ゴーグル君は取り上げられた。今はお姉さんが運んでいる。それすらも、僕とゴーグル君の悪巧みが知れているような疑心暗鬼になってしまうが、冷静になると、恐らく僕が会長さんのよくわからない荷物を持っているので気を回してくれたのだろう、と推察できる。前方を歩く姉弟が、声を立てて笑いあっている様にも、そういった他意があるようには見えなかった。
「器用なものだな。二人分の笑い声を出すなどと。神の領域だ。そうは思わんか?」
貧乏くじ、と言っては失礼か。必然的に僕と会長が後方を歩くことになった。
「はあ」
「君は生徒会に入るのを断ったそうだな」
「ええ。すいませんが、他を当たっていただけないかと」
「何故だ?」
「ガラじゃないですから」
今もまさに、二人を欺いている格好だ。とてもじゃないが、生徒の為にだとか学園の為にだとか、使命感を持ってやれそうにもない。
「ふむ。だが、内申書は良くなるぞ」
この人こんなんばっかりだな。
「わたしの唯一の懸念と言えば後任人事だったりする」
「それが唯一なんですか」
「わたし亡き後、美咲君がちゃんと一人で出来るもんなのか心配だ」
死ぬわけではないでしょうに。
「君は意外に胆力もあるようだし、色々と使い勝手が良さそうだ。出来れば手伝ってやってくれないか」
使い勝手って…… そんな風に言われて手伝いたいという人間は稀有な気がする。
「そもそも、ちゃんとした手続きというか、選挙みたいなのを経ないで、ポンと入れたりするもんなんですか?」
「欠員が出たんだ。特記事項として、会長が指名する人間を補充できる筈だ」
「例の、峠を攻めに行ってそのまま行方知れずって人ですか。ひょっとして今まさに登っている此処とかだったりして」
「ははは。それは知らないな。まあとにかく、また考えてみてくれ。出来れば君自身が決断してくれるのが良い。わたしも恐喝まがいのようなことはしたくないからな」
「え?」
恐喝まがいのことをするつもりなんだろうか。意味深に笑う会長さん。
イマイチこの人の言うことは冗談なのか本気なのかわからない。
おっか山はそれほど標高の高い山ではなかったが、登頂は諦めた。あまり帰りが遅くなっても、色々不都合だ。それに、登り始めてすぐに、やぶ蚊の餌食となっていたお姉さんが、中腹辺りで休憩を提案したのが、絶妙のタイミングと場所だった。キャンプなんかにも向くだろう、山を切り開いて、地を均して作った広い土地。公園と言っても良いだろうか、そういう場所に出た頃には、上空の空は既に満点の星たちに彩られていた。
「本当に見えたんだな」
ぼそりと呟いたが、誰も気に留めていない様子だった。
それほど圧巻だった。
街で過ごす分にも、一等星やら、ぼやけた星明りは見えたが、空気が清浄な場所で見上げる星空が、これほどまでに違うとは知らなかった。都会っ子にはひたすら新鮮だった。圧倒されそうな、ややもすると押しつぶされそうな存在感。空と地平の境界すら曖昧に感じるほどの威容は、それでいて不快感や恐怖はなかった。
ずるをしようとしていたこと、それがバレるかと気を揉んでいたこと、それらが些事に思える。
来て良かった。掛け値なしにそう思えた。
「まるで天然のズリネタ…… プラネタリウムだね」
ゴーグル君も嬉しそうだ。
「しかし凄いわね。田舎に里帰りした時に見た空と比べても、そん色ないように思うわ」
「ここら辺もまだまだ田舎ということなのかもしれないな」
年長組も首を垂直に上げて、ひたすら星空を見ていた。
僕も、もう少しそうしていたかったが、何せ僕のノートには既に観測済みになっている星座の模写、まつわる神話のまとめなんかが列記されている。これをこれだけで完成とする意図はなかったと思わせるものへと変えなければならない。
一番それらしいのが、実際の写真を撮って、それを貼り付けるというものだろ。
だがすぐに断念する。カメラなんて持ってきていない。
だから、実際に星座を見た感想を、付記することにした。それらしくペンを動かしていく。正直苦肉の策と言わざるを得ないが、何もしないよりはマシと信じたい。
さもしいな、と思う。目の前に広がる大自然のパノラマと対比すると、僕という人間の矮小さが浮き彫りになるかのような錯覚を覚えた。
「見て、アレがさそり座じゃないかしら」
「えー。多分違うよ。あんな御崎君の双眸のようにくすんだ星じゃない筈だよ。多分アレだよ」
何処だ何処だとお姉さん。ゴーグル君がもどかしそうに説明するが、要領を得ないようで、姉弟は言い合いのようになっていた。それも仕方ない。夜空に目印などあるはずもなく、ゴーグル君にも指などはないから。
「それにしても、昔の人は頭がおかしかったんだろうな。アレをさそりと言い張る度胸は買うが」
会長さんの相手もそこそこに、ペンライトと星明りを使って何とか書き上げる。
良し。まあ体裁は繕えたんじゃないだろうか。
「そろそろ、帰りましょう」
「ん? そうね。あら、もうこんな時間なのね」
言われて、蛍光の腕時計をつられて見ると、八時近くなっていた。
少し名残惜しい満天の星たちを残して、僕たちは下山を始めた。




