ゴーグル11:ゴーグル君アイスまみれになる
自宅。ゴーグル君を招き、何をするでもなく、僕の部屋でテレビを観ていた。
実況『それにしても、これはビデオで見る限り、アウトに見えますね』
解説『ええ、これはホリケツ監督が怒るのも無理はないでしょう』
野球だ。デイゲームをやっている。テスト休みだというのに、土日と重なってしまっては損した気分になるのは何故だろうか。
「あ、御崎君! ホリケツがまた」
ぼんやりと観ていた画面、微妙なジャッジに激昂している監督が、審判に詰め寄っていく。また手を出してしまうのか。
実況『あっと、ホリケツ監督、かなり興奮しています。しかしこれはいけません! 手を出してしまいました』
解説『ええ』
実況『ああっと、また股間です。股間をまさぐるようにしてます。審判の袋と棒の間、そこに中指と薬指を差し込んだ格好になっています。スプリットフィンガーゴールデンボールですか、これは?』
解説『ええ。スプリットですね。握りは浅く、しかし相当の切れ味がありますね。軽く捻るだけで、恐らくは昇天するのではないでしょうか。それほどの素晴らしいスプリットですね。メジャーでもこれほどの……』
実況『ああっと。しかし退場! 退場です。ホリケツ監督、スプリットで退場』
股間を握られた塁審が、顔を真っ赤にして、右手を振り回す。ゴーグル君がクスクス笑うのが聞こえた。僕も思わず笑ってしまいそうになる光景だ。またか、という感じである。
実況『これで、ホリケツ監督は今年だけで、ええっと…… 十三回目の退場処分ですね。いずれも審判を侮辱したという形ですが』
解説『いっそ清清しいですよ。それに退場になるとわかっていてなお、痴漢行為をするのですから、チームにとっても士気に繋がるんじゃないですか?』
解説がわけのわからないフォローに回るのもこれまたお約束で、僕とゴーグル君は更に笑いを誘われる。その生き様自体が一発ギャグのような人種というのは、どこの世界でも輝くのは世の常。まだペナント前半戦も終わっていないのに早くも今期での解任が決まっているという異例のスピード決着を手中に収めながら、未だ攻めの姿勢を忘れず、こうして退場を積み重ねる。このままではシーズン中の解任にも発展しうるだろうに、それでもブレない。きっと触らずには居られないのだろう。それが彼のアイデンティティーなのだろう。
僕はこんな大人にはなりたくない。心からそう思わせてくれる稀代のケツブツと言えよう。
「いやあ、笑った笑った。オチはわかっているのに、あんなに面白いんだから、反則だよ」
ゴーグル君はまだヒイヒイと呼吸が落ち着かないまま、言ってくる。
「オチとか言ったら悪いよ。彼だって一生懸命ヤっているんだから。でもまあ…… ブラウン管の向こうの人間に、これだけの笑激を与えれるんだから、やっぱり才能だよね」
「ね。僕はでも股間じゃなくて、あの乳首をまさぐるヤツ、あれが好きだな」
「ああ。フェザータッチのことかい? あれも気持ち悪かったね、そういえば」
ゴーグル君とはやはり意見がよくあう。あの監督を正しく評価している。
「それにしても、ホリケツが居なくなったらつまらないね。どこか行こうか?」
「うーん。でも灼熱のアスファルトを歩くのは君だよ?」
「それを言われると、辛いなあ」
興味を失ったので二人ともテレビをBGMにしてしまう。
「だったら、あいすくりんでもねぶろうか? 冷蔵庫にあったよ」
しまったと思ったときには遅く、僕は最後まで言ってしまっていた。
「ああ、いいね。頂こうかな。洗面器も一緒にね」
だが、ゴーグル君は何でもなさそうに、そう答える。
「洗面器?」
「いいからいいから。用意してみてよ」
彼があまりに自信に満ちた様子なので、その通りにしてしまった。
夕方になり、そろそろゴーグル君を家までお届けにあがろうかということになった。その道中、アイスクリームについて聞いてみた。
「どうだった? 濃厚ミルク味のアイスは?」
「べとべとになった」
洗面器に、カップのアイスを丸ごとひっくり返し、溶けるまで待ち、そこに彼をひたした。確かに言葉通り、べとべとになった。でもそういうことじゃなくて……
「味のことだよ」
「わかるわけないじゃない」
「そっか」
「でも甘い感じはしたよ。とても贅沢をさせてもらった気分にもなった」
まあ、一つ二百円もするアイスクリームを、食べるでもなく溶かしたのだから、贅沢と言えばそうなのかもしれない。救いなのは、彼が思いのほか喜んでくれたことだろうか。
「自分の家じゃ、勿体無いからって、人間の食べる物は食べさせてもらえないからね。酷い話だよ」
「ははは」
「また今度、そうだな…… 今度はカレーまみれにしてよ。アレも食べてみたかったんだ」
「機会があればね」
カレーと言えば、ふと思い出したことがあった。別件だが聞いてみようか。
「そういえば、会長さんは、君の家に食事を貰いに来るそうだね?」
「え? ああ、よく知っているね。恥ずかしげもなく毎晩のように来るよ」
「ふうん。でもこないだ、僕がカレーをご馳走になった時があったじゃん? あの日はどうしたの?」
「え? 普通に来たよ。ちょっと遅めだったけど。きっちり二人前くらいは食べて帰って行ったんじゃないかな」
「……」
なんとさもしい生徒会長も居たものだ、と一周して感心してしまう。つまり彼女は、あの日、水中家のカレー鍋には十分な量のルーがあることを知っていながら、僕に肉まんをたかり、しかも後々ちゃっかり水中家にもお邪魔していたことになる。
「何か気になることでもあるのかい?」
黙ってしまった僕に、ゴーグル君が不思議そうな声をかけてくる。
少し迷ったが、彼女のあの日の行動を説明してしまった。
「ああ、御崎君は気に入られたんだね」
「何だい、それ」
どこをどうしたら、そういう結論に至るのか。どちらかというと、最初にストーカー扱いをしてしまって、それを根にもたれて嫌がらせされた気分なのだけど。
「彼女は結構な人見知りだからね。普通ならご飯をたかるなんて、よく知らない人間相手には絶対にやらないよ」
「たかられたんだけど?」
肉まんを四つも買い与えた。土壇場で予定より一つ多く頼んでいた。
「だから普通は、だって。君は気に入られたから、わがままを言ったんだよ」
わがままとかそういう話なんだろうか。色々腑に落ちないけど、これ以上は悪口になってしまいそうなので控えることにする。
「……結構、彼女について詳しいんだね?」
「まあ付き合いは長いからね。主に姉ちゃんと、だけど」
そういや、腹話ゴーグルとしか認識されていなかったっけ。
「あまり嫌わないでやってくれないかな?」
「え?」
「アレで姉ちゃんには良くしてもらってるし、僕も嫌いじゃない。ちょっと変わっているけど」
「……ちょっと?」
「だいぶ変わってるけど、悪い人じゃないんだ。多分」
意外な気持ちになった。認識すらされていない相手だというのに、擁護に回るとは。
大人なんだね、と率直に思った。彼は時々、こういう面を見せる。




