魔法がないので作ります
「門よ。私の呼びかけに応え、その扉を開きなさい」
庭の門は開かなかった。朝から三種類の呪文を試しているのに反応一つない。せめて金具が鳴れば次へ進めるが、取っ手に止まった鳥さえ私に背を向けていた。
隣で待っていたマルタが門へ歩み寄った。留め金を上げて押すと扉は何の抵抗もなく開き、鳥が飛び去る。
「お嬢様。お客様がお見えです。練習はここまでにしてください」
「今のは力で開けたでしょう」
「はい。手で押しました」
そんなことは分かっている。私が欲しいのは取っ手へ手を伸ばさずに門を開く方法だ。ついでに閉められたら雨の日に便利で、もっと言えば門を越えて飛びたい。
私の暮らすアルデン王国に魔法はない。水車は水で回り、馬車は馬が引く。学校でどれほど算術を学んでも指から火が出る授業には進まない。魔法使いがいるのは冒険物語の中だけだ。
物語を書いた人は空を飛んだことも雷を投げたこともない。それでもあれだけ詳しく書けるのだから、実物があればもっと面白いに決まっている。
「お客様というのは?」
「ユーゴ・ミルさんです。庭の物置の修理について伯爵様とお話をされています」
マルタに続いて屋敷へ戻ると、玄関脇で肩幅の広い男性が道具袋を整えていた。袖に木くずが付いている。私の手にある本を見て彼は笑った。
「魔法の本ですか。山の先生もそういうのが好きなんですよ」
「山の先生?」
「トルネ村の上に工房があるんです。魔法を研究してるって言ってましてね。物を触らずに持ち上げたいんだそうです」
本を閉じた拍子に指を挟んだ。痛かったがそれどころではない。私はマルタの腕をつかみ、そのままユーゴさんへ向き直った。
「お名前は。どこにいらして。弟子は取っていらっしゃるの?」
「オスカー・ベルツ先生です。弟子はどうでしょうね。飛んでくる物はありますが」
「あるのね!」
ユーゴさんが何か続けようとした時に父が玄関へ来た。私は道具袋を下げた彼より先に父の前へ進み、山の工房へ行きたいと申し出た。
父は私と本とマルタを順番に見た。その後で机の上へ紙を広げたので、私の夢は早くも費用の計算に入ったらしい。
「まずベルツ氏がどういう人物か確かめる。工房へ行くとしても一人では許可しない。泊まる場所と帰る日も決める必要がある。家の仕事を全て放り出してよいわけでもない」
「分かりました。ではいつになったら許可をいただけるのでしょう」
「今その条件を話している」
父は真面目な人だ。領内の橋を直す時も水車の部品を買う時も、自分で使い道を確認する。私を心配してくれていることは分かるが、たまには許可の言葉を最初に言ってほしい。
翌日に父が見せてくれた帳簿にはベルツ氏の名前があった。水車の修理と巻き上げ機の調整。その横には支払い済みの印がある。王都の技術学校で教えていた経歴も確認できたという。
「魔法が使えるという記録はない。ただし仕事を受けて代金を取るだけの人物でもないようだ。三週間なら行ってよい。マルタと一緒に村の宿へ泊まり、毎週手紙をよこしなさい。実験の内容も書き残すこと」
「ありがとうございます。何も起きなくても手紙は書きます」
「何も起きなかったことも報告になる。二十二日目に私が訪ねる。その時に今後の話をしよう」
私は許可が変わらないうちに頭を下げた。その足で部屋へ戻って星模様のマントを取り出し、マルタにしまわれる。代わりにかばんへ入ったのは前掛けと作業用の手袋だった。
「魔法使いに弟子入りするのよ。衣装は必要でしょう」
「村の道を歩く服は必要です。屋敷で確認する書類も忘れずに。あとそのほうきはかばんに入りません」
ほうきは馬車へ直接載せることにした。まだ飛べないだけで、飛ぶようになれば帰りの荷物にはならない。
出発の朝に父がそのほうきを見たが何も尋ねなかった。代わりにマルタへうなずいた。そこには私に分からないやり取りがあったようで、二人とも口を開かなかった。
*
半日かけてトルネ村へ着いた頃には背中が痛くなっていた。空を飛ぶほうきにも座る場所を付けなければいけないと、馬車の中で計画を一つ書き加える。
村の宿で荷物を下ろすとユーゴさんが道具を抱えて通りかかった。先生の工房へ向かうところだと言うので、私たちも一緒に山道を上ることになった。
「夜になると窓が青く光ることがあるんですよ。何をやってるのかと思って訪ねると、戸を開けるなと怒られることもありまして」
青い光。閉ざされた工房。私はもう少し聞きたかったが、マルタの関心は山道のぬかるみに向いていた。新しい靴を泥に入れないよう足元を選びながら歩いている。
工房は村から三十分ほどの所にあった。木造の小屋から突き出た煙突と、外壁に立てかけられた何枚もの板。屋根の端だけ新しい色をしているのはユーゴさんの仕事らしい。
彼は私たちを戸口まで案内すると先に物置へ入った。修理代を受け取る前に直した部分を確かめるという。私はほうきを立てかけ、星模様のマントの襟を正した。
戸をたたこうとしたところで中から声がした。
「入るなら右側へ立て。机の正面は空けておけ」
白髪の老人が作業台へ身を寄せていた。鼻に丸い眼鏡を掛け、短いひげの下で口を結んでいる。袖口は焦げていたが、その前に並ぶ金属の部品は磨かれていた。
私は言われたとおり右側へ立った。老人が装置の取っ手を回すと歯車が動き、銅線の輪が震える。直後に金具が一つ跳ね上がって左の壁へ当たった。
「飛びました!」
「外れたんじゃ」
老人は私に目も向けず金具を拾った。頭上を飛んでいった私の期待も拾ってほしい。
「この前もこうなったんですか」
マルタの問いに老人がうなずく。戻ってきたユーゴさんも壁の傷を見て、飛んでくる物とはこういうことだと説明した。私は青い光についても尋ねたが、そちらは金属を熱する実験だという。
「火を出す魔法ではないのですね」
「火なら燃料を用意すれば出る。わざわざ魔法で起こす理由は何じゃ」
「手から出たら格好がいいでしょう」
「手が焼けるぞ」
先生の話はどれも正しい。今のところ全て夢を壊す方向に正しかった。
私は手紙を差し出して名乗った。老人は父からの紹介を読み、私を見る。眼鏡越しの目が細くなった。
「伯爵のお嬢さんがここで何をしたい」
「魔法を教えていただきたいんです」
「できたらな。わしもまだ見たことがない」
ユーゴさんが代金を受け取って出ていった後も私は戸口で立ち尽くしていた。白いひげの師匠。山の工房。怪しい研究装置。ここまでは全部そろっているのに一番大事なものがない。
老人は机の引き出しから帳面を取り出した。何冊も重ねられた表紙には番号と日付が書いてある。
「触らずに物を動かす。糸も棒も使わず、風で押すのでもない。そういう仕組みを作りたい。六年やっとるが成果はまだない」
「その装置も?」
「対象に力を伝えるはずの輪じゃ。振動までは作れるが、そこから先が起きん。手伝いが欲しいのは確かじゃが魔法を見せる約束はできんぞ」
帳面を開くと細かな数字と図が並んでいた。線の太さを変えた記録や歯車の数を変えた記録。成功と書かれたページはないが、どれも途中で投げ出したものではなかった。
マルタが私の横へ来た。帰るのなら今からでも馬車に間に合うという。父への説明も一緒に考えてくれるそうだ。
「お嬢様が望んでいらしたのは魔法を使う修行です。ここでできることは違うようですが、それでも残りますか」
私は窓際の装置へ目を戻した。指を振るだけで門が開くことを願っていた自分と比べると、先生はずっと先まで来ている。何も起きなかった理由を書き、次に試す物まで作っていた。
「残りたい。魔法がないのは分かっています。だからあるかもしれない方へ行きたいんです」
先生は机の端にあった木片をこちらへ寄せた。
「では三日だ。その間に記録を読んで道具の使い方を覚えろ。金属を削る仕事はまだ任せん。それから長い布は外せ。機械に巻き込まれる」
椅子へ掛けようとしたマントの端が歯車の軸へ触れかけていた。私はマルタに襟元を外してもらい、今度は工房の隅へ目を向ける。部品の袋と木くずで床が見えなかった。
「最初は掃除ですか」
「踏むと危ない。ほうきはそこにあるが古い」
私は戸口から自分のほうきを持ってきた。先生が何も聞かずに道を空け、マルタが前掛けを差し出す。
まだ飛べないだけのほうきは普通に掃けた。帰りまでに用途が増えることを祈りつつ、私は机の下へ潜り込んだ。
*
翌朝に工房へ着くと先生が昨日より大きなばねを並べていた。魔法の修行はまず取っ手を回すところから始まるらしい。試しに一つ巻かせてもらうと腕が重くなり、次の一つはマルタに手伝ってもらった。
「全部私が巻くんですか」
「わしも巻く。巻いた回数をそろえておけ。力が違えば結果も違う」
呪文を唱える仕事より体力が必要だった。魔法使いの細い腕について疑問が生まれたが、今日の記録には関係なかったので書かなかった。
午前は道具を教わり、午後は失敗した試験を見た。私は時間を計って木片の様子を書き、マルタが取っ手の回数を確認する。何も変わらなかったと書くのは一度目から面白くなかったが、三度目には同じ欄を埋める速さだけ上がった。
先生は説明を始めると専門の言葉を並べる。分からない場所を聞き返すと図を描き、図が分からないと言えば部品を持ってくる。部品を持たされてもその中は見えない。
「どうやって木片を上へ動かすんですか」
「それを調べとる」
そこだけは私にも理解できた。分からない場所へたどり着くまでが長かった。
昼休みに私は宿から持ってきた本を開いた。物語の魔法使いは円へ星を描き、その外側に言葉を並べていた。先生に見せると本を取り上げられ、図をしばらく眺められた。
「この星は何のためにある」
「力を集める印だと書いてあります」
「どこから集めてどこへ出す」
「そこまでは書いてありません。でも円を使うのはどうでしょう。外へ力が逃げるより、中にまとめる方がよさそうです」
先生は本を閉じ、装置の銅線を丸く置き直した。四角より丸い方が線の長さと囲む広さを比べやすいと言う。魔法の図らしくなったものの、そこへ置いた木片はやはり動かなかった。
私は星も描いた。さらに円の外へ長い呪文を書いた。途中で筆が乾いたので書き直し、声に出して読むとマルタが昼食を片付け始めた。
「天地を巡る見えざる力よ。今こそ私の手に集い、この願いに従って――」
「その力はどこへ行く」
先生に途中で止められた。木片を指すと首を振られる。
「今の文に木片は出てこん。輪の中で何を起こすつもりなんじゃ」
「浮かせたいんです。天へ上げるような」
「どこまで」
天まで。と言いかけて窓を見た。工房には屋根がある。屋根へ木片をぶつけるつもりはなかった。
「では机から指一本分だけ。高すぎると取りに行けませんし」
「いつ下ろす」
私は本を開き直した。魔法使いが荷物を浮かせる場面はあるが、荷物を降ろす呪文は書かれていない。読んだ時は気にならなかったのに、実際にやるつもりで考えると面倒な本だった。
「十秒後に元へ戻すのはどうでしょう」
先生は自分の図面へ視線を落とした。しばらく返事がなく、私も図面をのぞく。たくさんの線と数字に混じって「上」とだけ書かれた箇所があった。
「先生はいつ下ろすおつもりだったんですか」
「起きてから考えるつもりじゃった。まず作用を起こす方を先にしていた」
「でも動いた後の行き先が決まっていないのでは困ります。門だって開けたままでは閉まりません」
庭でマルタが門を押した時のことを話した。私は開くように願っただけで、どこまで開けるかもいつ閉めるかも決めていなかった。先生は途中まで聞くと椅子を引き寄せ、図面の端へ新しい線を描き始めた。
私が書いた呪文から「天地」と「見えざる」と「今こそ」が消された。最後に残ったのは範囲と高さと秒数だった。魔法使いの文というより荷物の注文書になっていたが、先生はそれを紙ではなく板へ写すと言う。
「この粉を混ぜた液で書く。金属の輪とつながるようにな。文字を線の一部に使う試験は前にもやったが、戻りまで含めて作ったことはない」
先生は引き出しから失敗した板を出した。私はそこへ新しい図を重ね、どこをつなぐか教わった。自分の筆で機械を作ることになるとは思っていなかった。
三日目の終わりに先生から次の日に使う板を渡された。もう少し続けてよいか尋ねると、銅線をほどきながら顔を上げる。
「やめる気なのか」
「いえ。正式に弟子にしていただけるなら先生を師匠とお呼びしてもよろしいかと」
「呼び方を考える暇があるならその数字を確かめろ。一と七が区別しにくい」
私は自分の数字の横へ印を付け、師匠にもう一度見せた。師匠という言葉を三回使っても否定されなかったので、弟子入りは成立したことにする。
マルタも仕事を増やしていた。ばねを巻く回数と木片の重さを日付ごとに並べると、途中で道具を替えた実験がいくつも見つかった。理由は帳面の別のページに書かれていたが、私には同じ条件の続きに見えていた。
「変えたところだけでもこちらへ書いてください。お二人が覚えていても私には分かりません」
師匠は帳面を受け取って書き足した。床に積んであった部品の箱もマルタに棚へ移される。使う順番が違うと師匠が言うので、私は箱の番号を棚へ書いた。これで持ち主しか場所を知らない道具が減った。
九日目の夜に宿で父へ手紙を書いた。最初の便りは師匠が魔法を使えなかったことの説明で半分埋まったが、今度は教わった作業と試験の回数を書く。最後に材料の費用を足し、宿代とは別だと記した。
マルタが机の向こうで書類をまとめていた。私が計算を見せると二か所に指を置く。同じ銅線を二度買ったことにしていた。
「師匠の装置を全部分かるにはまだ時間がかかりそうね」
「まず買ったものから分かるようになってください。こちらの数字は合っています」
直した手紙を封筒へ入れ、その隣へ十日目に使う制御板を置いた。星を消した円の中に木片を上げる指定がある。円の外へ高さと時間を書き、最後は元へ戻す線で閉じていた。
自分で選んだ場所に線が引かれているのを見ると眠るのが惜しくなった。もう一度確かめようと手を伸ばしたが、マルタが机の明かりを私から遠ざける。
「乾くまで触らないように言われたでしょう。明日の実験を今夜の書き直しに変えないでください」
私は両手を寝具の上へ置いた。乾くまで待つ修行は取っ手を回す修行より難しかった。
*
十日目の朝に私は宿の階段を駆け下りた。板は布で包んで両手に持つ。食事を済ませる前に出発しようとしてマルタに止められ、口の中へパンを詰め込んだまま山道を歩いた。
師匠は工房の机を空けて待っていた。昨日の装置を置いて巻き上げの回数を確かめ、私の板を受け取る。数字を一つずつ読んだ後に乾いた文字へ銅線をつないだ。
「先に何も書いていない方を試す。木片は同じものを使え」
私は木片の重さを量り、机へ置いた。装置が動いても木片は変わらない。振動で机が震えたため端の紙を押さえ、マルタが時間を記録する。見慣れた結果だった。
次に私の板へつなぎ替えた。円の内側へ木片を置き、指一本分の高さに測定用の印を付ける。マルタが時計を構えた。
「実験十八番。高さ二センチ。保持十秒。始めます」
師匠が止め金を外した。ばねの音がして銅線が震える。木片は動かなかった。
私は印を見たまま口を結んだ。昨日と何も変わらない。今度はどう書けばよいだろうと板へ目を向けた時に、木片の下が見えた。
見えるはずのない底の角が見えていた。私は机へ顔を近づける。木片と板の間に隙間がある。
「先生。机が傾いていませんか」
「傾いたら転がる。手を出すな」
師匠も膝を折り、机の高さへ顔を下げていた。私と反対側から眼鏡の縁が見える。二人で向かい合う間に木片は印の高さまで上がった。
マルタの数える声だけが続いた。私は木片をつかみたかったが手を背中で組む。師匠も床へ片手を置いたまま時計を見ている。
十秒が過ぎると木片は下がり、板に触れて止まった。巻き上げの装置はまだ動いていたが木片は再び上がらない。
「糸はありませんね」
私の言葉に師匠がこちらを見る。自分で運んできた木片なのに私は底も確かめたくなった。どこかにつながっていないと納得できなかった。
師匠が木片を裏返し、板の周りへ手を通す。何も触れず、その手は私の前まで来た。私は机の下へしゃがんで脚の間をのぞいたが、師匠の靴しかなかった。
「別の机でやる」
師匠が装置を持ち、私は板を運んだ。マルタは記録と時計を移し、工房の反対側で同じ手順を繰り返す。木片は浮いた。二センチで止まり、十秒を待って下りた。
三度目は私が止め金を外した。師匠が外した時と同じように動き、今度は上から見ても横から見ても浮いている。
私は木片が降りた後で初めて声を出した。
「十八番です。十八番が浮きました」
自分で言っておかしかった。物語の魔法には炎や星にちなんだ名前がある。私は世界で初めて木片を浮かせ、その番号を呼んでいた。
師匠は記録の紙を取り上げた。数字を見てから板を見て、その端に触れる。
「戻るところまで閉じると働く。範囲と高さも要るのか確かめんといかん。ここを外して、次はこっちを変えて――」
「先生。まだ片付けていません」
マルタが止めるより先に師匠が次のばねを動かした。木片が上がったところで板を持ち上げ、短い銅線が装置から抜ける。木片は板へ落ちた。
師匠と私が同時に手を出し、手の甲がぶつかった。板は机へ戻せたが師匠の眼鏡がずれ、木片が輪の外へ転がる。
「壊れたか」
「先生が抜きました」
マルタは外れた銅線を指していた。師匠は線を戻し、私が木片を置き直す。同じ条件で試すと木片はまた浮いた。
「もう持ち上げないでください。私も触りませんから」
私のお願いに師匠がうなずく。今度は板を机へ留め、私たちの手が届く所にマルタが紙を置いた。触る前に記録を書けということらしい。
それから範囲の線を開いた試験をした。木片は動かない。高さの指定を外しても動かず、元へ戻す線を閉じない場合にも上がらなかった。全部戻せばまた浮く。
私は失敗と成功を紙へ書き、線を戻した図をその下へ写した。師匠の装置と私の板を別々に眺めてから、両方を一枚の図へ描いた。
「これを魔法と呼んでもいいですか」
「糸も棒も使わん。触れていない物が上がる。名を付けるならそうなるな。ただしどうして文字と線でこうなるのかは分からん」
「私の書き方も関係しているのでしょうか」
師匠は新しい板を持ってきた。今度は師匠が文字を書き、乾くのを待つ間に食事をする。昼食のパンを半分かじったところで師匠が乾いたか確かめに立ち、マルタに席へ戻された。
師匠が作った板でも成功した。さらにマルタが止め金を外しても浮く。何か特別な力が自分にあるわけではないと分かったが、がっかりはしなかった。私がいない所でも使える魔法になったのだ。
師匠は夕方になっても装置の前を離れなかった。私は十回目を終えたところでいったん道具を片付ける提案をする。師匠は十一回目の欄を書いていた。
「明日もできますよね」
「できるか確かめるんじゃ」
「浮いたことは分かりました。降ろしてください。夕食の時間です」
マルタが時計をこちらへ向ける。いつの間にか帰る時刻を過ぎていた。師匠は木片が降りるのを待ち、明日は朝から来るよう言った。
戸口で手袋を探していた私は机の方へ顔を戻した。マルタが師匠に使い方を確かめてから止め金を外している。木片が上がるとその下へ指を通し、笑った。
私と目が合うと彼女はすぐ手を引いた。
「下に物がないことも確かめないといけませんから」
「もちろん。念のためもう一度やってもいいわよ」
師匠は十二回目の欄を作っていた。三人とも宿へ戻る時間を延ばしたかったが、結局マルタが線を外して私の手袋を渡した。
帰り道で私はほうきを持っていなかった。空いた手で何度も指を広げ、木片と同じ二センチの隙間を作った。大きな城門より小さな木片の方が、今はよほどよく思い出せた。
*
十一日目から浮かせる物を替えた。木片を二つにしてから空の箱へ替え、次に箱へ砂を入れる。重くなるほど装置のばねが早くほどけた。板へ書いた時間が同じでも、足りなければその前に支える力がなくなる。
箱を落とした時に私は飛び上がり、師匠は床へ置いた砂の重さを量った。次から試験台の下には厚い布を敷くことになった。
「線が切れた時も落ちました。止めるなら線を抜けばいいんですよね」
「それでは動力切れと同じじゃ。今は始めて終わるまでつながっておる必要がある。途中で止める方法も作る」
私は最初の板を出した。戻りの部分を残したまま保持だけをやめる線があればよい。師匠に相談すると同じ板へ細い線を加え、それを指でこすれる位置に置いた。
線を消すと箱は下り始めた。装置そのものを止めてしまえば落ちる。二つの違いを何度も確かめ、マルタが記録の欄を分けた。
「こちらを終了線と呼びましょう。線を抜くのと消すのを同じ止め方と言うと私が間違えます」
私も同じことを考えていたので賛成した。師匠は終了線の横へ指の印を描き、装置の接続部分には外すなと札を付ける。魔法使いの道具に注意書きが増えていった。
十三日目に床へ大きな銅線の輪を作った。小さな板の中ではなく、床の範囲を指定するためだ。私は箱を二つ並べ、箱の下にあった椅子を外へ出す。机の下を回した銅線が見えにくかったので紙の図も見直した。
重さは師匠が確かめた。保持は十秒、高さは五センチ。私は別の椅子へ座り、ひざの上で記録の紙を押さえる。
「それでは始めます」
師匠が装置を動かすと箱が浮いた。前から見ても二つとも上がっている。私は記録に丸を付けようとしたが、足が床に触れなかった。
目を下げると自分の靴と床の間に隙間がある。椅子の脚も四本とも浮いていた。
「師匠。私も浮いています」
「なぜ座った」
「記録を書くためです。あっ、これならほうきに座っても――」
「立たないでください」
マルタの声で膝を伸ばすのをやめた。椅子の下を見ると銅線が脚の向こうを回っている。出した椅子とは別の椅子も範囲に入っていたらしい。
高さは五センチしかない。私の足も伸ばせば床へ届く。それなのに体ごと浮いていると分かった途端に椅子の座面が頼りなく感じられ、私は両側をつかんだ。
「終了線を消します。体を動かさないでください」
私はマルタが板へ手を伸ばすのを見た。椅子が下がり、四本の脚が床へ戻る。師匠がばねの残りを確かめる間に私は椅子から降り、輪の外まで歩いた。
マルタは記録を終えてから私を見た。
「次に人を乗せるなら先に相談してください。私も伯爵様に何と書けばいいか考えなければなりません」
「乗せたつもりはなかったの。箱だけ浮くと思っていたから」
師匠が椅子へ重りを載せた。私と同じ重さにするとまた椅子ごと上がる。置いた箱だけを選んでいるのではなく、範囲の中の物を全て動かしていた。
板の端へ砂袋を載せ、半分を輪の外へ出して試すこともした。真ん中が円の中にある間は板ごと上がる。さらに外へずらすと上がらない。脚が全部入っている必要はなく、重さの中心がどこにあるかで変わるらしい。
私は床の輪の近くへ立つのをやめた。円が広い方が便利だと思っていたが、広げた分だけ中へ入るものを数えなければならない。
「椅子に乗っている私まで上がるのなら机の食器も一緒ですね」
「載っている物は支えられて動く。箱の砂と同じじゃ。家全体が浮くかは知らんが床に留めた物は今のところ動かん」
師匠は床へ留めた実験台を示した。人を座らせる必要がない試験まで私が手伝ったことになってしまったが、少なくとも次からは防げる。
その日の確認表には人と動物を範囲へ入れないことを書いた。椅子へ座る前にも線を見る。浮かせたい物だけでなく、周りにある物も確かめる。
師匠にも表を見てもらい、起動する前に三人で読むことにした。私は確認を頼むのが遅れたと父への手紙に書いた。マルタが読む前に削りたい文章だったが、削らずに渡す。
「けががなくてよかったというお返事になると思います。次の試験ではこの紙を使いましょう」
マルタは私の書いた表を折らずに装置の横へ置いた。宿へ持っていってからかうようなこともしなかったので、私は翌朝に同じ紙を読み上げられた。
十四日目に父から便りが届いた。予定どおり二十二日目に来ることと、人を乗せた試験をしないことが書いてある。魔法ができたという報告には、実物を見ながら説明を聞きたいとあった。
私は便りを師匠に見せた。研究を続けたいので何を見せるか相談すると、師匠は窓際の木片を指した。
「あれでいい」
「あれだけだと父が見落とすかもしれません。もっと大きな箱とか、仕事に使えるものはいかがでしょう」
「大きくするなら先に重さを試す。お前の父親が来るからといって規則が変わるわけではないぞ」
私がうなずくと師匠は紙の上へ装置の図を描いた。今まで試したより大きなばねを使う。私は高さより重さを増やす提案をして、荷物を上げ下げする実演に決めた。
空飛ぶほうきはまだ紙の端にいる。人を乗せないという父の返事を見て、その横へ線を引いた。ただし消したわけではない。
*
ユーゴさんが新しい実験台を運んできたのは十五日目だった。私は小さな箱を浮かせて見せ、彼の前で終了線を消す。ユーゴさんは箱の底をのぞき、その下へ手を入れたが師匠に引っ込めるよう言われた。
「本当に浮いてるな。重い物でもできますか」
「それを試すために大きい装置を作っています。いつかほうきに乗って空を飛ぶ予定なんです」
「ほうきは後でいいから、先に板を浮かせてくれないか。持ち上げて下へ台を入れられると助かる」
彼は私の図に空の線ではなく作業台を描き足した。板は二十センチ浮けば十分だそうだ。私は大きく飛ばす方が役に立つと思っていたが、仕事で持ち上げたい高さは随分低かった。
師匠が工房から装置の部品を持ち出し、ユーゴさんと実験台へ取り付けた。私は道具を渡して重さを量る。マルタは前庭の平らな場所を選び、机から離れた所へ記録用の椅子を置いた。
大きなばねを巻くには師匠とユーゴさんが交代する必要があった。二人が取っ手を回す間に私は輪の中へ砂袋を置く。一袋ずつ増やし、高さと保持時間を測った。
軽い物なら一分ほど動く。重くなると早く限界が来るが百二十キロまでは持ち上がった。それより上は安定しなかったため、実演の上限は百二十キロにした。私たちはその半分以下で試す予定を立てた。
高さは二十センチまで。砂袋を上げて終了線を消す練習を繰り返す。力が残っていればゆっくり下り、先に動力がなくなれば落ちる。どちらも砂袋で確かめた後に、私は終了線の場所へ手を伸ばす練習もした。
「これなら人が乗らなくても立派な実演になりますね」
私が言うと師匠が記録へ数字を書いた。装置を大きくしただけで違う魔法が生まれたわけではない。それでも荷物の重さまで増やせると分かったので、父に話すことは多くなった。
宿へ帰ってから必要な費用をまとめた。今ある道具と借りた道具を分け、ユーゴさんへ払う工作代も書く。私が出した図には不要な飾りがなく、マルタも直す箇所を二つしか見つけなかった。
二十一日目の午後に実演の配置を決めた。前庭には実験台と砂袋を置き、父の椅子を外へ出す。マルタがお茶の準備について尋ねたので来客用の机も頼むことにした。
私は二枚の紙を机へ並べた。一枚には魔法の範囲を円で描き、もう一枚にはお茶の机を置く場所を円で示す。椅子と通路を描き終わったところで師匠が部品を持ってきたので、紙を重ねて端へ寄せた。
ユーゴさんが工房へ顔を出す。
「机を置く場所は決まったのか。明日の朝に運ぶから先に印だけ付けておくぞ」
「その円のとおりでお願いします。椅子は外側です」
私は上の紙を渡した。ユーゴさんは円の横へ机と書き、前庭へ行った。私は師匠の部品を受け取り、そのまま装置の取り付けを手伝う。
戻ってきたユーゴさんが前庭の印を指した。師匠はその円に合わせて最後の銅線を敷くと言う。私は制御板の数字を見直していたのでうなずき、巻き上げ回数の欄を埋めた。
夕方の練習では砂袋が浮いた。円の外には椅子があり、記録の紙も工具も置いていない。三十キロの砂袋を二十センチ上げて三十秒保持し、最後に下ろす。途中で終了線を消す試験もできた。
机は翌朝に届くのでまだなかった。私は父への説明を繰り返し、師匠が途中で専門の言葉を入れるたびに聞き直す。父の質問に答えられなくても師匠へ任せればよいと思っていたが、私の板の話だけは自分でする必要があった。
「文字を変えたら何でもできますかと聞かれたら?」
「試していないと答える。飛ぶとも火が出るとも言うな」
「どうして浮くのかと聞かれたら」
「まだ分からんと答える。分からんところを作り話で埋めると、その後の実験までおかしくなる」
私は説明用の紙から、いつか何でもできるようになるという一文を消した。代わりに今動かせる重さと高さを記す。空飛ぶほうきの図は紙を裏返せば見える位置へ移した。
マルタが紙を取り上げ、裏まで目を通した。父が裏返す前に自分から話すかどうかは明日決めることにする。
*
父は二十二日目の昼前に着いた。村へ馬車を置いて山道を上ってきたので靴に泥が付いている。私は父を迎えるため外出着に着替えていたが、父の上着の方が汚れていた。
「歩くと少しありますね。お疲れではありませんか」
「娘が毎日歩ける道で私だけ疲れるわけにはいかない。ここが工房か」
父は前庭を見回し、工房から出てきた師匠へ挨拶した。師匠も今日は袖の焦げていない上着を着ている。丸い眼鏡はいつものままだった。
「ベルツ氏。娘が世話になった。手紙は読んだが実際にどういう仕事をしているのか聞かせてもらいたい」
「計測と作図をやっとります。算術ができるので助かる。手袋を置いた場所はよく忘れますがな」
父が私の手元を見る。今日は忘れずに持っていたので、私は両手を前で重ねた。師匠は父へ工房の中を見せ、私は図面と記録を説明する。
円と文字と装置。以前の失敗した板も机へ並べた。父は前の板と今の板の違いを尋ね、師匠は力を動かす所へ指を置く。私はその先にある戻りの線を示した。
「始めるところだけ作っても働きませんでした。範囲と上げる高さと元へ戻す時間を一緒に決めたら浮いたんです」
「それはお前が考えたのか」
「下ろさないと困るとは言いました。つなぎ方は師匠に教わっています。私だけで書いたものでは浮きませんでした」
父は二枚を見比べた。なぜそれで浮くのか尋ねられたので、昨日練習したとおりまだ分からないと答える。自分の手柄まで消える気がしたが、師匠も同じ返事をした。
「同じ条件ならまた起きます。違う条件で動いたことにしてはいません。記録はこちらです」
マルタが日付のそろった帳面を差し出した。父は何枚かめくり、椅子に乗った私が浮いた日の記録で手を止める。私は次のページを見せたくなったが、父が読み終えるまで待った。
「これはやめたのだな」
「はい。今日も人を浮かせる予定はありません。砂袋を持ち上げます。重さと高さは試験済みです」
前庭ではユーゴさんが来客用の机を置き終えていた。脚が円の外へ出る細長い机で、その上には敷物とお茶の道具が並んでいる。私は朝からそこへ資料を置き、マルタがカップを運んだ。
ユーゴさんにお礼を言って父を椅子へ案内した。父の椅子は銅線の輪から十分離れている。私たちは机を回って砂袋と実験台の間へ立った。
「上げる高さは二十センチです。保持は三十秒。全部終わる前にも下ろせます」
私は手動の終了線を見せた。制御板は輪の外に置いた実験台の下の棚にある。道具をぶつけたり風で飛ばされたりしない場所としてそこを選び、昨日の練習でも同じ所で操作した。
マルタがお茶を配った。父がカップを持ち、机の上の資料へ目を落とす。師匠は巻いたばねの残りを確かめ、私は確認表を読む。
人は輪の外。工具も外。砂袋の重さは三十キロ。高さも時間も昨日と同じ。ユーゴさんは輪の外へ移り、マルタも父の横へ下がった。
「始めます」
私は止め金を外した。ばねが動き出し、砂袋が上がる。昨日と同じ高さで止まったので父へ顔を向けた。
「ご覧のとおり、荷物に触れずに――」
父がカップを持ったまま肘を引いた。受け皿へ戻そうとした手が下へ届かず、今度は上へ動く。机が父の前で持ち上がっていた。
資料もお茶も机に載ったまま上がる。四本の脚と地面の間へ隙間ができ、敷物の端が揺れた。
「リゼット。これも予定に入っているのか」
「入っていません。お茶の机は浮かせません」
言っている間に机は二十センチへ達した。父の椅子は動いていない。だから余計に机だけ高くなったことが分かり、私は父の膝と机の間へ手を出しかけた。
「装置を止めるんじゃないぞ。終了線を消せ」
師匠の声で私は方向を変えた。同時に前庭へ風が吹き、机の敷物が一方へ寄る。輪の外へ張り出した机の端で皿が傾き、マルタが両手で受け止めた。
ユーゴさんも輪の外から机の端を支えた。私は皿を取りたくなったが父に停止を先にするよう言われた。制御板へ手を伸ばすには実験台の下へ入る必要がある。
昨日ならしゃがんで届いた。今日は袖口の広い外出着で、しゃがむと片方の袖が板の上へ垂れた。指を動かす前に袖が別の文字へ触れそうになる。
「袖を押さえます。お嬢様はそのままで」
父がマルタから皿を受け取った。空いた手でマルタが私の袖をまとめ、後ろから腕を持つ。私は片膝を地面に付け、棚の奥へ指を伸ばした。
円と高さと時間。消すのはそのどれでもない。隣の終了線だ。私は腕を曲げて位置を確かめ、指先で短い線だけをこすった。
机と砂袋が下がり始めた。敷物の端がユーゴさんの腕に掛かり、傾いたカップからお茶がこぼれる。マルタが前掛けで受けたが、その下から流れたお茶は私の靴へ入った。
冷めかけていたのは助かった。足を引きたかったが指を動かすより先に体を動かすのは嫌で、私は板から手を離した後に棚の外へ出た。
机の脚が地面へ戻った。ユーゴさんが敷物を直し、父が皿を置く。師匠は装置の音を聞いてからばねの残りを確かめた。
「間に合った。まだ動力は残っとる」
私は立ち上がって机を見た。割れた食器はない。砂袋も元の位置へ戻っている。マルタの前掛けと私の靴がぬれ、父の袖にもお茶がかかっていた。
「申し訳ありません。机が円の中に入っていたようです」
私は机の下から銅線を見つけた。脚は輪の外でも机の真ん中は中にある。床から少しだけ椅子が上がった時に、自分で確かめた性質だった。
しかし昨日の図では机は外だったはずだ。私は工房へ戻って二枚の紙を持ってきた。ユーゴさんも自分が受け取った紙を出す。円の横に彼が書いた机という文字がある。
師匠がその円を指した。
「これを作用する範囲だと思って線を敷いた。砂袋もその中へ入れた」
「俺は机を置く所だと思って印を付けたんですが。お嬢さんはこの紙を渡しましたよね」
私は二枚を並べた。魔法の範囲を描いた紙には机が外側にある。来客用の紙では机を囲む円がある。どちらも上から見た前庭の図で、私の書いた円の形も同じだった。
「私がどの円なのか言いませんでした。机を置く印にも同じ形を使っています。師匠が線を敷く時に図を合わせて見なかったので、それぞれ別のことをしているのに気づきませんでした」
「わしも紙を確かめず床の印だけ見た。昨日は砂袋しかなかったので違いが出んかった」
朝の確認で机も見た。けれど私はお茶を置く物として見て、浮く物の数へ入れていなかった。足元に人と工具がないことだけ確かめ、その真ん中にあった机を外していた。
父は靴の先へ付いたお茶を拭いていた。私は紙の上に手を置き、机の場所へ四角を描き直す。魔法の円には範囲と大きく書いた。
「次はこの二枚を一緒に見て配置を決めます。机を置いた後でもう一度確かめます。確認表にも机と食器を書きます」
マルタが今の表へ印を付けた。終了線は消せたことと、人が範囲へ入っていなかったことも記録する。本人の前掛けはまだお茶を含んでいる。
父は私の修正した紙を受け取り、師匠へ差し出した。師匠が図の位置を直し、銅線を敷き直す距離を記す。ユーゴさんは机の重さを答えた。二十五キロで、食器とお茶を加えても全体で六十キロほどだった。
「重さは上限を超えていません。ただし予定した物ではありませんでした」
私が言うと父は紙を机へ戻した。
「動かす方法は実物で見られた。止める方法もな。だが今日の配置のまま他人へ貸すわけにはいかない。図を区別して、使う場所まで確かめてからもう一度試すこと」
私はうなずいた。研究を続けたいと言おうとしたが、父が費用の紙へ手を伸ばす。まだそれを渡していなかった。
「こちらも説明してくれ。宿代と材料代は分けたのだな」
そのまま私は研究を続ける予定を話した。工房の床と棚を直したいこと。机を運ぶ時に銅線を踏まないよう置き場所を変えること。ユーゴさんの仕事で使えるか確かめる試験もしたい。
父が費用の数字へ指を置くたびに私は帳面を開いた。宿に泊まり続けるのではなく、週のうち決めた日だけ来ればよいと話すと滞在費の欄が減る。工房へ通う日は前もって決め、屋敷の仕事も残さないと約束した。
マルタが布を渡してくれた。私は靴の中を拭くため片足を抜き、片方の靴だけを履いたまま次の費用を説明する。父もぬれた袖口を折り上げて聞いていた。
「材料費と工房の修理費は出そう。まずはその配置の試験までだ。結果を見て次の分を決める。ベルツ氏には記録と支出を定期的に見せてもらいたい」
師匠は条件を聞いて承知した。私は靴を履き直すのを忘れて父を見た。
「弟子を続けてもいいのですね」
「今そういう話をしたつもりだったが。家の用事も忘れないように」
「忘れません。今日のことも全部記録します」
父が表の机の欄を確かめてからカップを取った。今度は受け皿へ普通に戻せる。残ったお茶を飲み終えると、父は費用の紙をもう一度見た。
「ただし食卓を浮かせる費用は交際費に入れないでくれ」
私は工作代の横へ実験用と書いた。父はそれを読んで紙を返し、ユーゴさんに机を円の外へ移すよう頼む。師匠は私の袖がまた垂れないよう結ぶ物を探していた。
机の脚を動かす前に銅線を片付ける。食器を運ぶため私は靴を履き、マルタの前掛けを受け取った。研究費を出すという話の後にも片付けは残っていたので、父が帰るまでに手を空けるため四人で動いた。
*
その日の夕方に私は父と屋敷へ戻った。馬車の中で実演の図を描き直し、父に見てもらう。父は自分の椅子の位置を見つけ、その前の机には浮かせないと書いておくよう言った。
私は四角の中へ文字を書いた。ついでに来客用の図にも大きく名前を付ける。二枚を並べた時に別々の役目だと分かるよう、紙の角にも違う印を入れた。
屋敷へ着いてから三週間の記録をまとめた。何も動かなかった日も、椅子に座った私が浮いた日も残す。師匠が木片を落としたことも書いた。そこを削ると動力を切る危険が分からなくなるので、師匠には後から確認してもらうことにした。
毎日工房へ行っていた間に用意してもらった書類も机に積まれていた。私は一つずつ読んで数字を合わせ、分からない所は父に聞いた。研究費の帳面より先に家の分を終えると約束したので、次の訪問までに片付ける必要がある。
七日後にまたトルネ村へ向かった。今度は三日間の滞在で、残りの日は屋敷で仕事をする。行きと帰りに半日ずつかかることも予定に入れ、宿には泊まる日だけ部屋を頼んだ。
荷物は前掛けと作業服と帳面。星模様のマントは置いてきた。マルタがかばんを確認している横で私はほうきを馬車へ載せた。今度は掃除用だと説明したが、彼女は何も尋ねていなかった。
村ではユーゴさんが材木を積んでいた。私たちの馬車を見ると道具袋を持って寄ってくる。工房の床を直す仕事と一緒に、板を持ち上げる試験も頼みたいという。
「先生から聞きました。伯爵様が費用を出してくれるそうですね。まずは重い板を二人で持たずに済むか試したいんです」
「板の重さを量ってからにしましょう。載せる台の場所も先に決めます」
私は帳面を開き、ユーゴさんの仕事の欄を作った。彼は板の種類を答えてから、使えるようになれば一日に何回動かせるかを尋ねる。まだそこまで試していないので、分かる所から書いた。
工房では師匠が床の部品を片付けていた。いつもの作業着へ戻っている。私が父へ渡した記録を見せると、師匠は木片を落とした箇所も読んだ。
「落とした理由が違う。板を持ち上げた時に接続が抜けたんじゃ。板を動かしただけで落ちるように書くな」
私はその場で文を直した。師匠は直した部分へ印を付け、次の試験の紙を取り出す。今日から使うものには図の名前が先に書いてあった。
工房の前庭で配置をもう一度確かめた。お茶の机は円の外へ置く。机を運んだ後に銅線の位置を見て、机の真ん中まで距離を測る。人のいる場所と道具を置く場所も図に写した。
砂袋が上がった。机は動かなかった。私は同じ場所で二度繰り返し、三度目はマルタに起動してもらう。彼女は終了線を消した後に時計を見て、三回とも同じ結果だと書いた。
「お茶は普通に飲めるようになりましたね」
「お茶を飲むために魔法を作ったわけではないわ」
「ではお茶を浮かせないための確認が済んだということで」
師匠が記録の横へ自分の名前を書き、私にも書くよう紙を寄せた。私はリゼット・フェルネと記す。次にマルタが計測係として名を書いた。
実験台には装置の番号と師匠と私の名前を付けた。ユーゴさんが木の札を作ってきてくれたので、機械の正面へ取り付ける。自分の名がばねの隣にあるのを見ると、手袋を外して札の位置を直したくなった。
「動いている時は触るなよ」
師匠に言われ、私は手を引いた。自分の名前を付けても注意される方は変わらないらしい。
ユーゴさんの板を試すのは午後からにした。重さを量ってから円の中へ置き、浮いている間に台を差し込めるか図で確かめる。手を下へ入れない方法が必要なので、長い棒を使う案を師匠と相談した。
まだ誰も板の下へ手を出していない。紙の上で順番を決めているところへマルタが昼食を運んできた。私は帳面を閉じ、机へ近づく前に地面の銅線を見た。
食事の後に少し時間が空いた。師匠が板を測り直している間に私はほうきを制御板の円へ横に置いた。持ち主の名前が書かれた柄を中央へ合わせ、二十センチと四十秒を記す。
マルタに確かめてもらって止め金を外す。ほうきが上がった。穂先も柄も同じ高さで止まり、私の膝より低い所へ浮いている。
上から見ても下から見てもほうきだった。取っ手も座面もないが、まずは飛ぶところまで来た。私はその横へしゃがみ、柄の先が向いている窓を見た。
ほうきは窓へ進まない。私が反対側へ回ってもその場にいる。上げ下げする魔法なのだから当然で、座る試験は今も禁止されたままだった。
「横へ進める方法も考えませんか。今の指定には上と下しかありません。向きを決めたらできるかもしれません」
師匠がほうきを見てから私の板を見る。
「試す価値はある。ただしいきなりほうきを動かすな。木片からじゃ。止める場所も決めろ」
私は帳面の新しいページへ窓とほうきの図を描きかけ、ほうきを木片へ描き直した。工房の端へぶつかる前に止める線も加える。師匠が指で距離を示したので、その長さを記した。
マルタが時計を机へ置いた。私は帳面へ次の試験の高さを書き、今も浮いているほうきを見上げる。師匠が窓までの距離を測ろうと立ち上がったが、彼女は床に落ちた木くずを指した。
「お嬢様。そのほうきを降ろしてください。掃除に使います」
「世界初の空飛ぶほうきなのに?」
「床から離れているだけです。木くずは床にあります」
私は終了線を消した。降りてきたほうきを手に取り、工房の隅から木くずを掃き集める。師匠は木片を円へ置き、マルタは私が掃いた所へ記録用の椅子を運んだ。




