記憶の欠片:高校生活(2)
気づくと場面が移り変わっていた。
景色は屋上から一転、室内へ。一瞬、桐馬はそこが取調室か何かだと錯覚した。
四角い部屋だった。壁際に並ぶ本棚には無数のファイルが並んでいる。何かのバックナンバーのようで、背表紙には油性ペンで日付が書かれている。
無骨なグレーの机を一つ挟み、桐馬と成人男性が向かい合って椅子に座っていた。机には水の入ったコップが置かれているが、互いに手を付けていない。男性はメモとペンを持ち、前のめりになって椅子に腰掛けている。彼が背にした窓はブラインドで覆われ、部屋全体が薄暗い。唯一の出入り口は桐馬の後ろにあるが、そこには体格のいい二人が警備員よろしく並び、逃走を封じている。三人ともスーツに身を包んでいた。
この場所がなんなのかも、彼らの正体も、桐馬にはわかっていた。
ここは学校にある生徒指導室だ。対面して今にも怒りを噴出させそうな赤い顔をしているのが指導担当の教師。背後にいる筋肉質なふたりは、体育系の教師だ。
この記憶には覚えがあった。当時は女子生徒への性的暴行事件が続いており、桐馬はその参考人として呼び出されていたのだった。
応じないという選択肢もあったのだが、下手に逃げ回ったり黙秘したりして、やってもいない罪を被せられてはたまらない。加えて旧校舎にたむろしている奴らが実行犯だ、という確信があったので、知っていることをさっさと話して解放してもらおうと考えていた。
生活指導はメモを参照しながら、感情を無理やり抑え込んだような声で言った。
「──もう一度情報を整理させてほしい。金澤が見たのは、被害者の女子生徒が旧校舎に引きずられていく姿。直接手を出していたのは二年の若山と小西という生徒で、三年の田辺という男子が命令していた。そこから先のことは見ていないが、女子生徒の悲鳴は聞いている……これで間違いないか?」
「そうだ」
桐馬が肯定すると、生活指導がペンを持った手を振りかぶり、机に拳骨を叩き込んだ。コップの中の水面が揺らぎ、少なくない量の水がこぼれた。
衝動的。そう見て取れた。
「……なあ金澤。俺は確かに、お前は不真面目な生徒だと思っているが、お前にだって良心のひとつくらいあるだろう。その時は授業中で、先生も生徒も、誰もそんなことが行われているなど気づけなかった。お前だけだ、お前だけに佐々木を助けるチャンスがあった。どうして助けてやらなかった?」
「そりゃ、俺がその様子を見てたのは屋上からだったからだ。助けるにしても、手が届かなきゃどうしようもない。俺が叫んだくらいで手出しをやめるような連中じゃないだろ」
「降りていって止めることも出来たはずだ」
「やだよ、面倒くさい。そりゃあ、女の本気の悲鳴はやかましかったさ。でもそれだけだ。俺には実害がなかった。あと、俺一人じゃどうしようもねえだろ。旧校舎にいたのがその三人だけだとでも思ってんのか?」
「だったら我々教師に知らせたり、警察を呼んだりなど、いくらでも手立てはあったはずだ! それをお前は傍観していた! お前がやっているのはあのバカどもと大差ない、暴行に加担していたようなものだ!」
「なんでそうなんだよ。俺がレ◯プしたわけじゃねえだろうが」
ヒートアップしていく教師を前に、桐馬はあくまで冷静だった。肘置きがないので、自分の腿を代わりにして、頬杖をついた。
「大体な、俺はあいつらと不干渉を貫いてんだよ。理由は簡単、関わりたくねえし関わる利益もねえからだ。あいつらがいくらサカってようが、男のケツに興味はねえようだしな。これまではそうして上手くやってきた。だが、もしあんたらや警察にチクったのが俺だと知れたら、次に終わるのは俺の平和なんだよ。それがわかった上で言ってんのか?」
「そんな自己保身的な理由で、お前は佐々木を見捨てたのか?」
「大体佐々木って誰だよ。話したこともなきゃ顔も知らん。そもそも、俺は引っ張られてたのが佐々木ってやつだった、ってことすら知らなかった。屋上の高さから顔の見分けなんかつかねえよ」
「……わかった、もういい」
生活指導は諦めたように呟き、メモを閉じようとする。
──聞きたいことだけ聞いて、言いたいことを言い尽くして勝手に終わりにするなよ。こっちにだって言ってやりたいことはある。
「──屋上から見ていた俺が、どうして佐々木を旧校舎に連れ込んだのが若山、小西、田辺だとわかったかについての説明はしなくていいのか?」
「っ」
桐馬の冷ややかな声に、生活指導は息を呑んで硬直した。
「おかしいとは思わないか? 俺は今、屋上からは誰の顔かなんて分からないと言った。そんな俺が、不良グループの中で関与していた人間の名前だけは、つらつらと並べ立ててみせた。こいつらの名前を言え、とあらかじめ命令されていたみたいには聞こえないか? ──本当に真面目に調べる気があるのか?」
「……我々は至って真剣だ。名前が出た人物については、少なからず関与が疑われる。仮に本当の犯人がいたとして、そこから芋づる式に見つけ出していくだけだ」
「だったらその前に、もっとやるべきことがあるだろ……」
これがこの学校で生活指導を担う教師の姿か。呆れて反吐が出そうだった。
「あんたらだって、連中が前々から旧校舎を根城にしていることは知っていたはずだ。それを放置していたあんたらにも原因の一端はある。さっき俺に、『お前は見ていただけで行動を起こそうとしなかった、だからお前も共犯だ』的なことを言いやがったよな? だったらあんたらだって消極的な共犯だ。さっさと徒党組んで旧校舎に乗り込むなり、旧校舎自体を潰すなりしてりゃ、こんな事態にはなっていなかったんじゃないのか?」
「……」
「それに、こんな話は今までだって何回もあった。あんたらの元にも話が舞い込んでるはずだ。それが今回に限って、そんなに躍起になっている理由は何だ? 今まではいじめの延長線上として学校が内々で処理してきたのに、今回ヤられた佐々木とかいう女子生徒が『警察に被害届を出す』とでも言い始めたからじゃないのか?」
生活指導が歯をむき出しにし、視線の鋭さが格段に増す。図星だったようだ。
「事態を傍観していたのはどっちだよ。お前らが奴らの増長を招いた。単なるガキの俺と違って、あんたには大人、教師、生活指導って立ち場がある。俺とあんたには責任の大きさにバカみてえな差があんだ。あんたはその責任を棚に上げて、俺みたいな本来無関係だったはずのガキにてめえのケツから出たクソをなすりつけているだけだ。理解できたか?」
「……佐々木の件については以上だ」
今度こそ、生活指導はぱたりとメモを閉じた。
話は終わりだ。ようやくこの閉鎖的な空間から解放される。そう思って腰を浮かせた桐馬を、生活指導の次の言葉がその場に釘付けにした。
「用件はもうひとつある。金澤、お前の単位についての話だ」
無意識に舌打ちが出た。
「……それこそどうでもいいことだ。俺の単位がどうなろうが俺の勝手だろうが」
「俺には生徒を正しく導く立ち場と責任がある。たった今、それを思い知らされたところでな」
そういう言い方をされてしまえば、桐馬は大人しく椅子に腰を下ろすしかない。生活指導は桐馬を言い負かしたことに気を良くして、メモ帳をパラパラとめくった。
「金澤桐馬一年。推薦合格にもかかわらず、入学直後から授業にはほとんど出席していない。既に一年留年しているにも関わらず危機感が感じられない。年度が始まって三か月ながら、一部教科については年間出席日数の不足が確定している。定期テストも受けておらず、提出物もこなしていない。現状全教科において、成績を1とせざるを得ない状況となっている」
「それがどうした。俺が何回留年しようがどうだっていいだろ。高校ってのは義務教育じゃないんだろ? だったら好きにやったって構わねえだろうが」
「金澤の合格枠が推薦という部分が重要だ。推薦入学の生徒がこれだけ模範とはかけ離れた学校生活を送っているとなれば、来年度以降、金澤の出身中学から出願してくる推薦入試の生徒たちを見る目が変わってしまう。色眼鏡で見るだけにとどまらず、下手をすれば枠自体を削ることになるかも知れない。お前のせいで後輩に迷惑がかかることになる」
「知ったことか。俺みたいなやつを推薦枠に入れた中学校教師に責任がある」
「そこで教師陣は、挽回のチャンスを用意した」
「話聞いてるか?」
桐馬が声を荒げるも、生活指導はそれを置き去りに、淡々とメモの内容を読み進めていく。
「夏休み期間、お前には各教科の特別補習と、そこで学んだ内容についての試験を受けてもらう。他の生徒が三か月かけて学んだ分を、お前には一ヶ月でこなしてもらうことになる。当然、今まで休んでいた分、休日は一切なしだ」
「誰が通うかよ、そんな地獄みてえなスケジュールで」
「夏休み最終日に行うテストで一つでも赤点があった場合、お前の出身中学から推薦枠が消えることになる。覚悟して励め」
「あ? 決まるのは俺の留年が先だろ」
「推薦枠は遅くとも夏の終わりまでには通達しなくてはならないからだ。──補習の欠席やテストの赤点がみられる場合、9月の連休や冬休みまで潰れることになるが、その段階でも単位の巻き返しは可能だ」
今度こそ、生活指導はメモ帳を閉じ、スーツの懐にしまい込んだ。
「佐々木の件ほど公ではないが、お前がいじめをしているという噂も耳に届いている。授業に出ないだけならお前一人の責任だが、他人に手を出しているとなると一気に旗色が悪くなるぞ。最後には自分の首を絞めることになる。──話は終わりだ。他の生徒達は授業中だからな、廊下は静かに移動しろ」
「教室に戻って授業に出ろ、とは言わないんだな」
桐馬が立ち上がると、扉を塞いでいた体育教師が、桐馬をじろりと睨みながら左右に捌けた。
「ああ、ひとつ言い忘れていた」
ドアノブに手をかけて傾ける直前、桐馬は振り返って呟き、生活指導の目を見た。
「なんだ?」
「二年のワカヤマと、コニシと、三年のタナベだったか? 俺はそいつらのことなんか知りやしない。そもそも不良グループにそんな名前のやつはいねえよ。この学校にそんな名前の生徒が存在してるかどうか自体、怪しいもんだ」
「……は?」
ぽかんと空いた口に、桐馬は擦り付けられたクソをぶち込み返すつもりで言い放った。
「物わかりが悪いな。俺がこの場で適当に考えて並べ立てた名前だってことだよボケ。教師なら普通、生徒の名前を聞いたらすぐにピンとくるだろ。それが目をつけておくべき不良生徒となればなおさらだ。だがあんたは、少しも疑問を持たずにさっさとメモを読み進めていった。あんたが持っている生徒に対しての興味なんか、所詮はそんなもんだってことだ」
桐馬の捨て台詞に、生活指導は青筋を立てて立ち上がった。机を乗り越えて拳を振りかぶっているのを、二人の体育教師が必死に止めている。その様子を尻目に、桐馬は廊下に出た。




