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時速60kmのアキレス  作者: 朔良 海雪


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24/30

記憶の欠片:文倉史郎(4)

 史郎との逢瀬が続く中、時間は流れ、桐馬は中学に上がっていた。


 と言っても学年の面子に変わり映えはなく、相変わらず教室での桐馬は黙殺被害者としての地位をほしいがままにしていた。クラスで使わなかった言葉の分は、全て史郎との会話に向けられていた。


 優馬はというと、そんな何の進歩もみられない桐馬を嘲笑うかのように、鋭く尖った成長を見せた。自分勝手な性格に磨きがかかり、最近はますます古書店に連れてくることは難しくなりつつあった。この間など、スーパーで他の客の買い物袋からお菓子を盗み出してしまった始末だ。


 史郎とは年の離れた友人のような関係だったが、桐馬が唯一話せずにいた話題が、優馬の蛮行についてだった。とはいえ、流石にこの時ばかりは話題に出さざるを得なかった。桐馬が肩を落としながら相談すると、さすがの史郎も難しそうな顔をした。


「──そうか、そんなことがあったのか。子供のやることとはいえ、確かに度を超えておるかもしれんな」


「この間は保育園で問題を起こして退園することになっちゃったし……幸い、連休中に別の保育園を見つけられたんですが、今までよりも遠くの園になってしまって」


「それでこのところは、うちにいられる時間も短くなってしまっていたというわけか。なるほどのう。親はどうしておるのじゃ?」


「さあ。このところはほとんど顔も見てないし……多分夜の街で遊んでるんだと思うけど、家に帰ってきてるかどうかもわかりません。たまに記帳を済ませた通帳が放置されてるから、帰ってきてることだけは間違いないと思うんですけど」


「儂が言えたことではないが、健全な家庭、とは言い難い環境じゃの」


 聞いていられん、と史郎は煙草を取り出した。それを見た桐馬は、すごすごと首を引っ込める。


「……やめましょうか、この話。史郎さんに相談しても仕方ないですし」


「なぜじゃ? ひとりでは持て余しておるんじゃろう。話を聞くことくらいしか出来んが、それで楽になるなら話していけばいい」


「だって史郎さんが煙草を吸う時って、大抵気分が悪くなるような話をしているときじゃないですか」


「……気付いておったか」


 史郎は少しだけためらった後、煙草の箱を叩き、飛び出してきた一本を口で直接捕まえた。


「すっかり癖になってしまってのう。気分だけでも紛らわせようとしてしまうのじゃろうな。……どれ、お主も吸ってみるか? これだけでも少しは楽になれるかもしれん」


「だから、未成年だっていつも言ってるじゃないですか」


 赤熱する煙草の先を見つめながら、桐馬がぴしゃりとたしなめると、史郎は肩を竦めた。


「だから史郎さんに相談しないほうがいいかなって思ってたんですよ。少しは自分の身体を労ってください」


「この年になるとな、長生きする秘訣は精神にあるのじゃ。身体はとっくにガタがきて、なにかの拍子にぽっくりくたばったとしても何の疑問もない年齢じゃ。そんな身体を動かすことができる要因があるとしたら、それはもう精神力以外にあるまい。つまりな、こいつは儂にとってのガソリンみたいなものなのじゃよ」


「そのガソリンでさらに身体を悪くしていては世話ないでしょう。酸素のほうがずっと美味しいと思います」


「その酸素だって、エネルギーになると共に身体を酸化させていくものじゃろうて」


 桐馬が咎める間にも、史郎は体内に紫煙を取り込んでは吐き出す。煙が桐馬に向かないようにしてくれてはいるものの、部屋には明らかに身体に悪そうな匂いが充満し始めた。


「……して、弟がお菓子を盗んでしまった話じゃったか。盗んでしまった相手は分かっておるのか?」


「いえ、それがまったく分かっていなくて……お店に言い出して監視カメラで確認してもらうべきだとは思うのですが、どうしても言い出すことが出来ずに、もう数日が経ってしまいました」


「ふむ。つまり盗まれた側は店に届け出ていないということか。もし被害者側から話が上がれば、店側ももうカメラを確認しておるじゃろうし、警察にまで話が行っていてもおかしくはないからのう」


「け、警察……」


 桐馬がびくりと身体を震わせる。


「じゃがそうなっていないということは、相手も盗まれたことに気がついていないのではないか? だとすればあえて言い出すこともあるまい。たかがお菓子のひとつじゃろう。そのうち水に流れる」


「でも、もしバレたときのことをずっと考えてしまって、夜も落ち着いて眠れなくて……自首したほうが気も楽になりそうですし、自分の方から白状したほうがいいんじゃないかと、いつも考えているんです」


「件のスーパーには通い続けておるのか?」


「一応は……変に店を変えると、逆に疑われてしまいそうで。子供だけで買い物に来る客というもの珍しいですし、普段から目立っているのではないかと」


「相変わらず自意識の強さじゃが、確かに店を変える必要はないじゃろうな」


「……というと?」


「仮に弟の盗みが露見したとしよう。その時にお主が普段使いする店を変えていたら、まるで盗んだことが分かっていて逃げたようではないか? じゃが変わらず利用し続けていれば、弟が勝手にやったことだと言い張ることもできなくはない。その上できっちりと謝罪、賠償をすれば、お主を咎める者はおらんじゃろう。気付いていないふりをしてそのスーパーに通い続けるべきじゃ」


 史郎の意見は、一見して真っ当なものに思えた。しかし桐馬はすぐにそれを飲み下すことは出来ない。


「……でも、それって優馬に全責任を押し付けることになりますよね」


「まあ、そうなるじゃろうな」


 桐馬の反論に、史郎はあっけらかんと答える。


「じゃが、実際に盗んでしまったのは弟に間違いないのじゃろう? 責任は押し付けているわけではなく、最初から弟にしかない。お主が気に病む必要はない」


「僕が優馬を買い物に連れて行ったんですから、僕にだって責任はあると思います。保護者みたいなものです」


「保護者の責任というのなら、本来の保護者である母親がそれを負うべきじゃろう。それこそお主は、母親から責任転嫁を受けているような立ち場だ。どちらから見たとしても、お主に責任などありはせん」


「……そうですかね」


 いつもこの調子で、史郎は桐馬にだけ甘かった。


 また、桐馬が美玖とのクリスマスデートを約束してしまい、優馬の扱いに困っていた時のこと。


「そういうことなら、儂のところに預けていけばよかろう。まる一日面倒を見てやっても良い。お菓子を用意してテレビを付けておけば、大人しくしておるじゃろうて」


「そういうわけには……優馬ももう五歳です。だいぶ大きくなったし、一人で留守番できるとは思うんです。でもやっぱり心配で、できる限りの準備をしていきたいと思うんです。なにかいい方法はありませんか?」


「そうじゃのう……」


 桐馬は先人の知恵を借りるべく、史郎に相談を持ちかけていた。桐馬のわがままじみた問い掛けにも、史郎は真剣に頭を悩ませてくれた。


「どう対策を取るにしても、緊急時に連絡を取れる手段は用意しておくべきじゃろうな。弟は電話は使えるのか?」


「いえ、うちには電話がなくて……あ、でも、アパートのすぐ外に公衆電話があります」


「だったら、その使い方くらいは教えておいたほうが良さそうじゃのう。あとは、窓の鍵を確認したり、食事を用意しておいたり……遅くなる可能性があるのなら、部屋の電灯もはじめからつけておくと良いじゃろうな。念のため、ガスの元栓なども締めておけば安全じゃ」


「なるほど、ガスの元栓……」


 普段料理をせず、ガスを使わない桐馬にはない視点だった。史郎が挙げていくタスクを一つ一つ、忘れないよう頭の中に刻み込む。


「仕上げに、いい子にしていたらおやつを買って帰ってくる、とでも約束しておけば万全じゃろう」


「ありがとうございます、最近の優馬は大人しいですし、ここまでやれば大丈夫そうです」


 桐馬が頭を下げるが、史郎はなおも納得していないようだった。


「のう、やはり儂が面倒を見るのが良いのではないか? どれだけ策を講じたとしても、小さな子供は何をしでかすかわからない。万が一ということがあろう。それに、いつ弟からの電話が来るか分からない状況では、せっかくのデートに心が向かんじゃろう」


「お気遣いありがとうございます。でも、うちの家庭の問題ですから。史郎さんにお願いするわけにはいきません。───それより、もう一つ相談したいことがあるんです。彼女から早めのクリスマスプレゼントをもらってしまって、それのお返しがしたいんですが、うちにはお金もないし……何を渡したらいいか悩んでいて」


「ふむ、珍しく真新しい上着を着ていると思ったら、そういうわけじゃったか」


 桐馬が羽織ったコートを眺めながら、史郎は感心したような声を出した。


「にしても立派なもんじゃのう。相当いい値段がしたのではないか?」


「値段も見ずに、僕に似合うって理由だけで決められてしまって……でも、このコートに釣り合うようなプレゼントなんて、どう頑張っても用意できるわけありませんし、どうしたものかと悩んでるんです」


「服に釣り合うようなものとなると、悩ましいのう……お主のことじゃから、儂が援助したものには価値がないと言い出しそうじゃしのう……」


 しばらくの間、史郎は唸りながら頭を悩ませていた。桐馬も同じように考えていたのだが、なかなか妙案は浮かばない。煙草が何本か燃え尽きたところで、史郎はぽんと手を打った。


「そうじゃ、うちの本から選んでいくのはどうじゃろうか」


「本?」


「古本ばかりじゃが、中身が読めさえすれば価値は変わらんじゃろう? 古かろうが新しかろうが、本の内容には貴賤がない。それに、お主が彼女のことを真剣に考えて選んだものならば、たとえ古本だったとしても、喜んでもらえるに違いない」


「なるほど……」


 確かに、桐馬が一番好きなものは間違いなく本だ。小学生の頃から何百冊も読んできた物語。その中からプレゼントを選ぶのだとすれば、それはとても自分らしいように思えた。


「とはいえ古いものばかりじゃからな、プレゼントする本が決まったら、儂に数日預けてはくれんか。図書館の本のように装丁すれば、多少は読みやすくなるじゃろう」


「ありがとうございます。早速選んできてもいいですか?」


「立ち読みは程々にするのじゃぞ」


 そうと決まれば善は急げと、桐馬は店先に並ぶ本棚へと駆け出していった。

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