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時速60kmのアキレス  作者: 朔良 海雪


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19/30

記憶の欠片:金澤優馬(6)

 葬式というものを経験したのは初めてのことだったが、存外あっさりとしているものだ。


 読経を聞きながら手を合わせ、回ってきた焼香を済ませ、長い割り箸で骨を拾う。子供用の骨壺にすっぽりと収まった優馬は、生きていた頃よりもさらにこぢんまりとしていて、軽かった。


 久しぶりに顔を合わせた母親は、桐馬のことを責めなかった。涙を見せることもなく、大往生の老人を見送るかのようにただ粛々と喪主を務め、最後は参列した人々にむけて無難な挨拶をしてやり過ごしていた。その挨拶を聞いていたのは、桐馬の祖母にあたる母親の両親と、保育園の関係者が数名だけ。


 孫を亡くした祖父母のほうが、母よりもよっぽど感情的に泣き崩れていた。式の段取りを終えた後で祖父が、お前の監督不行届きだ、と涙声で叫びながら、母の頬を張った。桐馬が弟に衝動的に手を上げたときよりもよっぽど大きな音がした。だが頬を赤くしながらも、母は感情を欠片ほども表そうとはしなかった。母にとっての両親に対してただ一度深く腰を折ると、桐馬の手を引いて式場を後にした。


 いずれ何かが起こることを予期していたのか、あるいは元々優馬に興味も持っていなかったのか。おそらく後者だろう、と桐馬は勝手に母の心の内を推測していた。元々桐馬たちの育児を放り出して、一人で遊び歩いていたと思われる母親である。桐馬からの信用は地べたを這いつくばって離れることはない。


 そんな母親とは対照的に、桐馬はひどく落ち込んでいた。時間が薬だとは言うが、葬式から通夜にかけてのわずかな時間だけでは、桐馬の心を食いつぶさんとする罪悪感には少しの効能も示さなかった。それどころか後悔の念は増していくばかりで、桐馬は常に独房で縛り上げられている囚人の気分を味わっていた。


 警察から状況の説明は聞いていた。


 優馬は何も事件に巻き込まれたわけではない。むしろ紛うことなき事故だった。目撃情報と現場の状況を組み合わせて検証した結果が報告された。警察によると、優馬は自分で窓の鍵を開け、ベランダから転落したのだという。


 優馬が転落する直前の時間に、ちょうど外を石焼き芋の屋台が通っていたらしいのだ。キャッチーな歌を垂れ流しながら住宅街を回るというよくある屋台で、桐馬も買ったことこそないが、存在自体は知っていた。寒い季節になると毎年、どこからともなくやってくるのだ。


 ここからは警察側の予測も含まれているらしいのだが、優馬はその屋台の歌に反応し、買おうとして外に出るつもりだった。優馬の手に公衆電話用に用意していた小銭が握られていたことが状況証拠になった。だが玄関の鍵は優馬には高く、手が届かない、やむなくベランダに出られる窓の方から外に出た優馬は、下に降りようとして、二階の高さから転落してしまったのだ。それを通りかかった住人が見つけ、すぐに警察と消防に連絡に連絡したのだが、いかんせん打ちどころが悪かった。


 警官は桐馬に詰め寄った。何故小さな子を残して外出していたのか。こういった危険があるとは思わなかったのか。弟のことが嫌いだったのか。その全てに、桐馬は素直に淡々と答えた。それが意外だったのか、警官は気まずそうな顔をし、それ以上の追及をしてくることはなかった。


 桐馬の心を苛んでいたのは、優馬が転落した原因だった。美玖とのデートにうつつを抜かし、優馬から目を離してしまったことが一因になっているのは言うまでもないことなのだが、桐馬の責任はそれだけではなかった。


 桐馬の口に入ったことがない以上、優馬も焼き芋を食べた経験はなかったはずだ。もしかすると保育園で焼き芋を与えられた経験があり、美味しさを知っていたのかもしれない。優馬は毎日変わらない簡素な食事に飽き飽きしていたのだろう。今思えば、あれだけお菓子を求めていたのも、単調な食生活に変化を求めていたのが理由なのかもしれなかった。


 食に頓着のない桐馬からすれば慣れっこだったなめたけご飯だが、優馬も同じだったとは限らない。


 つまり、初めからネグレクト気質だった母親を除けば、すべての原因は桐馬にあるのだ。優馬を殺したのはお前だ、と言われているのと変わらない。その事実が脳裏をよぎるたび、桐馬はその場にうずくまってしまう。


 気づけば年は明け、冬休みも明けていた。桐馬は、部屋の隅で異彩な彩りを見せる骨壺の袋を前に、何日もの間一歩も動けずにいた。いつ眠っていつ起きていたのか、食事はどうしていたのか、思い出すことは出来ない。ただじわじわと燃える線香が役目を終えると、震える手で次の一本を立て、火を灯すことだけを一心不乱に続けていた。


 もやがかかったような頭の片隅で、クリスマスデートの終わりに美玖と約束した冬休み中の勉強会を、結局一度もやっていないことを思い出した。だが今更会わせる顔もない。美玖の顔を見た瞬間に、連鎖的に優馬のひしゃげた顔を思い出してしまいそうだった。同じ理由で学校に行く気も起きず、一日中骨壺の前でうずくまっていた。優馬が好きだったテレビが相変わらずつけっぱなしになっていたが、桐馬の耳には内容が何一つ入ってこなかった。


 そんな絶望感のさなかにいた桐馬の心だったのだが、そこにある別の感情が芽生えはじめていることに、桐馬は薄々気付いていた。


 その感情を肯定してはいけないと、桐馬はあえてそれを押し殺していた。決して表に出してはいけないものだということを確信していたからだ。もしその感情が表面化してしまえば、自分が自分でなくなってしまうような気がしていた。


 だが、桐馬の意思に関わらず、感情の芽は少しずつ成長していった。質が悪いことに、その感情が桐馬の中にあった絶望をものすごい勢いで食らい潰し、日に日に大きくなっていった。


 その感情の正体は──開放感だった。


 桐馬の自由な時間のほとんど全てを奪っていた優馬が死んだ。もう読書の時間や美玖とのデート時間を阻害されることもない。毎日学校帰りに優馬を迎えに行く必要もないのだ。いきなり自由が降って湧いてきたことに困惑していたのかもしれない。


 今にも躍りだしそうな心を、桐馬は意識的に絶望で塗りつぶそうとした。弟が命を落としたのに、そんな感情が湧き出てくるのは異常だ。狂っている。人間性が欠如している。


 だが日を追う事に頭角を現す開放感は、やがて武器を携えるようになった。


 優馬の得意技だ。癇癪、わがまま、自分勝手。優馬があれだけ好きにやっていたのだから、今度は優馬の世話から解放されて自由を得た桐馬が、意の向くままに生きてもいい番ではないか。優馬には貴重な時間をごっそりと持っていかれたのだ。その代償分くらいはいい思いをしてもいいんじゃないか、という思考が、波のように寄せては返す。


 うずくまっていたいと考える桐馬と、これからの人生を好き勝手にしたいと考える桐馬。二つの矛盾した心は、少しの間均衡を保っていたのだが、ほどなくしてそのバランスはあっけなく失われた。


 ただ唐突に、そして軽卒に、桐馬の中のスイッチが切り替わった。オセロのコマを裏返すかのように、桐馬を構築している価値観がひっくり返っていった。絶望に打ちひしがれていた桐馬は意識の底に沈み、代わりに浮かび上がってきた開放感が、桐馬の思考回路の一丁目一番地に鎮座した。


 これからは誰かに抑圧されることはない。好きに生きてやる。このときを境として、そんな身勝手で傲慢な決意だけが、桐馬の行動原理になった。


 積み上がった未読本。近頃足が遠のいてしまっている図書館にも、街の書店にも、まだ見ぬ物語が眠っているはずだ。これからは誰に縛られることもない。世界に蔓延る物語の全てを、この目に焼き付けてしまいたかった。


 それに加えて、変わらずちゃぶ台の上に放置され続けている通帳によれば、間抜けなことに、二件の養育費は変わらず払い続けられていた。優馬が死んだことを知らされていないのだろう。もしくは向こうの方から連絡手段を絶っていて、優馬の身に起きたことを伝える手段がないのかもしれない。これからは優馬が通っていた保育園への支払い、食費といった分が浮くことになる。桐馬にとっては生まれて初めて、金銭的に余裕ができたのだ。優馬が欲しがっていたお菓子を箱ごと買い占めてもお釣りが来る。なめたけとパックご飯の生活ともおさらばだ。売れ残りで半額になった焼き魚ばかりでなく、毎日別の惣菜を選んだっていい。なんならそこにもう一品、スープなんかを追加することもできる。改善されるのは食ばかりではなく、服も気に入ったものを手に入れることができるし、買いたかった本にも手が届く。


 高校は既に推薦で決まっており、新しい制服も届いているが、真面目に通う気はさらさらなかった。義務教育ならまだしも、通う必要のない学校に行き、受ける必要のない授業を受けるなどごめんだ。そんなことに時間を取られるのは、将来の不安とかいう漠然としたものに縛られた不自由な連中だけでいい。


 学校に行きたくないというのは事実だが、かと言って、ずっと家にいるのもごめんだった。優馬の骨壺が視界に入るだけで気が滅入る。家にいる時間はできるだけ短く、風呂と睡眠を消化するだけの場所にしてしまいたかった。昼間だけでもどこか落ち着ける場所が必要だ。せっかく入学するのだし、高校の空き教室か、もしくは屋上にでも入り浸るのがいいかもしれない。懐に入るような文庫本を何冊か持ち込んで、たっぷりと時間を使って物語の世界にどっぷりと入り込むのだ。きっと極上の時間になる。


 ふと、美玖の家で勉強会をした時の出来事を思い出した。


 美玖がスマホで注文を済ませれば、あとは家で待っているだけで誰かが店舗から食事を運んできてくれる、あのサービスだ。自分の時間消費は最小限に、外の世界から温かい食事を取り寄せることができる。その分浮いた時間を、読書など好きなことに使うことができるのだ。指先だけで他人を動かす。まさに自分勝手、わがままの極みだ。


 ──手始めに高校では、ドレイと称して何人か下僕を集め、そいつらに食品配送サービスの真似事でもやらせてみるとしようか。

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