第1話 いつもの帰り道
夕暮れの空が茜色に染まる。
校門前で待っていた藤原家の黒いリムジンに乗り込み、屋敷へと向かう。
後部座席の綾奈は、窓に額を寄せたまま外を眺めている。
今日も、何事もなく一日が終わった。
クラスメイトは遠巻き。
先生たちは丁寧。
友人といえるのは、コニーだけ。
それが普通だった。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
セバスチャンがドアを開ける。
「ただいま」
玄関をくぐると、甘い香りが漂ってきた。
アップルパイ。
母が焼く、珍しい匂い。
リビングに入ると、両親が揃っていた。
父・鷹嗣はネクタイを緩め、母・直子はエプロン姿で微笑んでいる。
テーブルには湯気の立つ料理。
「綾奈、今日は家族だけでゆっくり食べようと思って」
母の声が柔らかい。
父も珍しく口元を緩めている。
「……どうしたの、急に」
綾奈は警戒しながら席についた。
最近、父は仕事で苛立っていた。
母は慈善パーティーの準備で忙殺されていた。
三人で囲む食卓なんて、何ヶ月ぶりだろう。
食事は始まった。
会話は他愛のないもの。
学校のこと。
父の会社の新プロジェクト。
母が最近ハマっている茶道。
綾奈は相槌を打ちながら、時々箸を止めた。
(なんだか……落ち着かない)
デザートのアップルパイが出たとき。
父がふと口を開いた。
「綾奈、最近変な夢は見ていないか?」
突然の質問。
綾奈の指が止まる。
「……どうして?」
「いや、なんとなく気になって」
父は笑って誤魔化した。
でも目は真剣だった。
◇◇◇
夕食の後片付けが終わる頃。
インターホンが鳴った。
「お待たせしました、鷹嗣兄さん」
ドアを開けたのは、父と瓜二つの男。
叔父・竹広だった。
上等なスーツ。
だが、今日は妙に疲れた顔。
後ろには十数人の黒スーツ。
手に黒い筒のようなもの。
父は驚きながらも笑って迎える。
「竹広、どうしたんだ急に」
「ちょっと話があってな……家族だけで」
母が不思議そうに首を傾げ、お茶を淹れ始める。
綾奈はソファに座ったまま叔父を見つめた。
昔はよく遊んでくれたのに。
最近はほとんど会わない。
竹広が深く息を吐く。
ゆっくりと口を開いた。
「直子さん……覚えてるか?」
「高校のとき、俺はお前が好きだった」
「でも兄さんが全部奪った」
「会社も、地位も……そしてお前も」
母の手が止まる。
父の顔が強張る。
「竹広、それはもう昔の話だ」
「昔? 俺にとっては昨日だよ!」
竹広が立ち上がる。
その瞬間。
後ろの男たちが一斉に黒い筒を構えた。
「全員動くな!」
父が立ち上がろうとした瞬間――
ズドン!
父の右足が血を噴き、膝から崩れ落ちる。
母が悲鳴を上げて駆け寄る。
「鷹嗣兄さん、もう終わりだ」
「会社も、家も、直子さんも……全部俺が引き継ぐ」
綾奈が立ち上がろうとする。
すぐ横に黒い筒が突きつけられた。
「座ってな、お嬢様」
「次はお前だから」
竹広がゆっくりと母に近づく。
頬を撫でようとする。
母は震えながら後ずさる。
「直子、怖がらないで」
「これからは俺が守る」
そのとき。
「やっほー♪」
「家族団欒の邪魔、悪いね」
軽い声。
誰も気づかなかった。
リビングの中央に、白髪の男。
目隠し。
黒の道着。
最初からそこにいたかのように。
全員が凍りつく。
竹広が最初に叫ぶ。
「……誰だ! 撃て!!」
十数挺の黒い筒が火を噴く。
ドドドドドドドド!!
耳がキーンと鳴る。
でも。
キン、キン、キン、キン……
何かが男の周囲1メートル手前で弾かれ、床に落ちていく。
見えない壁。
男たちの顔が引き攣る。
信じられない。
再び火を噴く。
同じ結果。
一発も届かない。
男――ケイト・シゲロは首を傾げてため息。
「うるさいなぁ」
パチン。
指を鳴らす。
次の瞬間。
黒スーツの一人、また一人。
膝をつく。
前のめりに倒れる。
首が不自然に曲がる音。
静かに響く。
十数人の体が次々と崩れ落ちる。
全員、息の根を止めた。
「な、何の冗談だ……!」
竹広の顔が歪む。
震える足で後ずさる。
部下が次々と死ぬのを横目に。
狂ったように玄関へ走る。
「誰だお前は! 絶対に許さねえ!」
庭を這うように抜け。
駐車場の車に飛び乗る。
エンジンが唸る。
タイヤが地面を削る。
猛スピードで飛び出す。
「クソがぁぁ! 絶対に戻ってきて全員殺してやる!」
だが。
門を出た直後の暗い道。
ヘッドライトが照らす。
のんびり道の真ん中に立つ白髪の影。
ケイトは片手をポケットに。
散歩中みたいに首を傾げている。
竹広の顔が狂気に染まる。
アクセルを床まで踏み込む。
「死ねぇぇぇ!!」
時速百キロ超。
一直線に突っ込む。
次の瞬間――
ガシャァァン!!
車が潰れる。
透明な壁に激突したように。
フロントがグシャリ。
ガラスが粉々。
エンジンから火花と黒煙。
竹広はシートにめり込み、動かなくなる。
血がダラダラと流れ落ちる。
もう息をしていない。
ケイトは静かに近づき、潰れたドアを覗き込む。
「最後の最後まで、みっともねえな」
闇に溶けるように消えた。
残ったのは燃え盛る残骸だけ。
家の中。
家族はまだ呆然と立ち尽くす。
アップルパイの甘い香りに血の匂いが混じる。
静寂が戻る。
(……あれは、夢?)
(でも、痛みも血も、全部本物だった)
(あの人は……誰?)
(私を守ってくれたの? それとも――)
次回、第2話「古き守護者の名は」




