第18話「誘惑の顎、冷たい視線」
ケイトは手をポケットに突っ込んだ。
客たちの方へ、ゆっくり数歩進み出る。
風が長い髪の先を軽く揺らす。
それでも表情は変わらない。
いつものように、静かで。
「で、用件は?」
声は平坦。
でも、どこか嘲るような響きが混じる。
質問を宙に浮かべたまま。
皆に考える時間を与える。
自分たちの立場が、どれだけ滑稽か。
気づかせるために。
「西洋医学じゃダメだったんだろ?」
ケイトはゆっくり首を傾けた。
直接見ないのに、すべてを見透かしているような視線。
「だから東洋に目を向けた、と」
乾いた笑みが漏れる。
ほとんど感情のない、薄い笑み。
「それで、俺が医者だと誰が言った?」
沈黙が落ちた。
誰も、どう答えればいいか分からない。
この人たちは、金と権力でどんな扉も開けられると思っていた。
だがここでは、そんなものが砂のように崩れ落ちる。
趙リンフェイは目を細めた。
ケイトをじっと観察する。
紅い唇に嘲笑が浮かぶ。
優雅に腕を胸の下で組み、腰を軽く揺らす。
「誰が医者だなんて言ったの?」
ケイトの言葉を真似るように、味わうように。
「まあ、目隠しした少年が火の玉を投げてるんだもの」
「誰かが奇跡の治療師だと思うのも無理ないわよね」
一歩、前に出る。
ケイトを真正面から見据える。
謎を暴こうとするように。
「それとも、ただのマジシャン?」
「上手く客を騒がせるのが得意な」
少し身を寄せ、遊び心たっぷりに髪を耳にかける。
「どう思う、ケイトさん?」
声は甘く、艶やか。
でも瞳の奥には冷たい計算が光る。
背後で空気が張り詰める。
男たちの誰かが拳を握り、誰かがごくりと喉を鳴らす。
そしてケイトは。ただ、笑った。
ケイトはゆっくりと彼女に近づく。
視線を外さない。
十分近づくと、手を伸ばす。
優しく、でも力強く彼女の顎を掴んで持ち上げる。
全員が息を止めた。
「マジシャン?」
静かな、冷たい笑みを浮かべて。
彼女の反応を楽しむように。
「俺はもっと別のことに長けてるって言った方が正しいかな」
「誰も想像できないことを、やってのける」
指をもう少し残し、それからゆっくり離す。
まるで何でもなかったかのように。
一歩下がり、軽く前傾になる。
声が低く、重くなる。
危険な確信を帯びて。
「趙リンフェイ。確かに素晴らしい女性だ」
視線を絡める。
挑戦であり、誘いでもある。
「でも、この芝居での君の役割は、君次第だよ」
「次はもっと正直に、欲をさらけ出したらどうかな?」
その言葉は計算ずくだった。
彼女の野心を、どう操るか、もう見えているかのように。
《ふん、面白い女だ。どこまで本気で来るか、見ものだな》
俺はまだ、何も本気じゃない。
重い緊張が、空気を支配する。
趙リンフェイは動かない。
ただ、瞳だけが——多くを語っていた。
ケイトは、自分の鋭さに気づいたのか。
顔をしかめて。
小さく首を振り、遊び心を込めて訂正する。
微笑みは軽やかで、少し引きつっていた。
周囲を操るのが、どれだけ簡単か。
自分でも楽しんでいるような。
手を上げて、謝罪のポーズ。
だが目には、揺るぎない自信が宿る。
「まったく、俺のマナーはどこへ行ったんだ?」
劇的に手を振って、自分を叱るふり。
「失礼した。熱くなりすぎたよ」
「では、俺の部屋で話を続けよう。こちらへ」
余計な言葉はなし。
くるりと背を向け、大きな扉へ向かう。
足取りは悠然。
誰もが従うと、知っているかのように。
しかし、誰も動かない。
その時、奥から声が響いた。
ナギだった。
ずっと黙って見ていた彼が、静かに口を開く。
「師匠。俺も行きますか?」
ケイトは答えなかった。
ただ、苛立たしげに手を振るだけ。
生徒を連れて行くのを、許可するような仕草。
残酷さはない。
ただ、疲れたような——説明するのも面倒だという感じ。
客たちは、ナギを不思議そうに見つめた。
彼の落ち着きが、場の緊張と対照的だった。
ナギ自身は、特別なこととは思っていない様子。
いつも通り、冷徹で落ち着いている。
静かな足音を響かせ。
ケイトの後に続き、暗い廊下へ消えていく。
残された者たちは、すぐには我に返れなかった。
あの嫌味な口調。
抑えた態度、そして傲慢さ。
複雑な感情が湧き上がる。
怖いのか?
それとも、解くべき謎の欠片か?
一つだけ確かなのは——
これが、始まりに過ぎないということ。
皆が、直感で感じていた。
この出会いが、転機になるかもしれないと。
◇◇◇
カーテン越しに、薄い光が床に落ちる。
客たちは、ケイトの後に続いて暗い廊下を進む。
大理石の床は冷たい。
壁には、厳かな日本画と精巧な彫刻。
古の雰囲気に、誘われるように。
豪奢で、謎めいた空間。
角ごとに、何かを隠しているような。
扉を開けると——
先ほどとは打って変わった部屋。
書斎に近い。
住むための部屋ではない。
壁は濃い木目。
机と椅子は、丁寧に作られたものばかり。
豪華なのに、禁欲的。
くつろぎではなく。
緊張感が漂う。
仕事と、思索のための場所。
皆が腰を下ろし始めた時。
ケイトは、勝手に主座に座った。
足を机に乗せて。
堂々と。
急がない。
慌てない。
姿勢は、完全に無関心。
礼儀など、知ったことではないという態度。
ここが自分の城だと、示している。
「もう一度言うぞ。俺は医者じゃねえ」
声は怠惰で、しかし確信に満ちている。
誰も疑えない、そんな口調。
「精神の導師だ」
「治療を期待して来たなら、時間の無駄だ」
部屋に、再び沈黙。
晴子はもう我慢できなかった。
拳を握り。
瞳を怒りで輝かせて。
必死に抑えているが、限界が近い。
隣のカトリンは、エレナ・グロモワに視線を走らせる。
エレナも、同じく不満の色を隠せない。
趙リンフェイが立ち上がった。
表情は硬く、決意に満ち。
顔が怒りで赤い。
娘たちも、一斉に動き出す。
だが、誰も最初に口を開かない。
父たちも、困惑していた。
セルゲイ・グロモフは、静かに胸で十字を切る。
目が暗くなる。
趙リンフェイは、平静を装いつつ、制御を失いかけている。
大和竜二郎は、黙って見守るばかり。
我慢が、じわじわと削られていく。
晴子が、ついに爆発した。
「じゃあ、何を教えてくれるのよ?」
声は、張り詰めた縄のよう。
「ただの戯言?」
「頭、おかしくなったの?」
(……こいつ、本当に何を考えてるんだ?)
(みんなを試してるのか、それとも——)
(でも、このまま黙ってられない)
ケイトは、ゆっくりと晴子を見た。
口元に、薄い笑みが浮かぶ。
まるで、待っていたかのように。
全員の視線が、晴子に集中した。
趙リンフェイは、親友をチラリと見て。
奥歯を噛みしめる。
エレナ・グロモワは、わずかに身を震わせた。
それでも、表面は平静を保つ。
皆、もう爆発寸前だ。
ケイトは、動かない。
晴子の方さえ見ず。
虚空を眺めたまま。
まるで世界すべてが、自分の掌の上。
無言で手を上げた。
お前など、相手にする価値もない——そんな仕草。
「みんな、随分と神経質だな……まるで子供みたい」
声は軽い。
だが、底に潜む皮肉。
本物のゲームから、外れた連中に言うような口調。
ケイトは、ゆっくりと晴子の方へ顔を向けた。
目隠しの下から、すべてを見透かすような気配。
唇の端に、薄い笑みが浮かぶ。
頭を軽く傾けて。
「晴子」
声は穏やか。
しかし、脅威が滲む。
晴子の背筋を、冷たい言葉が貫いた。
魂まで凍りつくような。
必死に耐える。
だが、内側は燃え盛る炎。
部屋の空気が、一瞬で変わった。
張り詰めて。
ナイフで切れそうな重さ。
「これが賢者の言葉だって?」
晴子は、抑えきれなかった。
「ただの操りじゃない」
「私たちを弄んで、辱めて——それが楽しいんでしょ」
部屋の隅で、ケイトは椅子にふんぞり返ったまま。
片眉を上げて。
晴子を一瞥。
口元に、かすかな笑み。
まるで、面白い芝居を見ているような。
「まだ古い固定観念に縛られてるな、晴子」
言葉は柔らかい。
だが、一語一語が石を砕くハンマー。
「賢さってのは、いつも論理的じゃない」
「お前の、全部をコントロールしたいって欲が——」
「時として、すべてを複雑にしてるだけだ」
エレナは、隣で耳を澄ます。
まず晴子を見て。
次にケイトへ。
瞳に、好奇と不安が混じる。
どちらかに味方しなきゃ。
でも、どっちに傾くか——迷い始めていた。
エレナは、もう我慢できなかった。
「どうしてこんなに……」
声が震える。
「面倒くさくするの?」
「私たちは助けを求めに来ただけよ」
「ゲームなんか、したくない」
ケイトが、ゆっくりと顔を向ける。
目隠しの奥から、毒が滴るような気配。
「助け?」
静かな声。
だが、沈黙を引き裂く鋭さ。
「それを助けを求める態度って言うのか?」
「それとも、金と権力で何でも解決できるって、また証明したいだけか?」
趙リンフェイは、唇を噛んでいた。
ついに、爆発した。
「遊ぶのはやめて、ケイト」
声は落ち着いている。
だが、水面下の刃のような鋭さ。
「私たちは、あなたの劇の脇役になるために来たんじゃない」
「家族に必要なのは、本物の助けよ」
「空っぽな言葉じゃない」
ケイトは、彼女を見て。
かすかな笑みが、空気を掻きむしる。
「ゲームか」
「だったら、君たちもそのゲームを覚えるべきだ」
「欲しいものを得たいならね」
「求めすぎる者には、何も与えられない」
頭を傾けて。
笑みが、より洗練され——嘲笑に近い。
エレナは、息を詰めた。
「ゲーム」という言葉が、重く残る。
何かが、始まろうとしている予感。
沈黙が、再び部屋を支配した。
皆、言葉を噛みしめて。
次の一手を考える。
フリードリヒ・ヴァイスが、ついに口を開いた。
声は、鉄のハンマーのように硬い。
「もういい」
ケイトを冷たく射抜く。
「お前が特別なのは、みんな分かってる」
「でも、俺たちはお前の玩具じゃない」
「馬鹿じゃないんだ」
「ゲームはいらない」
「結果が欲しい」
ケイトは、ゆっくりと首を動かした。
目隠しの下で、目を細める。
獲物を値踏みする、肉食獣のように。
薄く笑って。
「結果、か……」
言葉を、刃のように伸ばす。
「じゃあ、教えてくれ」
「欲しいものを得るために、何を捧げられる?」
「お金じゃない」
「力でもない」
「犠牲だ」
ルドヴィク・デュポンが、唇を歪めて割り込んだ。
「犠牲?」
「まじかよ」
「また世界の終わりでも予言する気?」
ケイトは、頭を傾けた。
瞳の奥に、底なしの闇。
「違うよ、ルドヴィク」
声は優しい。
だが、凍てつく風のように刺す。
「犠牲ってのは、必ずしも死じゃない」
「自分を縛ってるものから、離れることだ」
「馴染みの恐怖」
「信念の鎖」
「それらを捨てられた時——」
「本物のゲームが、始まる」
言葉は、挑戦だった。
彼らの外側だけでなく。
内側にも、突き刺さる。
一語ごとに、意識の奥底を抉る針。
皆が、考え始めた。
この男の背後にあるもの。
ただの変わり者じゃない。
抗いがたい、力があった。
(……こいつらは、まだ分かってない)
(俺が与えられるもの、本当の価値を)
(でも、そろそろ——本気を出してもいい頃か)
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