1.最弱ネクロマンサー、足切りされる
人はジョブと呼ばれる才能を生まれ持つ。
ジョブは人に最良の道を示し、この過酷な世界においては
これのお陰で辛うじて人類史の存続が出来ていると言っても過言ではない。
そんな中でネクロマンサーは、亡骸に今一度大地を歩む権利を与える力を持ったとても希少なジョブであり
その希少さ故に様々な事が出来る大変優秀なジョブであるとされている。
ネクロマンサーは食うに困らず、引く手数多であると言われている。
しかし、それはジョブが優秀……つまり持って生まれた才能のひとつが良かったと言うだけであり、
本人が優秀な人材であるとは決して限らない。
非常に残念ながら、才能と人格は比例の関係には無いのだ。
さて、早速だが本作の主人公である愚かな少女にスポットライトを当てて行こう。
この世界には勇者がいる。
……そう、魔王と戦う宿命を背負ったあの勇者だ。
現在この世界には23の魔王と、8の勇者が存在している。
この物語はそんな中でも1番弱いと巷では噂されていた勇者のため息から始まるのだ。
5人が泊まるにはやや手狭な宿の一室で
とうとう堪忍袋の尾が切れた勇者一行は
仲間の1人であるやや小柄な少女を無理矢理正座させるなり
4人は圧をかけながら少女へ言葉を連ねた。
「「「「いい加減にしろ!!
いい加減にしてくれ!!
いい加減にしなさい!!
いい加減にしな!!」」」」
ほぼ同時に発された4人の苦情を前に
何の事か分からないと言った様子で少女はアホの極みを塗り固めたようなふざけた面を浮かべていた。
4人の怒りは尋常ではなく、その負の感情に満ち満ちた表情は勇者一行でありながらも魔王顔負けのものであった。
しかしながらこの面の皮だけは城壁より分厚いガキ……もとい、クソガキは
そんな凄まじい怒りに晒されながらもまるで普通に会話するかのように振る舞っている。
その全く自覚が無さそうな態度を前にして4人は更に怒りを募らせる。
「なぁ……お前さぁ、いつになったら役に立つんだ?」
ガタイの良い戦士はため息をつきながら呆れる3人より先に口を開いた。
「何言ってるのよ? 私が役に立ってない訳ないじゃ無いの?」
「具体的には?」
「え? まずここにいるだけで偉いよね?」
「…………舐め過ぎだろふざけんじゃねぇぞお前」
ガタイの良い戦士はとんでもない太さの羊皮紙で出来た巻物を少女へと投げ渡した。
その巻物は想定以上に重く、貧弱で力仕事なども全く出来ない少女は受け取る事すら出来ずに落としてしまった。
「痛いじゃないの! いきなり物を投げつけないで!!
何なのよ……重っ?! ……本当に何これ?」
「今まで我々が君から受けてきた被害を一覧にしたものだ」
好青年といった感じの雰囲気を纏う青年が口を開いた。
しかし、少女にはあまり容赦が無く憎しみにも似た感情が言葉に含まれている。
その一言には何百もの呪詛を塗り固めたような重みがあり
その目には最早明確に強い殺意すらも宿っているが
少女は我関せずと言った様子でいた。
「全て読んでいると日が暮れてしまうからね。
主だったものを幾つか挙げていくけど……
・お金を持たず、買い物は全て旅に不必要なものばかり。
請求は全て僕たちに押し付けて無駄に高いものばかり貪る。
・魔法使いが大事に飼っていた猫が旅の前に死んでしまい
丁寧に埋葬したのに
魔法使いの許可すら取らずに勝手に墓を暴き、猫をアンデッド化させて隷属させている。
・戦闘は全て丸投げなのでまだレベル1。
……だと言うのにズケズケと戦場の中央へ練り歩いては戦闘の邪魔ばかりする。
・勇者……つまり僕を盾に使って犯罪行為を繰り返している(窃盗,食い逃げ,暴行,違法売買など)
・戦士の剣を勝手に売り払った……これは昨晩発覚したね。
・“手伝え” と怒られて臍を曲げながら投げた火炎瓶が盾役に命中。
当たり所が悪く背中に重傷を負って現在入院中……前日の話だ。
・2つ前の村で流行病に効くなどと独断で触れ回り、勝手に配った出所の分からない粉薬が
実は猛毒キノコ由来のものである事が判明し、100人近い犠牲者が出たそうだ。
現在これに関して君に罪状を問う動きが出ているそうだが、
勇者一行であるせいで手続きが難航してしまっているそうだ。
分かるかい? これでもまだ一部だ」
この世界において固有の名を持つものは非常に少ない。
大体の者はその役職や戦闘職などで呼ばれる。
これは、ある魔王が他者の名を容認せず身勝手な理由で名を奪っているからである。
そしてそれは勇者であっても例外では無かった。
勇者でありながら名も無い者たちによる至極真っ当な苦情を受けて尚、ネクロマンサーの少女は首を傾げる。
「え? 私何かいけない事でもした?」
少女に対峙する4人は唖然とした。
恐らくここまで酷い性格の持ち主だとは思っていなかったのだろう。
何より、本当に何がいけなかったのかが分かっていないという様子に勇者は怒りという感情を通り越してただ恐怖した。
「改める気は無いんだな?」
「いや、だから私何かいけない事でもしたって聞いてんじゃん!
改めるとか言われても悪い事してないし」
4人は呆れる事を通り越して全てを諦めたような顔でネクロマンサーを見下した。
「ちょっと……何その顔?」
「いや、もう良いんだよ。
そうだよな……お前はそう言う奴だよな」
勇者は一言だけ小さく呟くと紙を一枚だけ取り出してネクロマンサーの前へ差し出した。
紙には署名を書く欄が2箇所あり、1箇所は
ネクロマンサーを除く勇者パーティー全員の連名が記されていた。
そして、その紙には大きな文字でこう書かれていたのだ。
“解約書”
それは、パーティーを組んだ冒険者がパーティーから特定の人間を追い出す為に使われる正式な書面だった。
これをギルドへと持っていく事で解約手続きが成立し
異物を取り除く事が出来る。
至極当然だった。
彼女は今まで千にも届くほどの罪を犯し、
その過程で数えきれない程の人々を傷つけた。
むしろ勇者たちは賞賛されるべきだ。
……よくぞこの日までこんなろくでもない少女を庇い、抑えつけようと努力してきた。
「ネクロマンサー、お前はクビだ。
2度と我々の前に現れないでくれ」
「は? はぁぁああ?!!!」
-数十分後-
「はぁ………………」
さっきまでいた街の外門まで追いやられ、衛兵に睨まれながらため息を吐く
ネクロマンサーの姿がそこにはあった。
ネクロマンサーはあの後猛抗議をしたがそんな身勝手が通用する筈もなく、結局借金その他は免除されたが追放されてしまった訳だ。
とは言え、これで勇者一行ではなくなった少女は察するまでもなく世界中でお尋ね者になる訳だが……
少女は未だにピンと来ていない様子で門の前に立ち尽くしていた。
正直色々やらかした割には甘い対応だと言わざるを得ないが
こんな最低な人間にも温情をかけられるからこそ勇者を名乗る事が出来ると言う事なのだろう。
しかし当然、この結果に少女は全く納得していなかった。
(どうして追放されなきゃいけないのよ?!
私何かした?? 全く心当たり無いんだけど???)
ネクロマンサーは都合の良い事しか記憶出来ない上に
中性子星の外殻並みに硬い鋼メンタルの持ち主だった。
当然数々の悪逆無道は彼女の中で都合良く置き換わっており
何も悪い事をしていないと心の底から思っていた。
「馬鹿馬鹿しい、もう一度アイツらに会って話をしなきゃ」
少女は再び街へ入ろうとした……しかしそれを止める者が2人いた。
「…………何?」
少女はあっさりと衛兵に止められてしまった。
「あんた……今しがたマル街 から出禁貰った筈だよな?」
「出禁? 私が?」
「……何も聞いてなかったのか?
あんたが流通させた変な薬のせいでマル街の治安は滅茶苦茶なんだよ!
俺の娘もあの薬に溺れたクソみたいなやつに頭を殴られて意識が戻ってねんだよ!!
ふざけやがって、本当なら拷問にかけられて牢屋行きだろ……
それをっ……あんな優しい勇者様達に庇わせておいてまだ何かするつもりなのか?!」
「はぁ? 変な薬って何よ!
楽しい気分になれるからって勧められたから皆んなにも教えてあげただけなのに!!」
「だ!か!ら! その薬のせいで中毒者が山のように
出てきて大パニックになってんだよ!!
あの薬は高い依存性と骨を溶かす成分があるって話で
最終的に寝たきりになった奴も沢山居るんだぞ?!」
「知らないわよそんなの! 私は勇者の誤解を解かないといけないんだから退きなさいよ!!」
ここから小一時間この馬鹿は門前で粘り続ける事になるが
子供並かそれ以下の腕力しかないクソ雑魚ネクロマンサーは
あっさりと衛兵たちに力負けしてしまい、そのまま魔物の生息域まで追いやられてしまうのだった。
自らの娘を中毒者のせいで寝たきりにされた親が彼女を恨んでいない筈もなかったが
彼は衛兵として、立派に仕事を全うしてみせた。
ネクロマンサーを力の限りに追い払った後、衛兵は相棒に肩を借りながら鎮まらない怒りを必死に抑えるように泣いた。
「何なのよ本当にッ……!!!」
さて、めでたく勇者と街から追放された害虫はと言うと……
低レベルの魔物がうじゃうじゃと出没する魔森にて木に登って身を小さく縮めて震えていた。
この少女、あらゆる事を勇者たちに押し付けてここまで来てしまったので
地図すら持っておらず、この辺りの地理に無知であった。
……持っていたとしてもまず地図どころか文字すら読めないのだが。
魔森は世界各地に存在している。
そんな中でもこの少女が何も考えず足を踏み入れた森は
戦闘経験の無い少年少女が親同伴で腕を磨く最適な地と言える場所だった。
……しかし、ここで重大な問題が発生した。
このネクロマンサー、誇張抜きで戦闘経験が “0” だったのだ。
しかも弱い。 ガチで弱い。 もう書き手が “ガチ” とか使ってしまうくらいには弱い。
最弱の魔物とされているミニスライムはオールステータス2と言われているが、
この少女はオールステータス0.5だ。
昔から逃げ足と木に登ったりその辺に隠れたりするのだけは無駄に上手かったせいで
今までこのナメクジ並みのしょぼ過ぎるステータスでも生きてこれた訳だが……
とうとう年貢の納め時が来てしまったのか、少女は百を超えるミニコボルトに追い回されていた。
(冗談じゃないわよ!!
あんな弱そうな犬っころの昼飯になって死ぬなんて!!)
ミニコボルトが弱いのは確かだが少なくともこの少女よりは何十倍も強い。
身の程を弁えない世界最弱のネクロマンサーには精々、木の上から下の様子を見ては大量のミニコボルトと目が合って小さく悲鳴をあげながら木の陰に隠れ直すのが関の山だった。
(覚えてなさいよ……バカ勇者!!!
絶ッッッッッ対に生き延びて死ぬほど後悔させてやるわ!!!)
こうして、世界一しょうもない持久戦が始まった。
少女は木の上で1週間分の食料だと勇者から投げ渡された袋からパンを取り出して
それを貪りながらミニコボルトたちが散るのをひたすらに待ち続けた。
しかし、豪遊に豪遊を重ねたバカタレが計画的にパンを食べる事など出来る筈も無く……
1週間分の食料はなんとたったの2日で底を尽いた。
(何が1週間分よ嘘つき!!!! 全然足りないじゃないの!!!!)
ネクロマンサーの少女は当たり前のように勇者への怒りを募らせていた。
……当然ながら、勇者たちは何も悪くない。
確かにこの愚かな娘には1週間を生き抜く上で充分過ぎる程の食料を渡していたのだ。
普通の冒険者ならどんなに馬鹿でもこれだけの食料があれば20日は凌げる。
……だと言うのに、無駄に胃だけデカいこのクソガキはいつも通りのペースで食料を消費し続けた。
この場に勇者が居合わせたのなら、肺に穴が開きそうなくらいの大きなため息を吐いてこの愚か者を嫌々助けてしまうのだろう。
しかし、少女にとって頼みの綱である勇者はもういない。
そんな状況に陥って尚、少女は他人への怒りを募らせてミニコボルトたちを睨んでいた。
……木の上に登って5日が経過した頃、ようやくミニコボルトたちはあの食い出の無さそうな細くて小さいクソガキを食糧とする事を諦めてトボトボと巣へ帰って行った。
「は……はは……ざまぁみなさいよクソ狼共」
最悪な事に少女は生き残っていた。
少女は生まれつき悪運が恐ろしく強かった。
それ故に幾度と危ない目に遭っても生き残って来れたのだ。
しかし、当の本人にはその自覚が無いばかりか、自身を本気で特別な存在だと思い込んでいるしまっているせいで
最後には助かるのが当たり前と言う結論に至ってしまう。
何故かもう魔物がいないと確信した少女はスルスルと木から降りると足元にはミニコボルトの死体が数体転がっていた。
「あ? 何で死んでんのこの犬っころ共?」
考えるまでもなく餓死だろうが、そんな事をこのバカが悟れる筈もない。
飲まず食わずを強いられた下っ端のミニコボルトが群れのために飢えて死ぬまで少女の監視を果たした末路だ。
「1、2、3………………8。
うーん……まぁ、良いわよ。
使える肉壁がないんだから戦えるアンデッドが必要だし、
とりあえずお前らで」
少女はミニコボルトの死体ひとつずつに右手を捻るようにぐりぐりと押し当てた。
程なくして少女が手を押し当てた場所に真っ赤な手形が浮かび上がる。
手形は次第に形を変え、毛細血管のように全身へと根を伸ばしていくと大きな拍動を鳴らす。
真っ赤な根は溶けるように消えていくとミニコボルトの死体が変質した。
毛は硬く、長く、先端にかけて紫色に。
牙と爪は鋭く、体格は痩せ細ったが一回り大きくなった。
変質を終えたミニコボルトたちが目を覚ました。
……いや、最早これはミニコボルトと呼べるものではない。
コボルト種の中でも足が遅い代わりに攻撃性と異様な耐久力に特化したアンデッド種。
コボルトゾンビだ。
さて、ここで一度この世界における一般常識について解説を挟ませてもらおう。
この世界の生物はある理によって基本的な能力値を数値化されている。
体力値、筋力値、魔力値、持久値、敏捷値
これら5つを基礎ステータスとし、大まかに優劣が決まる。
魔物を倒したりする事で “レベル” を上げたり
修練などを積む事でこれらのステータスは後天的に上がる。
それに加えて、ジョブや天性の才によって発現する特殊な力……アビリティがある。
先程、この少女が使ったアビリティは
“黄泉の手” と言うものであり、触れた死体を1段階進化させてアンデッド化するものだ。
黄泉の手によってアンデッド化した存在は無条件で少女に隷属する。
更に少女はアビリティ “ネクロマンスサイド” によって
アンデッドに襲われず、隷属効果を付与する事が出来る。
しかもこのアビリティには隷属させたアンデッドを亜空間から自在に出し入れ出来る力があり、
これによって隷属したアンデッドを管理する事が出来る。
ネクロマンスサイドで一度に隷属出来るアンデッドの数はネクロマンサーのレベルに応じて増加するのだが
この少女のレベルは1である。
……よって、隷属できるアンデッドの数は10体のみとなる。
胸糞悪い話だが、よりにもよってこのガキに隷属されたアンデッドは “猫” 1匹のみ。
ここに戦闘用のコボルトゾンビが8体新たに加わる事になったのだ。
「さっきの感じからしてどうせこの辺はあの犬っころの縄張りか何かでしょ?
なら、コボルトゾンビ相手には太刀打ち出来ないわよね。
……とりあえずこいつらを盾にしながら街に戻る為に森を抜けたいわね」
この期に及んで少女は街へ戻る事を諦めていなかった。
少女は周囲をコボルトゾンビに警戒させ、自分は何の心配も不安すらも無いような堂々とした足取りでズンズンと進んでいく。
少女は1人になっても何一つ顧みず、反省せず、学習しなかった。
「森から出られたわ……!」
森の浅いところから大冒険でも繰り広げたかのように愚かな少女が身を出した。
少女は何の警戒心も持っていない為
森から出るや否や、すぐにコボルトゾンビを引っ込めてしまった。
「ふぅ……さてと、街はどっちかしr」
ぐ
し
ゃ
り
「え」
瞬く間に少女の視界が激しく回った。
全身を体験したことのない浮遊感が襲い、急に下半身が異常なまでに軽くなるような感じがした。
息を吐く間も無く胴回りを中心に広がる激しい痛みに襲われながら地面に激突し、野草に頬を切られた。
(え……? 何よこれ、何が起きたの?)
立ち上がろうとするが痛みで動けない……いや、それ以前に下半身の感覚が全くない。
……いや、そもそも彼女の視界には有り得ないことに
頭上の方向から垂直に伸びている自分の足がはっきりと見えていた。
「あ……あ…………ああ……」
刹那、少女の顔は青ざめた。
胴から下が泣き別れになっていたからだ。
大声をあげる力が捻り出せない……少女はもう間も無く死ぬのだ。
(嘘……嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ何これ?!何なのよこれ?!!)
視界の端に遠ざかる影が見えた。
少女は死を前にようやく理解した……自分はあの馬車に轢かれたのだ。
少女には理解できる筈もないが、これは綿密に計画された殺人だった。
少女はその悪逆無道の数々故に様々な組織や機関などに監視されていた。
当然、そこには少女を恨む勢力も多く含まれており
彼らは結託して少女を殺す機会を今か今かと待ち侘びていたのだ。
そこは一際人目につかない魔森の外周で殺しを目撃されるリスクは非常に低い。
さらに、少女には基本的に警戒心というものがない。
ここに、気配と物音を消す事ができるアビリティを持つ者と
馬に “狂化” と呼ばれる身体能力を大幅に上げる代わりに理性を飛ばす効果を付与する事ができるアビリティを持つ者、
そして、狂化した馬を操縦する事ができるアビリティを持つ者の3人が “都合よく” 揃っている。
馬は重たい鉄の馬車を引きながら全速力の5倍にも迫る速度で少女へと容赦なく突っ込み、呆気なく暗殺が完了してしまったのだ。
少女は最後の力を振り絞り、口から血を吐きながら手を遠ざかる馬車の方向へと伸ばす。
しかしそんなものが馬車へ届く訳もなくただ男たちの不快な高笑いが少女の耳へと届き、視界を揺らす。
「ま……………ち……なさ…………い……………………よ」
少女の非力な声は何処にも届かず、緩やかな風に押し殺された。
そして、少女は視界を閉ざした。
重力は何百と重く感じ、瞼を開ける力も閉じる力も無くなっていく。
次第に自らの体温すら分からなくなり、地面の感触や身体に触れる柔らかな風すらも無へ変わっていく。
-君はこれで良いのかい? 納得できるのかい?
(……何よ、誰なのよあんた)
-君はこれで良いのかい? 納得できるのかい?
(……うるさいわね、納得できる訳ないでしょ?
誰か知らないけど話しかけないでよ。
私は疲れてるんだから)
-君は怒っていたんじゃないのかい? もう眠ってしまうのかい?
(……えぇ、怒っているわよ。
何で私がこんな目に遭ってる訳? 意味が分からないわ)
-君は何も悪い事をしたとは思っていないのかい?
(……当たり前でしょ。 私がいつ、悪い事をしたって言うの?)
-君は勇者を何度も裏切った。 それでも、君は悪くないのかい?
(……そんなの知らないわよ。 私は誰も裏切っていないわ)
-君は何かを悲しみ、哀しんだことはないのかい?
(無いわよ。 私は平気だったから)
-君の母親が死んだ時もかい?
(どうでも良い。 覚えて無いわよそんなもの)
-⬛︎……⬛︎⬛︎⬛︎……⬛︎⬛︎⬛︎……⬛︎……⬛︎…………⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎……⬛︎⬛︎
(は? 何? 聞こえないんだけど?)
「……で、何なのよここ」
ふと気付くと、少女は闇の中に立っていた。
あらゆる感覚は閉ざされているが何故か明確に自身が “立っている” 事は理解できる。
少女は人間とは思えない程に知能も低かったが、流石に自分が死んだ事くらいは理解できていた。
しかし少女は唯一の取り柄である鋼メンタルにより
こんな状況でもまるで動じる事はなく
適当な方向へ目的もなく “歩き始めた” 。
「そう言えばこんな場所で目を覚ます前に誰かと対話していたような気がするんだけど……まぁ、どうでも良いわ」
そう長くない距離を歩いた少女の前に突然赤い光を放つ小さな球体が出現した。
「あ?」
闇の中で少女の全てを赤く照らすその物体は
少女にとって不思議と、この世の何よりも魅力的なものに見えた。
少女は無意識のうちに両手を物体の方へと伸ばし
力づくで手繰り寄せるようにして荒っぽくその物体を掴み取った。
「あ……がっ……あぁ……!!」
その瞬間、少女の頭を大量のノイズが駆け抜けた。
瞳は赤く染まり、警告音のような汚い音が耳を裂き続ける。
-おめでとう、君は⬛︎⬛︎になる権利を得た。
「だ……からぁ! 誰なのよ!! お前……はぁ!!」
- ジョブ 【リバースド】 を獲得しました -
- ジョブ 【リバースド】 を獲得した影響により、種族が変更されました -
凄まじいノイズが脳を支配し、警告音が耳から得られる情報を潰していた。
目から得られる情報も次第に赤く点滅を繰り返し
そのうち、見た覚えのある風景が点滅に混ざり始める。
そして、視界が完全にその風景へと切り替わった瞬間
ノイズは消滅し、警告音は雨音へと変わった。
何が起きたのか分からないまま痙攣する右手で頬を触る。
……感覚がある。
頭から被る雨、遠くから視界に入る稲光、遅れて耳を突く轟音。
……そして、見覚えのある景色。
「そうだわ、ここ……私が死んだ場所じゃないの」
少女にしては信じられない程に思考がクリアになっており
考えがひとつの結論へと纏まっていく。
頬を触れた手は感覚こそあったが、温度を感じる事は無かった。
触れた感覚は頬とは思えない程に硬く、また手の方もすこし皮が硬い。
元々白かった腕は更に病的なまで白みを強くしており、最早少し青みがかっている。
これだけ雨でずぶ濡れになっているのに身体が冷えを訴えて来ない。
……いや、そもそも雨が冷たくない。
それ以前に温度が分からない。
気温も寒いのか、暑いのかすら分からない。
確かに感覚がある筈なのに今まで持っていた感覚の一部が明確に欠如している。
これで純粋に生き返ったと思えるようなネクロマンサーはこの世界にいない。
「…………ねぇ、もしかして私……アンデッド化した?」
少女の予想は当たっていた。
少女は一度死に、魔物になったのだ。
しかし少女は特に絶望する様子を見せていなかった。
……いや、それどころか少女は今の状況をどう利用するかを考え始めたのだ。
(何故か前より頭が冴えている気がすんのよねぇ。
とりあえず、アンデッドになってもネクロマンサーとしてのアビリティは使えるみたい。
いや……それどころかネクロマンサーとしてやれる事が何か拡張された?
ひとつひとつのアビリティが強化された上に新しいアビリティを習得した感覚が……
何なら、アンデッドとしてのアビリティも習得した?
“リバースド” って何?
しかもアンデッドにしか使えなかったアビリティを自分自身にも使えるようになったっぽい?)
ネクロマンサーのアビリティには、アンデッドを強化する類のものもある。
アンデッドのみに対して効果を発揮することもあり
その効果量は他の強化系アビリティと比べても大きいものだった。
アンデッドになったことで少女は明確にやれる事が増えてしまった。
「もうこうなっちゃったら街に戻っても討伐されるだけ…………だったら」
……いつも通りならこれで増長した少女が無策で行動を起こして
返り討ちに遭うという流れが容易に想像出来たのだが
アンデッドになったからなのか、何らかの存在からの干渉の影響なのか
少女は何かを決意した表情のまま再び森へと引き返して行った。
少女は激怒していた。
何故死ななくてはならなかったのか、何故こんな惨めな思いをしなくてはならないのか。
……そして決意した。
必ずあの勇者をアンデッドにして、隷属させてやるのだと。
勇者たちはまだ知らない。
魔王たちですらまだ知らない。
この歴史的転換点こそが、世界最弱にして最悪の魔物が誕生した瞬間である事を。