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第1話 小麟

 後宮の北隅に追いやられた小さな宮は、雨をしのげるだけの粗末な造りだった。

 壁の漆喰は剥がれ、軒からは雨だれがぽたりと落ちている。

 十歳の允成は、その薄暗い部屋の隅で膝を抱え、出された膳を乱暴に押しやった。


「食べぬ。誰がこんなもの食べるか」


 小さな器には冷めかけた飯と塩辛い漬物が少し。

 父帝に疎まれ、太子を廃された少年に、もはや満足な食事は供されない。

 だが彼の声には飢えよりも、裏切られた悔しさがにじんでいた。


 そっと器を拾い上げたのは、世話係に付けられた女官――十四歳の明玉である。

 名家に生まれながら家は没落し、今は冷遇の身。けれど、その目元はやわらかく、声も穏やかだった。


「殿下、怒ってばかりでは、お腹も心も持ちません」


 そう言いながら、明玉は井戸から汲んだ水を鉄鍋に注ぐ。

 ほんの一握りの米を入れて、木べらでかき混ぜる。

 火にかけると、じわじわと湯気が立ち上り、粗末な小屋に米の匂いが広がった。


「……粥か」

「はい。わずかでも温かければ、きっと力になります」


 匙を差し出されても、允成は横を向いたまま腕を組む。

 けれどしばらくして、腹の虫が小さく鳴くと、観念したように匙を手に取り、ひと口すすった。


 淡い塩味と、ほんのりとした甘み。

 知らず、頬がゆるむ。


「ふん……。まずくはない」


 そっぽを向いて言い放つ声がかすかに震えているのを、明玉は聞き逃さなかった。

 彼女はただ笑みを忍ばせて、湯気の立つ器をまた差し出す。


 その夜更け――。

 灯りを落とした寝所の闇の中から、小さな声が明玉を呼んだ。


「……明玉」

「はい、殿下」

「二人きりの時は……私を、小麟と呼べ」


 布団に潜ったまま、くぐもった声だった。

 驚いた明玉が息をのむと、少年は続ける。


「母上が、そう呼んでいた。……誰にも言うな。秘密だ」


 その言葉には、幼い誇りと孤独とが入り交じっていた。

 胸の奥が温かくなるのを覚え、明玉は静かに頷いた。


「はい、小麟さま」


 暗がりで、少年の肩が小さく揺れた。

 泣くまいと必死に堪える横顔を、闇はやさしく隠していた。

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