第85話 カイチの角と美しい娘
診療所に戻ると、梁さんが出迎えてくれた。
『お帰り。角は取れたかい』
私が角を差し出すと、梁は満足そうにうなずいてそれを受け取った。
彼に動揺する様子は一切見られない。
つまり、彼は私たちを騙そうとはしていなかったのか、もしくは、ものすごい演技が上手いかだ。
私はちらりと紅月を見ると、彼女もまた同じことを考えていたのか、目が合った。
それを怪訝に思ったのか梁さんは『なにかあったのかい』と尋ねてきた。
『じつは――』
私はここで獬豸が襲い掛かってきたことを梁さんに話した。
彼は私の話を聞いている間、ずっと不思議そうに眉をひそめていた。
『……ふむ、なるほど、それはたしかにおかしいねえ』
『おかしい……ですか?』
『獬豸は間違いなく、温厚で臆病な性格なんだ。ましてや、何も危害を加えてない人間を襲うだなんて、考えにくいんだよ』
『あの梁さん、少しよろしいでしょうか』
紅月が梁さんに向かって言う。
『なにかな?』
『なぜあの時間帯に、私たちに角を取りに行けと仰ったのでしょうか』
『どういうことかな?』
『獬豸の落とした角を取ってくるだけなら、比較的視界が良好で安全な、昼間でもよかったのではと』
『ふむ』
『それをなぜわざわざ、獬豸と出くわすような時間帯を指定したのか。私たちは……』
そこまで言って紅月は私をちらりと見る。
『……いえ、私は貴方が意図して、私たちを陥れようとして、この事実を伝えなかったのではないかと考えています』
「ちょ、紅月……!」
『なぜか、ここにいる東雲真緒は貴方を信じたいようですが……』
紅月が毅然とした態度で伝えると、梁さんは少しはにかむようにして笑った。
『たしかにそうだねえ。こうなった以上、そう思われても仕方がないと思うよ』
『……弁明は、しないのですか?』
『ほほほ。いや、ごめんねえ。最初に断っておくけど、儂にそんな意図はなかったんだ。本当だよ』
『では――』
『そうだねえ。ではまず誤解を解くために、明け方に取りに行ってもらった目的から話しておこうか。その前に……』
梁さんは私たちに背を向けると、部屋の中を指さした。
『疲れたろう。お茶にしようか』
◇◇◇
〝ゴリ……!〟
〝ゴリ……!〟
舟形にくり抜かれた石槽の上に、両端に握り手のついた鉄の円筒。
梁さんはそれを前後に転がし、私たちが取ってきた角を慣れた手つきですり潰している。
私たちはそれを尻目に、彼が淹れてくれたお茶に舌鼓を打っていた。
お茶は独特な風味があり、緑茶ではなく穀物茶に近いまろやかな甘みがある。
紅月は、最初こそ警戒していたが、今は私の隣でお茶を飲んでいる。
『……さて、理由はふたつある』
梁さんが手を動かしながら話し始める。
『ひとつめだが、獬豸の角には有効期限というものがあってねえ』
『有効期限ですか』
紅月が訊き返す。
『うむ。儂が今すり潰しているこの角なんだがね、抜け落ちてから半日ほど経過してしまうと、ただの角になってしまうんだよねえ』
『それは、効能がなくなってしまう……ということでしょうか?』
『そうだねえ。だからこうやって、効能がなくなってしまわないうちに、他の素材と組み合わせて〝薬〟にしているんだ』
『なるほど……』
『ふたつめは同業者だねえ』
『同業……つまり、他にも角を狙っている人間が?』
『そのとおり。話が早いねえ。獬豸について説明した時にも言ったけど、角は高額で取引される』
『ですが、今回はそれらしき人は全然……』
『そりゃあそうだ。なぜなら連中が角を回収するのは、比較的安全で視界も良好な昼間だからねえ』
『え? でも、昼間に回収しても意味がないのでは?』
『そうだねえ。その場で薬に出来るのなら意味はあるかもしれないが、連中に薬学の知識があるとは思えないねえ』
『じゃあ、その人たちが回収しているのは、ただの角ってことなんですか?』
私がそう質問をすると、梁さんは手を止めずにうなずいた。
隣にいた紅月はしばらく黙っていると、やがておもむろに口を開く。
『……もしかして、他にも使い道があるということでしょうか?』
『いいや、話はもっと単純なものだ。角に効能が残っていると偽って売られているんだ』
『さ、詐欺じゃないですか……!』
『ほほ、そうだねえ。立派な詐欺だねえ』
『丹梅国のギルドでは、そういった行為は取り締まられていないのでしょうか?』
『取り締まるも何も、そもそもの話、ほとんどの人が角に効果があるかどうか……なんて、わからないんだよ』
『へ?』
『仕入れている人間たちでさえ、自分たちが売っている獬豸の角に効能が残っているかどうかをわかっていない。というか〝自分たちが詐欺行為に該当している行いをしている〟という自覚を持っている人のほうが少ないんじゃないかな』
『そんな……じゃあ、そもそも薬が効いているかどうかなんて――』
紅月はそこまで言うと、彼女が手にしていた茶器がわずかに揺れた。
『ほほ、気づいたかい?』
『そもそも、獬豸の角に効能なんてものはない……?』
「な、なに言ってんの紅月。そんなわけがな――」
『さすがだねえ。そのとおり、獬豸の角に人間の体に作用する効能なんてのはないんだよねえ』
『そんな、じゃあ今、梁さんがやってることって一体……それに薬としての意味がないんだったら、高く取引されるはずが……』
『落ち着きなさい、真緒。人間には、よ』
『え? ……あっ、なるほど、魔物にはきちんと効くんだ!』
『正しくは一部の、だけどねえ。人間だと、獬豸の角から作られた薬をいくら飲んでも効果はない』
『それでも、買っちゃうんだ……しかも高値で……』
『偽薬効果……というものでしょうか?』
偽薬効果。
さすがにそれは私でも知っている。
例えば、ただの飴玉を薬だと言って渡すと、患者が〝これは効く薬だ〟と思い込むことで、痛みや不安が和らぐ現象を指す。
『それもあるねえ。けど、それだけじゃないんだ』
『まだなにか?』
『……こういう話があってね。
昔々、外からこの瑞饗に、それはそれは美しい娘がやって来た。
しかし、その娘は同時に、今にも死んでしまいそうな怪我を負っていた。
そして、その娘を治療するために王様は、丹梅国から医者という医者をかき集めた。
けれど、結局娘の怪我を治せる医者は出てこなかった。
人々は悲嘆に暮れていたが、そんなところに普段皆から鼻つまみ者にされていた医者が、獬豸の角で処方した薬を娘に飲ませると、その怪我はたちどころに治ったのだという』
『そのオチってまさか――』
『そう。娘の正体は魔物だったんだよねえ。でも、それ以降獬豸の角が瑞饗で大流行。しまいにはその噂を聞きつけ、外国からも商人が買い付けに来る始末。そして、いつしか娘が魔物だったという部分だけが抜け落ち、獬豸の角の効能だけが独り歩きし、今に至る』
つまり獬豸の角は、プラシーボ効果が産んだ究極型の偽薬。
人々は今もそれをありがたがり、高値で買って服用している。
『人間は見たいものだけしか見ないというお話さ。つまり、儂が時間を明け方だと指定したのは、同業者連中は、獬豸の角が生え変わる時間帯も知らなかったからだねえ』
『でも、そんなこと知っているなんて梁さん……あなたは一体……』
『ほほ。儂はただのしがない魔物医だよ。……それよりも、儂が気になったのは君たちが〝フェニ子〟と呼ぶ魔物のほうだ』
「……ん? なんじゃ、こぞって妾を見てからに」
『おそらく獬豸が君たちを襲ったのは、状況から察するに彼女が理由だろう。……もしよければ、彼女のことについて話してくれるかな』
私は紅月を見ると、彼女はそのままゆっくりとうなずいてくれた。
ここまで踏み込まれてしまっては、話さないわけにはいかない。




