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閑話 フェニ子の食事矯正【東雲視点】


 梁さんの診療所を出ると、裏路地は相変わらずひっそりとしていた。

 人通りはなく、壁際には乾かしかけの薬草が吊るされている。

 石畳は薄暗く湿っており、ぶさいくな猫が物陰からちらちら顔を覗かせるくらいだ。


「なんっじゃ、あの猫! 妾に喧嘩でも売ってるつもりか!」

「……仮に売ってるとしたら、どうするつもりなのかしら」

「ふん。無論、その喧嘩……買ったあああああ!」


 フェニ子が両手を上げて襲い掛かると、猫は「ぶにゃああ!」という鳴き声を上げて、そのまま逃げていった。


「呵呵! 大したことないのう! 妾の勝ちじゃ!」


 フェニ子はそう言って、野良猫相手に勝ち誇っている。

 どうやら調子はいいようだ。


「……真緒、それよりも大丈夫なの? 鳳凰を連れ回すなんて」

「大丈夫でしょ。実際、ここに来るまでに梁さん以外には、特になにも言われなかったでしょ?」

「それはそうだけど……」

「それと、紅月。フェニ子を〝鳳凰〟って呼ぶの禁止ね。バレちゃうから」

「……はぁ、わかったわ。あまりその名前で呼びたくなかったのだけど」


 そんなことを話しながら私たちは細い路地を抜け、大通りへと足を踏み入れた。


 瞬間、相変わらずの熱気と人の多さに、思わず足が止まる。

 夕食時だからか昼間よりも人が多く、通りは押し合いへし合いの熱気に包まれていた。

 屋台から沸き立つ湯気が朱色の提灯に照らされ、幻想的な雰囲気も漂わせている。


親愛的(ますたあ)! 白玉あんみつはあるか!?」


 頭が痛くなってきた。

 ほんの数分前の記憶を、この子はどこへ置いてきてしまったのか。


「というか逆によくそこまで飽きないね」

「最初食べたとき衝撃的じゃったからのう。妾、もうあれだけでよいぞ」

「……あれだけを食べていたせいで、さっきまで倒れていたのは誰だったかしら」

「薬も飲んだし、もう大丈夫じゃろ」

「……いい? フェニ子。さっきも言ったけど、ここへはフェニ子の好き嫌いを治すために来たの。そもそも丹梅国に白玉あんみつはないでしょ」

「はあ!? なんでじゃ!?」

「梁さんが言ってたじゃん。〝白雉国の甘味か〟って」

「い、いやじゃ……! 妾は白玉あんみつ以外は食わん!」

「なら、またあの薬飲むことになるよ。……それに――」


 私は網の上で焼かれた串焼き肉を指さした。

 白雉国ではまず嗅いだことのない、パンチの効いた香辛料の香りが鼻腔をつく。

 炙られ滲み出た肉汁が、炭に落ちて蒸発し、蒸気となって肉へ還元される。

 私は気が付くと串焼きを三本購入しており、一本は紅月に、そしてもう一本はフェニ子に渡した。


「ほら、こんなにおいしそう」

「げぇえ。前から思っておったが、動物の死骸なぞよう食えるの」

「……あれ、フェニ子ってば野菜しか食べないの?」

「野菜も食わぬ。妾が食うのは――」

「ん~! おいしい~!」


 紅月が串焼きを片手に、もぐもぐと顎を動かしながら満面の笑みを浮かべている。

 彼女は私とフェニ子に見られていることに気が付くと、急いで肉を飲み下し、軽く咳払いをした。


「……ま、まぁまぁね。珍しい味だけれど、悪くないんじゃないかしら」


 今まで紅月のあんな笑み見たことないんだけど。

 でも、もしかしたらこれは、使えるかもしれない。


 私も紅月に続くように、手に持っていた串焼きを頬張った。

 多少獣臭い肉と脂だが、同じくクセのある香辛料が上手にそれらをまとめている。

 さらに噛めば噛むほど獣臭さは消え、肉の奥底から原始的なうまみが口いっぱいに広がった。

 後に残るのはピリ辛い唐辛子の余韻と肉の脂。

 これを麦酒で流し込むことができれば、どれほど幸福だろうか。


 しかし、今は我慢だ。

 私は精一杯〝おいしかった〟という表情を浮かべるとフェニ子を見た。

 案の定、彼女は私の様子に釘付けになっている。


「あ~あ、フェニ子が要らないなら、この串焼きは私が食べちゃおうかな」


 私はそう言うと、わざとフェニ子の目の前で串を揺らした。

 右へ揺らせばフェニ子の眼球も右を向き、左へ揺らせば左に向く。

 そうして、私はフェニ子の口元へ串焼きを持っていくと――


 〝ぱくり〟


 彼女はその小さい口で、大きな肉を頬張った。


「……どう?」

「か」

「か……?」

「か、辛い!? 舌が燃えるようじゃあああ!」


 しまった。

 フェニ子の舌はどうやら辛味に弱かったみたいだ。

 せめてもうすこし食べやすそうなものを選べばよか――


「けど、おいしい」


 途端、まるで長年にわたる洗脳を解かれたようにスッキリとした表情を浮かべるフェニ子は――


「│親愛的ますたあ! 妾にもよこすのじゃ!」


 フェニ子は私の手から串焼きをぶん取るなり、バクバクと食べ始める。

 私と紅月は互いに顔を見合わせると、作戦が上手くいったことに喜んだ。


「た、たまらぬ……! たしかに辛い! まるで毒のようじゃ! けど、食べる手が止まらぬ!」


 フェニ子は唇を真っ赤にさせながら興奮している。


「まさか動物の死骸がここまで美味いとは……いや、肉にかかっておる、この植物の種のようなものと、赤くて辛い粉が美味しいのじゃ?」

「どっちもだよ。お肉だけじゃこうはならないし、香辛料だけもまた然り。二つの要素が絡み合って、初めて美味しい料理になるんだよ」

「なるほどのう。しかし足りんぞ親愛的(ますたあ)。まだまだ食い足りぬ」

「うん、残念だけど、串焼きは一旦おしまいね」

「な、なぜじゃ! もう妾は串焼きだけでよいぞ!」

「だから偏食で体調崩すんだってば……」

「おつぎは、こういうのはどうかしら?」


 そう言って紅月が持ってきたのは、白いパンのようなものに、肉と野菜が挟まっているものだった。


「ふん、野菜か。よいか、妾は高貴な存在じゃ。そのような草もどき、食べるわけがなかろう」


 どういう視点から高貴を語ってるんだこいつは。

 なんてことを考えながら、私は紅月からそれを受け取り、一口食べた。


 パンの生地はおそらく油を敷いた鉄板の上で焼かれていたので、ぱりぱりとしていて、それなりに噛み応えがある。

 そして注目すべきはその中身で、ほろほろの食感の刻まれた肉が、中に隠されていたしょっぱめの味付け卵と、抜群の相性を誇っている。

 そしてなによりも、このシャキシャキとした野菜と少し青臭い香草が、もったりとした組み合わせに清涼感を与え、いくらでも食べられるようにしてくれている。


 まさに至福。

 どなたかお酒を恵んではくれませんか。


「あ~あ、フェニ子が要らないなら、これも私が食べちゃおうかな」


 私はそう言うと、またわざとフェニ子の目の前でそれを揺らした。

 右へ揺らせばフェニ子の眼球も右を向き、左へ揺らせば左に向く。

 そうして、私はフェニ子の口元へそれを持っていくと――


 〝ぱくり〟


 彼女はその小さい口で、大きなパンを頬張った。


「……どう?」

「う」

「う……?」

「美味すぎるのじゃあああああああああ!」

「なんなのかしら、この既視感」


 今度は早かったな。

 まぁ実際、めちゃくちゃ美味いんだけど。


「な、なんなんじゃ、親愛的(ますたあ)たちは普段から、こんな美味いものを食べておったのか」

「丹梅国のはこれが初めてだけど、白雉国にも美味しい食べ物はいっぱいあったよ」

「な、なんということじゃ……妾は今まで損をしておったのか……」

「貴女が食べなかっただけじゃない」

嘻嘻(ふふ)、じゃがこれからは違うのじゃ。飯時になれば、妾も誘うがよい!」


 フェニ子の楽しそうな笑い声が瑞饗の夜空へと吸い込まれていく。


 こうして、フェニ子の好き嫌いは、こんなにも簡単になくなったのであった。


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