第82話 魔物と人間と
怪しい男の診療所と思しき空間の、奥の一室。
フェニ子はそこに仰向けに寝かされた。
彼女の頬は青ざめ、苦悶の表情を浮かべている。
男はフェニ子を一目見るなり、棚から小瓶を取り出すと、匙で粉末をすくい、水に混ぜて手際よくかき回した。
「……已经知道症状了吗?」
「嗯。能化成人形,与人类一起行动的友好魔物,陷入这种症状的可不少啊」
男は紅月の質問に、落ち着いた声で答えた。
やはりこの人には、フェニ子が魔物だということがわかっているらしい。
それにしても、てっきりその奇抜な見た目から、破天荒な治療法でもしてくるのかと思っていたが、彼の処置はあまりにも普通だった。
やがて匙を口元へ運ばれたフェニ子は、かすかに眉をひそめて弱々しく首を振った。
「くちゃい……」
「别抱怨」
「あと……とても苦そうじゃ……」
「喝下去」
その様子に業を煮やしたのか、紅月はフェニ子の頬を掴んで無理やり口を開かせる。
男もその隙に、匙をフェニ子の口の中へねじ込み、薬を流し込んだ。
〝ごくり〟
薬はフェニ子の喉を通ると、すぐに強烈な苦味を広げたのか――
「のじゃあああああああああああ!?」
と叫んで芋虫が如く身をよじった。
だが次の瞬間、彼女の目がぱちりと開き、勢いよく上半身を起こす。
「妾、復ッ活!」
いままでの苦しそうな表情から一転、これまでのことが茶番にも思えるかの如き復活を遂げるフェニ子。
その間の抜けた顔や変に張り上げていた声に、私と紅月は同時に深いため息をついた。
「不好意思,给您添麻烦了。……那么,人形魔物常见的症状是什么呢?」
紅月がそう尋ねると、男性はにやりと笑って口を開く。
「是营养不良啊」
「……は?」
「……へ?」
私と紅月の間の抜けた声が重なる。しかし男性は構わずに続けた。
「大概是太过偏食吧」
「偏食……?」
そういえば……と、ここ数日のフェニ子の食事を思い返してみるが、たしかにあいつ、白玉あんみつ以外の食べ物を食べていた記憶がない。
てっきり鳳凰なんだから、私たちとはまた別の手段で栄養の補給を行っていたのかと思っていたが――
「那个……这几天只吃了白玉馅蜜」
「白玉……原来如此啊。是白雉国的甜品吗。那当然会把身体搞坏了」
「那、那个,您是怎么知道的……? 菲妮子是魔物这件事」
「直觉吧」
「直觉吗……」
理由を言いたくないのか、それとも本当にただの勘なのか。
彼はぼんやりとした口調でそう言った。
「……啊,对了,还没自我介绍呢。我叫梁寇,在瑞饗做了多年的魔物专科医生」
「魔物的医生。原来如此,这就是原因……」
「魔物变成人类的姿态后,身体的一部分机能也会变成人类的,所以很多魔物就会因此身体不适」
「也就是说,以后也必须给她吃普通人类吃的食物……是这个意思吗?」
「没错啊。这次是极端的例子,但如果挑食的话,还是会出现这种情况的」
とりあえず私は胸をなでおろした。
深刻な流行り病とか、風土病とか、そういうのじゃなくて本当に良かった。
「はぁ……やれやれ、まったく、くだらないことね、本当に。こんなことでいちいち、私たちに迷惑をかけないでほしいのだけれど」
「なんじゃなんじゃ。好きなものだけ食べて何が悪い」
「……貴女、もう一度栄養失調になってみなさい。灰にするわよ」
「おーおー、やってみるがよい。人間如きが妾に盾突こうなぞ、千年はやいわ」
なんでここまで仲悪いんだこいつらは。
私はそんな二人を尻目に、梁さんに近寄っていった。
「不好意思,真的帮大忙了。诊疗费和药费是多少呢?」
私がそう言うと梁さんは顎に手をやり、しばらく「むぅ」と唸ると、もう一度私の顔を見た。
「用钱支付也行,不过这次能不能请你帮我一个忙呢?」
「帮忙……?」
「当然了,我希望用钱以外的方式来支付」
梁さんがそんなことを言うと、紅月が私と彼の間に割り込んできた。
「抱歉,我们还要赶路。如果是费用的话,我们会好好支付,请告诉我们金额好吗」
今度は紅月と梁さんの視線が交錯する。
紅月が私のことを考えてくれているのはわかるが――
「紅月、ここはいちおう話だけでも聞いてみようよ」
「でも真緒……」
「大丈夫、変なのだったら断ればいいんだし、それに丹梅国のことを知れるかもしれないでしょ?」
「はぁ……貴女はまたそんな……。まあいいわ。もし変な要求をしてきたら、そのまま出ていくわよ。代金なんて支払う必要なんてないわ」
私がうなずくと、今度は梁さんが口を開いた。
「怎么样啊? 谈妥了吗?」
「好的。暂时先听您说说看吧?」
梁さんは満足げにうなずき、口を開いた。
「那我就说明一下吧。有一种叫獬豸的魔物。」
「獬豸……吗?」
「嗯,它的外形像鹿,额头上有一根巨大的角。那角带着电气,到了时候就会脱落换新」
私と紅月は梁さんの話に耳を傾ける。
「我想请你们取来的是獬豸的角。先说明,不会有危险。它们性格非常温和胆小,只要普通人靠近,就会立刻逃走。
「梁先生要用那角做什么呢……?」
「角可以作为药物或护符的材料。但麻烦的是,它在市场上很少流通,而且价格高得很」
「原来如此。所以您是希望我们去取来」
「没错,就是这么回事」
話が終わると私は一旦、紅月を見た。
「……どう思う?」
「いいんじゃないかしら。思っていたよりも、ギルドの依頼っぽかったし」
「そうだね。危険もないみたいだし、丹梅国のことももっと知れるかも。ちなみに紅月は、カイチについては何か知ってるの?」
「たまに白雉国にも角が流れてくるくらいね。聞いた話だと、魔物自体はたしかに危険じゃなさそうだし、貴女が受けてみたいのなら、受けてみてもいいんじゃないかしら。もちろん私も付き合うわよ」
話はまとまった。私はもう一度梁さんのほうを振り向くが――
「呵呵、見た目の割に案外普通なんじゃのう、おぬし」
「呵呵呵。我接触的都是魔物啊。要是平时不装得像个怪人,别人就会发现我在治疗魔物,那样可能会给它们带来危险」
「ほぉ~ん」
なんか、フェニ子と梁さんが馴染んでいた。
なぜこんな感じで紅月と話せないのか。
……いや無理か。
今回は梁さんが聞き流しているだけで、紅月なら「見た目の割に」とか「案外普通」に反応してしまうのだろう。
それにしても、変な恰好をして人を寄り付かせないようにしているのは、魔物のため……か。
ちょっと梁さんのことについて気になるな。
「……梁先生,关于獬豸的事,我们愿意接下」
「呵呵,是吗。真是帮大忙了。不过,角更换是在太阳升起的时候。獬豸一旦掉角就会离开,所以不会是个难的任务」
「这样……吗」
私はそう言って窓の外をちらりと見る。
時刻は陽がすこし傾きだした頃。
今日のところは瑞饗で宿を取って、明日の朝、まだ暗いうちに向かったほうがよさそうだ。
「啊,对了。如果你们愿意的话,我这里有空房,可以借给你们用」
「可以吗?」
「啊,当然。虽然有点药味,但如果不介意,就随便用吧」
梁さんはそう言っているが、この部屋のにおいはさほど気にならない。
それに私としては宿代を節約できるほうがありがたい。
都だからどうせ高いんだろうし。
◇◇◇
そうして案内された部屋は質素なものだった。
たしかに薬草の匂いや、つんと鼻腔を刺激するような臭いがかすかに漂っていたが、寝泊まりするには支障はないだろう。
私は床に荷を置くと、二人を振り返って手を打った。
「――じゃ、いきますか!」
どこへって?
そんなのはもちろん決まっている。美食街だ。




