第78話 フェニ子と採取依頼
紅月のお見舞いを終えた次の日、私はここ、燦花のギルドへと来ていた。
目的は彼女が療養しているあいだの肩慣らしと――
「うん? なんじゃ親愛的? 妾の顔に、なにかついておるのじゃ?」
鳳凰が私たちの旅についてこられるかどうかを見極めるためだが、ぶっちゃけ私はあまり前向きじゃない。
理由は簡単。
危ないからだ。
彼女にとっても、私たちにとっても。
中途半端な能力と覚悟でついてこられても、彼女自身も危ないし、それをフォローする私たちも危なくなる。
だから、彼女の能力が湯たんぽだけだとしたら、私は彼女を燦花に置いていくつもりである。
しかし、こんなちんちくりんでも残響種。
本人が知らないだけで、じつはすごい力が眠っている……可能性はある。
それを見極めるための――
「ちょっと仕事にね」
「おお、シゴトとな! 妾、知っておるぞ! 『これも致し方なし……』とかいうやつであろう?」
「……なにそれ」
私は適当に相槌を打つと、そのまま建物内に足を踏み入れた。
まず目に飛び込んでくるのは、壁一面に据えられた巨大な掲示板。
依頼書がびっしりと貼られているが、その並びは雑然とせず、依頼の内容ごとに分類され、番号札まで打たれている。
「ほほう……この紙切れの中から、シゴトを選ぶのじゃな! 愉快!」
やはりここへ来る子どもが珍しいのか、建物内にいた冒険者と職員のほぼ全員が鳳凰を見る。
私は少し恥ずかしかったので、なるべく彼女から距離をとり、他人のふりをした。
そんな私が目を向けたのは素材採取系の依頼が貼られている掲示板。
魔物討伐系はさすがに鳳凰と行く気にはなれなかった。
「親愛的! これなんてどうじゃ!」
私の気を知ってか知らずか、鳳凰が一枚の紙を手に私の元へとやってきた。
それを見ていた周りの人間は〝マスター〟という単語を聞き、ざわついている。
観念した私は鳳凰から紙を受け取ると、さっと目を通した。
やたらと古い紙だ。それに、書いてある文字も経年劣化により少しかすれている。
肝心のその内容はツチノコの討伐。
紙に書いてある情報によると、胴体部が不自然に太い蛇とのこと。
ここまでは私もよく知っているツチノコかと思ったが、問題はその体長だった。
〝その身の巨なること、実に三丈三尺に及び候〟
三丈三尺。
一丈がたしか三メートルくらい。
その十分の一である一尺が、大体三十センチくらいだとして、約十メートル。
バカげている。
巨大鳥の次は巨大蛇ってか? どんな罰ゲームだそれ。
「フェニ子、その紙を戻してきなさい」
「ちぇ~、じゃ」
余談だが、このフェニ子というのは私が彼女に送った名前だ。
公然で鳳凰と呼ぶのは憚られるため、一時しのぎとしてつけたもの。
安直に鳳凰からではなく、少し発想を飛ばしてフェニックスをもじった洒落た名前だ。
トリ子かフェニ子で迷ったが、諸般の事情によりフェニ子でいくことに決めた。
当初、彼女は嫌そうにしていたが、私が一歩も譲らない姿勢を見せると渋々折れた。
大人を舐めるなよ。
閑話休題。
鳳凰……フェニ子が、紙を返している間に、私はすばやく眼球を動かし、手ごろな依頼を探した。
また妙な依頼を持ってこられては、たまらないからだ。そして――
〝洞窟に自生する薬草、黒舌草を採取してきてください〟
「……これだ」
そう呟き、私はその紙を手に取った。
報酬も悪くないし、討伐系と比べると格段に安全な依頼だ。
ただ洞窟の中だというのが気になる。
「なんじゃ。もう決めたのか?」
いつの間に返却してきたのか、フェニ子は私の傍でぴょんぴょんと跳ね、手元を覗き込もうとしていた。
「うん。これでいこうと思ってる」
「ほう。ちなみに、どのような依頼なのじゃ?」
「黒舌草って薬草を取ってくるんだって」
「こくぜつ……?」
「なんか葉先が二又に分かれてて、止血するときとかに重宝するらしいよ」
「なんじゃ。草を取ってくるだけか、つまらん」
「……逆に訊くけど、今のフェニ子って討伐依頼こなせるくらい、戦闘力あるの?」
「ないのう。じゃが妾、温かいぞ?」
「そっか」
これ以上、この件について問答しても無駄だと察した私は、彼女を尻目にこの依頼を受注した。
◇◇◇
私たちは燦花近くの山に穿たれた裂け目を抜け、天然の洞窟へ足を踏み入れた。
中はじめじめと湿っており、土と苔のすえた臭気が重く漂う。
薄暗い洞窟には、入口から差し込んでいた光もすでに届かない。
なら、なぜ私たちは問題なく進めているのか。
それはフェニ子がほのかに発光しているからだ。
ホタルイカのようにぼんやりと発光しているフェニ子の光は、暗闇を進むには十分な明るさだった。
「意外と便利だね」
「呵呵、妾は万能なのじゃ! 褒めるがよいぞ」
「ははは……すごいすごい……」
「そうじゃろう、そうじゃろう!」
光るだけで万能とはこれいかに。
とはいえ、喜んでいるホタ……フェニ子に水を差すのも忍びない。
私は笑顔を顔に貼り付けたまま、彼女の後に続いた。
そういえば洞窟の入り口付近に、小さな祠のようなものがあったけど、あれはいったい何を祀っていたのだろうか。
まぁ、ああいう場所に祠が置かれているのは珍しくないし、いちいち気にしててもしょうがない気はするが……。
そんなことを考えていると、私たちはやがて目的の黒舌草の群生地を発見した。
洞窟の天井から一筋の光が漏れ入っており、それに照らされた場所の周りを取り囲うように自生している。
それはとても神秘的で、思わずため息をついてしまうほどに美しかった。
それに――
「うん、これだけあれば追加報酬も期待できるかも」
今回、私が受けた依頼に採取制限はなく、ギルドへ持っていけばいくほど、その数に応じて追加報酬を支払ってくれるというもの。
さらに黒舌草の単価自体も、それなりに高額。
フェニ子の実力を測るだけのつもりだったが、思いがけない臨時収入に頬も緩んでしまう。
「嘻嘻、楽しそうじゃのう、親愛的。そんなにツイカホーシューとやらは良いものなのじゃ?」
「まあね。それがあれば、フェニ子の好物の白玉あんみつを死ぬほど食べられるよ」
昨日わかったことだが、どうやらフェニ子は甘味しか食べないようだ。
彼女は甘味の中でも、とりわけ白玉あんみつに目がないらしく、人型になってからは、それしか食べていないようだ。
ためしに鳥が好きそうな米や麦なども与えてみたが、どれも食べたくはないらしい。
なんて悪食してんだ。……と思ったが、彼女は残響種。人間ではない。
おそらく糖分だけで生きていける体なのだろう。
「じゅるり……白玉あんみつ……妾、この依頼が終わったら、白玉あんみつを山ほど食べるのじゃ……」
「なにその死亡フラグ」
「し、しぼー? なんじゃそれ」
そんな軽口を返しながら、私たちは夢中で黒舌草を摘み取っていった。
◇◇◇
「ふぅ、こんなもんかな……」
やがて、黒舌草を籠に目いっぱい詰め込んだ私は、その重みを背に感じながら、改めて辺りを見渡したのだが――
「……あれ?」
妙に静かだ。
つい採取に没頭して周りが見えなくなってしまっていたが、気づけば、フェニ子の姿が見えない。
どこへ行ったのだろう。
もしかして、採取の途中で飽きて帰ってしまったのだろうか。
それは困る。こんなところから光源もなしにどうやって帰れば――
「……あ」
最近は常に使っているせいで、すっかり忘れていた。
私の目の明度を上げれば、それで暗闇の問題は解決するのだ。
だが、さすがにこのままフェニ子を置いて帰ることはできない。
私は再三、周囲を見渡す。
彼女の名前も呼んでみた――が、返事はない。
そしてその瞬間、ようやく胸に嫌な予感が走った。
「もしかして……はぐれた?」
その可能性は高い。
私でさえも籠がこんなになるまで熱中していたのだ。
フェニ子ならなおさらだろう。
それにもし、はぐれたうえで魔物か何か遭遇したとなると――
「……どうしよう。探さないと」
そうつぶやくと、鼻先にぴちゃんと何かが滴る。
触る。
ぬるりとした感触。
嗅ぐ。
無臭。
瞬間、なぜかぞくりと、全身に鳥肌が立ったような感覚に陥る。
上から、なにかとてつもなく、うすら寒い気配を感じる。
私は恐る恐る見上げると、そこにいた。
異様に太い胴をした三丈三尺の蟒蛇、ツチノコがいた。
ツチノコは天井からぶら下がり、フェニ子を頭から丸呑みにしかけていたのだ。
そして、その口からは彼女の履いていた靴がちらりと覗いていた。




