第9話 勇者は一人征く
なにが私の逆鱗に触れたのかは自分でもわからない。
もはやそれは発作と言っても過言ではないくらい、私の頭に血が昇っていた。
そして同時に、私は紅月に向かって何かを叫んでいた。
断片的に聞き取れた単語は〝あいつ〟と〝存在〟と〝否定〟のみであった。
そのあとはもう完全に支離滅裂。
やがて騒ぎを聞きつけた戸瀬たちがやってくると、私は紅月から無理やり引きはがされた。
正直、かなり驚いた。
自分は何を言われても怒らないものだと、比較的温厚なタイプだと思いこんでいた。
それがまさか、ここまで我を忘れて、怒りに身を任せてしまうなんて。
今頃冷静に分析していても仕方がない。
どのみち、紅月にはあとで謝らなければ。
「……ちょっと落ち着いた?」
隣にいた千尋が心配そうに私の顔を覗き込んでくる。
戸瀬をはじめ、あとの二人も既にこの場から立ち去った後だった。
しょうがないとはいえ、あの三人が去り際に私を見ていた目、あれはしばらく忘れられそうにない。
「うん、ごめん。心配かけたよね……」
「正直ちょっと驚いたけど、紅月さんとなにかあったの?」
「えっと、紅月が音子ちゃんになんか言って、それでカッてなったんだと思う」
「そっか……」
千尋はこれ以上詳細には訊いてこなかったが、あからさまに知りたそうな顔をしている。
「詳しく……は覚えてないんだけど、なんか音子ちゃんの存在を否定された気がして……」
ここは明言するのは避けておこう。
今回の件は勝手にブチギレて、紅月に掴みかかった私が悪い。
それに、実際は私の聞き間違いで、そこまでひどいことは言ってなかったかもしれないしね。
それくらい、あの時の私は冷静じゃなかった。
「存在の否定?」
「……ごめん、忘れて。何があっても手を出すほうが悪いからね」
「手を出すっていっても、べつに暴力を振るったわけじゃないんでしょ?」
「一緒だよ。急に掴みかかられて、紅月も驚いてたと思う」
「……そっか。でも真緒ちゃんは音子ちゃんのために怒ったんだもんね」
「え?」
「他人のためにそこまで怒れるって、なかなかできないよ」
「千尋ぉ……」
千尋はおそらくバランスをとってくれているのだろう。
ここで私が孤立しないように、こうしてフォローを入れて立ち回ってくれているんだ。
沁みる。沁みるぜ千尋。その優しさは眩しすぎる。
この世界に聖母がいるとしたら、それはきっと千尋みたいな人なのだろう。
それに比べて私は――
「……よし!」
「真緒ちゃん?」
「うん、切り替える! 戸瀬にも紅月にも謝る。それで……それで皆で一緒に、生きて帰ろう!」
「うん……うん! そうだね。私も戦闘じゃ役に立たないけど、精いっぱい頑張るよ!」
「……いや、私は戦闘どころか、いまのところ何の役にも立ってないんだけどね……」
「えっ、そんなことは……って、あれ? あの子……」
「なに、どうしたの?」
千尋の目線の先、そこには音子ちゃんが立っていた。
なにやらじっと私たちのことを見ている。
「どうかし――」
私は音子ちゃんに声をかけようとして、思いとどまった。
また変に怖がらせてはいけない。
私はそれとなく千尋に視線を送ると――
「あの、話したいこと……あるの」
いつの間にか音子ちゃんは私の指を握ってくれていた。
その手は小さくて、柔らかくて、すこし震えている。
おそらく勇気を出してここまで来てくれたのだろう。
私はさっきの千尋と同じようにその場にしゃがみ込むと、音子ちゃんと目線を合わせた。
「どうしたの、音子ちゃん」
私がそう問いかけると、音子ちゃんは恥ずかしそうに目を伏せて言った。
「あの……その前に――」
◇◇◇
音子ちゃんが静かに、壱路津の墓前で手を合わせている。
私たちの生活様式に近い白雉国ならここは火葬が適切だろうけど、勝手に遺体を焼くわけにもいかないし、そのまま放置するわけにもいかないだろう。
ということで、このように簡易的に土葬にしてある。
「ありがとう……お姉ちゃんたち」
手を合わせ終えたのか、音子ちゃんはゆっくりと私たちを振り返った。
さっきまでの人形のような虚ろな目はどこへやら。
音子ちゃんの目にはちゃんと、意志というか、光が宿っている。
「もういいの?」
「……うん。お別れ言ったから」
「そっか。偉いね」
「音子エラくない。エラいのは、千秋」
「そ、そっか……そうだね……」
急に視界が滲んできたので横を見ると、千尋は口元を押さえていた。
「……どうかしたの、お姉ちゃんたち」
「ううん。なんでもないよ。それより、もう本当に大丈夫なの?」
「うん、だってお姉ちゃんが……」
「私が?」
「……ううん、なんでもない」
音子ちゃんはそう言って首を横に振った。
「音子、知ってるよ。千秋が言ってたこと、思い出したの」
「言ってたこと?」
「オオムカデのお家の場所と苦手なこと。音子、よく千秋と遊んでたから」
思わず千尋と顔を見合わせる。
これでオオムカデを倒せる……かはまだわからないけど、一歩前進したのは間違いない。
「千秋、オオムカデを倒してくれる人の手伝いするために、この村に来たって言ってた。その人たちって、お姉ちゃんたちのことでしょ?」
「……うん、そうだよ」
「じゃあおねがい。千秋のカタキ、とって」
◇◇◇
「――その話を要約すると重要そうなキーワードは〝ミカミ山〟〝眉間〟〝勇者の唾液〟」
「なるほどな。それが、壱路津が調べ上げて、嬢ちゃんに託したオオムカデの情報ってワケだな」
私と千尋は音子ちゃんからひと通り話を聞いた後、再び三人を集め、オオムカデの情報について話し合っていた。
「へっ、お手柄じゃねえか、なあ市井! これでまた、バケモン退治に一歩近づいたってワケだな!」
「ふっ。なかなかやるじゃあないか市井」
「やりましたね、市井さん」
戸瀬がそう言うと、皆も次々に千尋を労っていく。
「あ、みんな、私は何もしてないの。音子ちゃんが話してくれたのは真緒ちゃんで――」
「よお、じゃあつまりこういうことか。オオムカデっつーバケモンはミカミ山にいて、その眉間を唾液で濡らした武器で刺し貫きゃいいと」
戸瀬が千尋の言葉を遮るようにして発言する。
なんかちょっと引っかかるけど、あの戸瀬のことだ。
敵の攻略法を見つけたから興奮して喜んでいるのだろう。
「ふっ。これで討伐手段は分かったな。なら次はそのミカミ山とやらがどこにあるかだ」
「なあ紅月、ミカミ山はこっからだとどんくらいかかンだ?」
「距離にして綾羅、ヤス村間と同程度かと」
「うし! んじゃ、早速出発すっか!」
戸瀬はそう言うと、膝をポンとたたいて立ち上がった。
「え、えっと、ちょっといいかな……」
これはさすがに流せないと思った私は、すかさず手を挙げる。
するとその場にいた全員が、戸瀬の顔色を窺うように視線を送った。
なんとなく気まずい。が、ここで容認するわけにもいかないだろう。
大丈夫。もう強い言葉は使わない。
「紅月の言う通りなら、移動手段は徒歩だと仮定して、着いた頃にはもう日が暮れてるよね。相手はただでさえ村をこんなにした残響種なのに、そのうえ、視界が悪い状態で戦うのはさすがに危なくない?」
「……馬車使ったらいいだろ」
「聞き込みの時にいろいろ見て回ったけど、この村には農耕馬しかいなかったよ。あれに馬車を引かせるくらいなら、徒歩のほうが早いと思う。それに、これから私たちが向かうのは山。馬車だと悪路は走行できない」
「なら俺が引きゃいい」
「本気? 残響種との戦闘前に、無駄な体力の消耗はすべきじゃないと思うけど」
「……ちっ、あーでもねえ、こーでもねえ。否定するのは簡単だよな。それなら東雲はどうしてンだよ」
「明日の早朝出発しよう」
「朝だあ? なに悠長なこと言ってんだ東雲」
「……逆に訊きたいんだけど、なんでそこまで焦ってんの」
「焦ってねえよ」
「べつに行かないって言ってるわけじゃない。万全の態勢で行こうよって話じゃん」
「……刀だよ」
「刀?」
「紅月から聞いてねえのか?」
「いや……」
私は首を振り、紅月を見る。
「申し訳ありません。お伝えする機会がなく……」
紅月は申し訳なさそうに私に頭を下げてきた。
「いや、いいよ。気にしてない。それよりも彼の刀がどうかしたの?」
「はい。壱路津さんが帯刀していたのは、この白雉国に二振りとない大業物で、銘を〝鬼哭啾啾〟と呼び、その名が示す通り、これで斬られた者は亡霊になってもなお、その痛みで哭き続けると聞きます」
「あ、そういえば、たしかに鞘はあったけど刀はなかったかも……」
「はい。じつは、村民に話を聞きまわっている間、並行してその刀も探しておりました」
「それで、その刀は?」
「残念ながら、この村の中には……」
「これがどういう意味か分かるか、東雲」
「わかんないけど」
「……壱路津のヤツは、どうやって残響種を追い払ったんだと思う? 素手か?」
「うーん、やっぱりその刀なんじゃない?」
「そうだろ」
……え、説明終わり?
ここからなんか察せってこと?
「……あの、ごめん。いまいちよくわからないんだけど、戸瀬は何が言いたいの?」
「体に刺さってんじゃねえかって言ってンだよ。今でもな」
「うん。壱路津自身オオムカデの弱点も知ってたし、その刀も見つかってないからそう考えるのが妥当だとは思うけど……けど、それがどうしたのさ」
「はあ? 聞いてなかったのかよ。鬼哭啾啾の効果を」
「いや、聞いてたけど……泣かせるんだよね、亡霊」
「違ぇよ! ……いや、それもあるかもだけど、要は斬った相手の行動を……著しく……制限? ……させンだよ」
「いやいや、そんな効果聞いてないよ!」
「ともかくだ。俺が言いてえのはな、こうやってモタモタしてるうちに、ふとした拍子で刀が抜けちまうんじゃねえかってこった」
「……あー、なるほど」
うん。これでなんとなく戸瀬の考えが理解できた。
無茶で無謀な英雄仕草がまた顔を覗かせて、無駄に功を急いでるのかと思った。
けどそうじゃない。
やっぱり戸瀬は戸瀬なりにロジックを組み立て、考えてくれていた。
けれど――
「ごめん。それでも賛成できないかも」
「はあ?」
「やっぱり夜は……それも山となると危なすぎるよ。それに、手負いの獣は危険っていうし」
「獣じゃなくて虫だがな」
すかさず牙神が揚げ足を取ってくる。
話をややこしくするだけだから、あまり出てきてほしくはなかった。
それにこれ、ただの慣用句のつもりで使ったんだけどな……。
「だが僕も東雲と同意見だと言っておく」
「おいおい少年まで……」
「聞いたことがある。ムカデは――夜行性だとなッ!」
戸瀬はポーズを決めている牙神を無視し、千尋と紅月に視線を送った。
「私……は、真緒ちゃんに同意かな……」
「……そうですね。鬼哭啾啾の効果以上に夜というマイナス効果は大きいかと」
四対一だ。
戸瀬には悪いが、分はこちらにある。
「ちっ、臆病モン共が。……わぁったよ! 明日の朝まで自由行動だ。体休めとけよ!」
戸瀬はそう吐き捨てると、大股でそのままどこかへ行ってしまった。
よかった。引いてくれた。
私もこれで一安心……かと思っていた。
しかしその日の夜、戸瀬が村から姿を消した。