第75話 勇者との別れ
「――そもそも、なんで私だけ病院じゃなくて小夜曲に寝かされてたわけ?」
小夜曲を出た私たちは紅月と戸瀬の顔を拝むため、ここ、燦花の病院へとやってきていた。
病院の構造的には、綾羅のものとなんら変わりはない。
白い漆喰の壁と板張りの床がまっすぐに伸び、煤けたランプの明かりがところどころで揺れている。
木枠の扉の上には小さな札が掛けられ、墨字で病室番号が記されていた。
「治療とか必要ないと思ったからっス」
「それ、もっさんの判断?」
「そうっスよ。屋上で倒れてた三人を見て、他二人は駆けつけた冒険者たちに運んでもらったんスけど、まっさんだけは大丈夫かなって」
「そういう素人判断が一番危なくない? もし私の体になんかあったら、責任取ってもらわないと」
「……逆に訊きたいんスけど、まっさんは今、体に異常とかあるんスか?」
そういえば。と思い、軽く肩や首を回してみるが違和感はない。
あれだけカラカラだった喉も、カサカサだった唇も、いつもどおり元に戻っている。
今の体調は、どちらかというと絶好調に近い。
「えっと……元気ですね」
「もし病院にでもいたら今頃、入院費に治療費に、その他もろもろ請求されてたところっスね」
「魔王アスモデウス様! 万歳!」
そんな感じで、一人と一柱と一羽が駄弁りながら歩いていると、前から見たことのある大男がのそのそと歩いて来た。もう笠をかぶるつもりはないようだ。
「……おや?」
一番先に声を発したのはもっさん。
そして彼は私たちを見かけると、そのまま回れ右して来た方向を戻ろうとした。
「ちょっとちょっと、ソノバさん。どこ行くつもりっスか?」
「……チッ」
戸瀬は舌打ちをすると、観念したようにその場に立ち止まった。
「元気そうでよかったよ、戸瀬」
私がそう言うと、戸瀬は驚いたように目を見開き、そのまま深いため息をついた。
「何の用だ」
「やれやれ、素っ気ないっスねえ。こうしてまっさんが安否を尋ねてきてあげてるのに」
「誰が頼んだよ」
「それより、どこへ行くつもりなんスか? まだ安静にしてなきゃダメだったんじゃないっスかね」
「もう治ったからな。……いつまでもここへはいられねえ」
そうぶっきらぼうに言っている戸瀬の顔を、私はまじまじと見た。
「ぐっ、なんだよ……何見てんだ……!」
言葉の調子こそ元気そうだが、鳳凰との戦いで浴びた爆発の痕跡は、傷となってはっきりと顔に刻まれている。
頬から額へと走るそれは、火傷と裂傷が絡み合ったように皮膚を歪め、まだ赤黒い痛々しさを残していた。
「……本当に大丈夫なの?」
「も、問題ねえ。傷は派手だが、そのうち治ンだろ」
私がそう尋ねると、戸瀬は私から目線を外しながら答えた。
まだ気まずいと思っているのだろうか。
まぁ、そうじゃないとわざわざ変装なんてしないだろうし。
本当は何でそんなことをしたのかを訊きたいが、こうなると野暮だろう。
「たしかに、普通の人間なら、そんな傷を受けたらしばらくは包帯生活っスからねえ。ここらへんは、勇者のなせる業……ってとこっスかね」
「フン、また勇者か。ありがてえのか、ありがたくねえのか」
「――ふむ。どうやらその傷、妾に責任がありそうじゃな。どれ、治療してやろう」
「……あ? なんだこのガキ」
「あー……この子は……」
説明するか迷ったが、迷った末に、私はこの幼女があの鳳凰であると明かした。
そして、私たち勇者が近づくことで残響種が目覚めるということも。
「残響種が……か。ますますよくわかんねえ存在だな」
戸瀬はそう言って、鳳凰をまじまじと見る。
「……にしても、ここまで弱くなるモンなのか?」
「仕様があるまい。此度の転生はちと問題があったからの」
「問題? なにそれ、そんなの聞いてないけど」
「べつに尋ねられとらんかったからの。……本来転生とは、莫大な魔力を必要とする……んじゃが、どうやら親愛的たちとの戦いで、その溜め込んだ魔力を使ってしまい、中途半端な転生体となってしまった――というところじゃろう」
「というところ? ……なんだ。歯切れ悪ぃな」
「当り前じゃ。全部推測じゃからな。さっき親愛的も説明しておったが、妾は前世……つまり、真なる鳳凰の姿のときの記憶はないのじゃ」
「そうか。……また、調べることが増えたな」
話を聞いていた戸瀬は顎に手を当て、かろうじて拾えるくらいの声量でつぶやいた。
「調べること?」
「いや、なんでもねえ。こっちの話だ。……それにしても東雲、ガキになんて呼ばせ方させてンだよ」
「いやいや、ちがうって! 鳳凰が勝手に私のこと、そう呼んでるだけだから! 私の趣味とかじゃないから!」
「で、名前は?」
「……え?」
「おまえ……もしかして、これからそいつのこと、ずっと鳳凰って呼ぶつもりか?」
「そうだけど……」
言われてみれば、たしかにそうか。
こう見えて残響種で鳳凰だから、そう呼ぶと燦花の人たちが怖がったり、警戒するかもしれない。
やっぱりここは戸瀬の言うとおり、なにか名前を付けたほうがいいのかもしれない。
「……とにかく、俺はもう綾羅に戻る」
「なんじゃ、トセとやら。治療はせんでいいのか?」
「こんなもん、そのうち治る。それに――」
戸瀬はそう言うと、私をちらりと見た。
「借りを返したばっかだからな。またすぐに借りは作りたくねえ」
「借り……? そういえば船でもそんなこと言ってたけど、私なんか戸瀬に貸してたっけ?」
「て、てめえ、東雲……マジでなんにも覚えてねえのか……?」
「え、なにが?」
「……チッ、なんでもねえよ。くだらねえ。気にしてたのがバカみてえだぜ」
「えぇ……」
一方的になにかを借りられて、勝手に失望されたんだが。
相変わらずこの男、何考えてるかよくわからん。
「……じゃあな。死ぬんじゃねえぞ」
「う、うん……ありがと……」
戸瀬はそう言って、私たちがやって来た方向へと歩き出した。
私はというと、まさかそんなことを言われるとは思っていなかったので、しばらく彼の遠ざかっていく背中をボーっと眺めていた。
「まっさん?」
「……なんか、変わったね、戸瀬」
「そうなんスか? あたしは前のあいつをよく知らないっスからね」
「うん。……まぁ、良いか悪いかはわかんないけど」




