第69話 灰の雨が濡らすは
〝ドガァァン!〟
轟音とともに視界が真っ白に染まった。
戸瀬の大きな手に突き飛ばされた私は、棟の上を勢いよく転がっていく。
瓦が容赦なく背や肘を打ち、呼吸のたびに肺に熱風が叩き込まれる。
やがて勢いが止まると、私は即座に立ち上がり、戸瀬のいた方向を振り返った。
うつ伏せで、体から黒煙を上げてピクリとも動かない。
私は反射的にそのまま彼に駆け寄ろうとしたが――
「ダメ!」
紅月の声で行動を思いとどまる。
「 真緒! 数が多すぎる……!」
見ると、彼女は懸命に火の粉に向かってナイフを投げていた。
それにより、私は一気に現実に引き戻される。
そうだ、今あいつのところへ行っても、私には治療も防御もできない。
でも、だからと言って――
私は改めて周りを見回した。
数えきれないほどの火の粉が、この小夜曲めがけて飛来してきている。
そして私は、どう足掻いても、これらすべてを撃墜できないことを察してしまった。
その瞬間、まるでスローモーションの映像を見ているように、周りの景色がゆっくりになる。
嗚呼、まただ。
私はまた走馬灯のようなものを見ているのだ。
火の粉のはばたいている様や、時折、水のような火が体から滴っている様子などが鮮明に見てとれる。
でも、よくよく考えてみると、走馬灯ってそういうものじゃ――
〝ボン!〟
「……ん?」
〝ボン!〟〝ボボォン!〟〝ボガァァァン!〟
突如、私たちに近い場所にいた火の粉から、次々に爆ぜていく。
紅月がなにかやっているのかと思ったが、彼女も目を丸くして、その光景を見ていた。
なら、これは一体――
「東雲殿ぉ!」
名前を呼ばれ振り返ると、そこにはいつの間にか人が集まってきていた。
そして今も、階下から人が階段を上がって、続々とこの棟に集まってきている。
中にはどこかで見たような人も――
「東雲殿、拙者をはじめ冒険者一同、助太刀に参った」
「あなたは……歳野さん……!?」
丹梅国行きの船で乗り合わせていた、歳野さんをはじめ、他にも船の上で見たことがある人たちがそこにはいた。
「みなさんも、なんでここに……!?」
集まった人たちは、手慣れたように互いに背中を合わせて円陣を組み、飛んできていた火の粉を次々と空中で炸裂させていった。
魔法を使っている人、弓を使っている人、紅月のように何かを投げている人たちのお陰で、火の粉は順調に数を減らしていっている。
「なんでもなにも、俺たちは冒険者だからな」
「そうそう。魔物を倒すのもそうだけど、一般人を守るのもまた仕事だ」
「僕たち、いままで手分けして、燦花の人たちの避難誘導をしていたんです」
「ちょうど誘導が終わったくらいで、この建物の上で誰かが戦ってるってなって……」
「こうして馳せ参じた次第にござる」
「それに、船の一件では僕たち、見てるだけでしたから……」
「――こっちは大丈夫です!」
声のほうを見ると、男性のひとりが、倒れていた戸瀬を抱き起していた。
「園場さん、負傷はしていますが、命に別条はありません!」
たしかに顔のほうはよく見えないが、微妙に胸が上下しているのが見える。
「そ、そうだったんですね……! ありがとう……ございます!」
「礼は不要。拙者らはただ己が義を果たしに来ただけにござる。……そして、それは東雲殿も同じでござろう?」
「歳野さん……」
そうだ。私のやるべきこと。
これだけの人たちが火の粉の対処にあたってくれるのなら、あとはもう鳳凰に集中するだけだ。
あの頭を、霊核を――
「けど、さすがにこの数は……!」
「大丈夫だ! あの東雲さんを信じろ!」
「……さあ、東雲殿! 彼の不遜なる輩に渾身の一撃を!」
私は歳野さんの言葉に力強くうなずくと、同じように私を見ていた紅月に向かって言う。
「……紅月!」
「ええ、わかってる!」
紅月は懐からナイフを取り出すと、鳳凰に向けてそれを構えた。
私もステータスを紅月のものに切り替えると、筋力の数値のバー部分に指を置いた。
「いくよ、紅月! さん……!」
「にぃ……!」
「いち――」
「ゼロ!」
数値を一気に最大値まで上げ、その瞬間に紅月がナイフを投擲する。
彼女が腕を振り下ろした衝撃で空気が揺れ、とんでもない速度で射出された。
空気をくり抜き、闇を切り裂き、ナイフは一直線に飛んでいった――かに思えた。
やはり彼女の消耗しきった身体では狙いは定まらず、軌道は僅かに逸れていたのだ。
――どうする。
歳野さんたちが勢いよく加勢しに来てくれたとはいえ、それでも火の粉の数は異常だ。
現状はなんとか対応してはいるが、それでも次の紅月のクールタイムが終了するまでは持ちこたえられそうにない。
ここは一旦、弓を使ってる人がいたから、その人を強化して――
「いけ、ハバキリ」
〝バチバチッ〟
突然、青白い稲光が天に向かって走る。
迸る雷が矢となり、ナイフを包み込み、その軌跡を無理やり修正する。
ナイフは私たちの万感の想いをその刀身に宿らせたまま、鳳凰の脳天を貫いた。
見ると、立ち上がるのもやっとの戸瀬が、最後の力を振り絞りハバキリを構えていた。
そして次の瞬間、ハバキリはその役目を終えたように、刀身からボロボロと崩れていく。
「はあ……くそ……俺ぁ……もう……寝る……」
〝バタン……!〟
今度こそ力を使い果たしたのか、戸瀬はそのまま仰向けに倒れてしまった。
そして――
『キィィィィィィィィィィィィィィィィ!!』
大気を裂く絶叫が夜空に響き渡る。
その声を最後に、炎を纏っていた巨体は急速にしぼみ、輪郭を保てなくなっていく。
やがて羽根も翼も、燃えさかる瞳さえも、砂のように崩れ落ちた。
あれほどまでに煌々と光っていた鳳凰の体はくすんだ鼠色の灰となり、滝のごとく燦花の街へと降り注いだ。
翼をはためかせて迫ってきた火の粉たちも、まるで糸の切れた操り人形のように力を失い、次々に蒸発していった。
鋭い嘴も、燃えさかる翼も、白い煙となってかき消える。
さっきまで殺意の塊だった炎は、音もなく弾け、夜風に攫われるように消滅していった。
その様は、まるで最初からそこに何も存在しなかったかのよう。
私はそれを見届けた瞬間、緊張の糸も切れてしまったのか、そのまま――




