第8話 東雲 真緒の許せないこと
目が覚めた私は、隣で私が起きるのを待ってくれていた千尋と一緒に、さっそく村民への聞き込みを始めていた。
しかし――
「しょうがないとはいえ、まさかここまでとはね……」
私が愚痴まじりにそう言うと、隣で歩いていた千尋は俯いてしまった。
「そう……だね……体の怪我だけじゃなくて、心の怪我も治せたらよかったのに……」
「い、いやいや! なに言ってんのさ! 千尋は十分すぎるくらい頑張ったでしょ! 落ち込むことないって! みんな感謝してたじゃん!」
「うん。ありがとう真緒ちゃん。……けど、やっぱり勇者なのに無力だなって思っちゃうんだ」
そう。体の怪我は治せても、心の怪我は治せないのだ。
今まで話を聞こうとした人たちは全員、そのトラウマからか、オオムカデについて固く口を閉ざし、思い出すことさえも困難になっていた。
「でも参ったなあ。これじゃまた、戸瀬と言い合いになりそう」
「え、なったの? 言い合い?」
「まあね。大したことじゃないんだけど、千尋が寝てる間に――」
私はここで初めて、戸瀬、牙神とのやり取りを千尋に話した。
「そんなことがあったんだ……」
「でもほんと、全然大したことじゃないよ。戸瀬がいつもみたいに熱くなってて、それで私も諫めるためにちょっと強い言葉使っちゃった……みたいな」
「どんな?」
「……英雄願望とか、自殺志願者とか、仲間道連れとか、自分に酔ってるとか」
うわあ。思い出しただけで、かなりひどいこと言っちゃってる。
これでよくブチギレられなかったな私。
少なくとも頭のおかしい女とは思われてそう。
「うん……それはたしかに、ちょっと強いかも……」
「だ、だよね……戸瀬とはあんまり話してなかったし、普段語気とか強めだし、声も大きいし、だからこっちも負けないようにって思って……」
「それで……思わず使っちゃったんだ、強い言葉……」
「今になって、反省しても遅いよね……」
「で、でもでも! きちんと発言できただけでも大きな進歩だよ!」
「うぅ……千尋はなんでも褒めてくれるなあ……」
千尋に慰めてもらっていると、前方から見覚えのある女性が歩いてきた。
「こちらにいらっしゃいましたか」
「あれ、紅月。いままでどこに行ってたの?」
「はい。私も今回のことを、私なりに調査しておりまして」
「そうだったんだ。……あ、なんか私たちのこと探してたふうだったけど、なにかあったの?」
「はい。戸瀬様から言伝を預かっておりまして」
「戸瀬から? ……まさかひとりでオオムカデに……!」
「いえ、そうではありません」
「あ、よかった……さすがにそんなことはしないか……」
「すこし集まってほしいと」
「集まる……」
なんだろう。戸瀬のほうでなにか情報を掴んだのかな。
「既に牙神様にも伝えてあります」
「そっか。それで、要件とかって聞いてる?」
「はい。壱路津が最後にかばっていた少女が目を覚ましたと」
◇◇◇
村の外れ。
倒壊を免れた家が数軒、軒を連ねる場所に少女の家があった。
少女は畳の上に敷かれた布団の上で、虚ろな表情を浮かべている。
「来たな」
少女の横で腕を組んで立っていた戸瀬が、いつも通りの態度で私たちを迎える。
そしてその隣、紅月の言うとおり牙神もすでに合流していたようだ。
戸瀬に謝るのは……あとかな。
今はこの子から話を聞くのが先決だ。
「じつは俺もさっきここに来たばっかでな。だから、この子からはまだ何も訊いてねえ」
戸瀬がそう言うと、私たちの視線が一斉にその少女に注がれる。
そんな中、千尋は少女の横へ移動すると畳の上に正座し、少女の目線に合わせてから口を開いた。
「こんにちは。はじめまして」
少女は口を開かないが、千尋は構わず続ける。
「お姉ちゃん、市井千尋って言うんだけど、あなたのお名前は?」
慣れたものだ。
千尋はゆっくりと丁寧に、そして優しく寄り添うように少女に話しかけた。
「千津……音子……」
「うん、音子ちゃん。よろしくね。気分はどうかな? お腹とか空いてない?」
「……あなたたちは?」
「え、私たち? 私……たち……は……」
千尋は口を開けたまま私を見てきた。
その様子は助け舟を出しているように見える。
どう答えたものか、と考えてみる……けど、ここは普通に答えたほうがいいかも。
何を答えても彼女のトラウマを刺激してしまう可能性があるし、下手に答えをボカシても、ほしい情報が手に入らなければ本末転倒だからだ。
とはいえ、さすがにそのまま固有名詞を出してしまうのはまずい。
ここは――
「お姉ちゃんたちはね~、残響種を退治しに来たんだよ~」
私は口角を上げ、目じりを下げ、猫なで声でそう言ってみた。
「ひっ」
音子ちゃんは小さくそう漏らすと、そのまま千尋の陰に隠れてしまった。
誠に遺憾である。
「そ、そうだね。お姉ちゃんたち、残響種を退治しにきたんだよ」
千尋が私のミスをカバーするように、また優しい口調で話し始める。
「ざん……きょーしゅ……」
「そうだね、残響種。えーっと、音子ちゃんは――」
「……千秋は?」
音子ちゃんの問いに、その場にいた全員の動きが止まる。
「壱路津千秋さんは、さきの戦闘で亡くなられました」
「え――」
冷静で、冷徹で、まるで血が通っていないような声で答えたのは紅月だった。
「私たちはその件で、貴女に話を訊きに来ました」
「ちょ、ちょちょちょ……!」
私はあわてて彼女を制止しようとするが、もう止まらない。
「千津音子さん、少しでも構いません。断片的にでも何か思い出せませんか。壱路津千秋さんが最期にかばっていたのは、貴女だったのです。彼の刀もまだ見つかっていません。なにかオオムカデに関する情報を聞いていたりしてませんか」
おそるおそる音子ちゃんのほうを見ると、彼女はガタガタと震えながら自身の肩を抱いていた。
「い、いや……! やだ……こわい……やめて……こ、こないでっ……!」
「大丈夫……こわくないよ……もう大丈夫……大丈夫だからね……」
千尋がすかさず音子の体を優しく抱きしめる。
「……おいどうするんだ紅月。これじゃあまともに話も聞けないじゃないか」
「す、すみません……私……」
「とにかく、ひとまず私たちはここから出ましょう。いまは一人の時間も必要だと思います」
千尋がそう提案すると私たちは一斉に頷き、戸瀬から順にひとりずつ、音子ちゃんの家から音を立てずに出て行った。
やがて千尋も出て行き、紅月の番に差し掛かると――
「壱路津さんじゃなくて貴女が死ねばよかったのにね」
「……は」
今……なにか……聞こえ……いや……それより……なに言っ……え?
ほんの少しの、ほんの小さな、それこそ音子ちゃんにしか聞こえない声で、紅月が何かを言い放った。
私はその言葉を理解するよりもはやく、私は……私は、紅月に掴みかかっていた。