閑話 小間使いはじめました【戸瀬視点】
東雲真緒。
知らないはずがない。あのふざけた女の名だ。
だが、なぜあいつの名前がここで――
「ああ、言わなくて大丈夫。こっちはキミが東雲真緒について知っているのを、知ってるっスから。まぁ、その表情だと、どのみち丸わかりなんスけどね……」
話し方がいちいち癇に障るが、まあいい。
今は情報を得るのが先だ。
「……なんだ、あいつに何か用か?」
「何か用って、ほどじゃないっスけど、あの子が近々、白雉国を出るかもしれないって情報は知ってるっスか?」
「は? 出る? あいつが? どこへ?」
わざわざ外国へ行って、あいつは何をしようってんだ。
相変わらず何を考えてるか、よくわからん。
「まぁ、なんにも問題がなければ、まずは丹梅国あたりじゃないっスかね」
「たんばい……って、どこだ?」
「綾羅港から西へ向かう船に乗って、大体四、五日くらいの、大きな国っスね」
「あいつは何をしに丹梅国へ?」
「なんか、美味しいもの食べに行くらしいっスよ」
「はあ? なんだそれ?」
「丹梅国って料理も美味いって聞くっスからね。彼女も食べることが好きって聞いたし」
なんなんだ。ますます意味が分からん。
白雉国にだって美味い飯はいくらでもあるのに、それを理由に外国だと?
「……他に、食い物以外に、あいつの目的はないのか?」
「あとは魔王ビアーゼボに会うみたいっスね」
「魔王……ビアーゼボ……」
なるほど。
飯は建前で、つまり魔王が本命というわけか。
「……そいつはなんでだ?」
「知らねっス」
知らない……か。嘘くせぇな。
こいつもこいつで、どこまで信用したもんか。
「とりあえず、キミ……えっと、名前……」
アスモデウスはそこまで言って、急に俺の顔を見て黙り込んでしまった。
「なんだよ」
「いやあ、キミとか呼ぶのってアレだなって思って」
「アレ?」
「失礼だなって思って。キミの名を、教えてくれるっスか?」
妙に律儀だな、こいつ。
なにか考えでもあるのかとも思ったが、いまさら俺なんかに媚びを売ったって意味がない。ここらへんは人間との価値観の相違だろうな。
俺はすこし考えて――
「……カズキ。戸瀬一輝だ」
魔王相手に自分の名前を教えるかどうか迷ったが、東雲が、あいつが関係しているのなら話はべつだ。
話の本題にはまだ入ってはいねえが、魔王が東雲に何をしようとさせているのかは、俺も興味がある。
「うん、じゃあカズキ。以上の点を踏まえて、カズキには燦花まで彼女の護衛をお願いしたい」
「あ? 護衛だあ? しかも燦花だと? ……丹梅国じゃねえのか?」
「まぁ、こっちにもいろいろと事情があるんス。彼女が丹梅国へ行く前に、どうしてもやっておかなきゃならない事があるんスよ」
「やっておかなきゃならない事ってのは?」
「それは教えられないっスね」
「ああ? なんだそりゃ。おまえ、俺に協力してほしいんだよな?」
「当たり前じゃないっスか。こんなに頭を下げてお願いしてるんスよ?」
「どこに下げてる頭があるんだよ」
「とにかく、カズキには燦花までの彼女の護衛を。……あと、わかってるとは思うけど、拒否権なんて気の利いたもの、ないっスからね」
「チッ、問答無用か。やっぱロクなもんじゃねえな、魔王ってのは」
「なんとでも」
「つかよ、それってまさか、危ねえことじゃねえだろうな」
「はて、危ないこと? 護衛をカズキに頼んでるんスから、危ないことであるのは織り込み済みでは?」
「そりゃそうだけどよ……」
「……おや、これまた意外な反応っスねぇ」
アスモデウスが口で手を隠しながら、ニヤニヤと顔を近づけてくる。
「あ?」
「てっきりカズキは、東雲真緒のことを憎んでるのかと思ってたっス。けど、その感情は……」
そうアスモデウスに問われ、俺は改めて東雲について考えてみる。
俺ははたして、あいつを恨んでいるのか?
散々俺を見下し、俺という存在を見ようともしなかったあいつを。
酒呑童子の一件で、あいつは俺が倒せなかった敵を倒した。
そのせいで俺の勇者としての名声は地に落ちた。ロクなもんじゃねえ。
だが、それと同時にあいつは――
「……あいつは、東雲のことは、確かに好きじゃねえよ。だが、それと同時に俺はあいつに大きな借りがある」
「借り? なんスかそれ?」
「フン……テメェが教えねンだったら、俺が教えるわけねえよな」
「お。いいねえ、そういう態度。あたしは嫌いじゃないっスよ」
本当に嫌いじゃないのか、このトピックに興味を失っただけなのかはわからないが、アスモデウスはすんと表情を戻すと、また深く椅子に腰かけた。
「ほざいてろ。……で、具体的に俺は何をすりゃいい?」
「明日か明後日、綾羅から出航する船に東雲真緒が乗るんスけど、それに同乗してほしいんス」
「おまえなぁ、そりゃいくらなんでも急すぎねえか」
「そりゃそうっスよ。だってカズキってば、ずっと寝てるんだもん。あとちょっと起きるの遅かったら襲ってたっスよ」
「おまえが言うとシャレになんねえからやめろ……って、おい、ちょっと待て。俺は一体、どのくらい意識を失ってたんだ?」
「丸三日くらい?」
「ま、マジかよ……」
「いちおうバカがお空からやってこないように、エナドレの使用には細心の注意を払ったんスけど……」
「あ? バカ?」
「いやいや、カズキのことじゃないっスよ。なんスか、その発作みたいな反応」
「いや、まぁ、文脈からすると、それくらいはわかるけどよ……」
そのバカってのが誰かを訊きたかったんだが――まあいい。
「でも思いのほか、いつもより多めに吸っちゃってたみたいっスね」
「蚊かおまえは」
「それ、言い得て妙っスね」
アスモデウスは楽しそうにケタケタと笑った。
貶されてんのに何が楽しいんだ、こいつは。
……だが、なるほど。
こいつの能力は生命力みてえなのを吸う能力。
だから俺は、三日も寝込んでたってわけか。
「やり方はカズキに任せるっス。とりあえず彼女に迫る危険から、彼女を守ってほしいんス。あと、燦花についたら、小夜曲ってところに来てほしいかな」
「小夜曲?」
「あたしの店っスよ。カズキもきっと楽しめるっス」
「魔王が店……ねえ。スラットといい、どうなってんだよ、この世界は……」
店も出して、ある程度の自治権も認められて、人間社会で好き勝手振る舞ってるくせに、懸賞金どころか、お上からのお咎めは無し。人間の中にはアスモデウスを慕っているヤツだって少なくねえ。
普通に考えて、普通じゃねえよな。
それに、そんなヤツがなぜか東雲を気にかけている。
「……あのよ、俺からもひとつ訊いていいか?」
「なんスか?」
「そんなに東雲が心配ならよ、俺に頼らずテメェ自身であいつを守りゃいいだろ。なんでわざわざ、そんなまわりくどい真似すんだ?」
「あれ、三日前に言わなかったっスか? あたしが死んだら白雉国が大変なことになるって。それはここから離れても同じっスよ」
「あ? ありゃテメェの命乞いじゃ――」
……って、そうか。
アホか、俺は。
現時点で実力的にこいつが俺の格上なのは、火を見るよりも明らか。
そんな俺に命乞いをするはずが――
まさか。本当にこいつの言うとおりなのか……?
本当にこいつが死んだら白雉国は……だから、魔王なのに懸賞金もなにも――
「あ、知らなかったんスか? なら今のナシで」
「はあ? なんだそれ……まあいい、聞かなかったことにしてやる」
「んふ~、助かるっス」
アスモデウスはにっこり笑うと、立ち上がり「じゃ、また小夜曲で」と言い残して部屋から出ていった。
「……へ」
この世界に来てから、今までつまんねえ事ばっかだったが……なんだよ、面白くなってきたじゃねえか。
あいつの手前、聞かなかったってことにしておいたが、これは調べてみる必要がありそうだな。
魔王とこの世界との関係か。
だがまぁ、とりあえずは東雲の護衛だな。
船賃はまず心配ないとして、問題は本名じゃねえと乗船出来ねえことだな。
あいつに俺が俺であるとバレるのは……ましてや、あいつの護衛になんてされてるってのは、死んでも隠し通さなくちゃならねえ。
だから……まぁ、ギルドの連中に無茶言えば偽名でも何でも用意してくれるか。
あとは見てくれを――
「……ってぇ、おい! この拘束解きやがれェ!」




