閑話 落ちぶれた勇者【戸瀬視点】
「はぁ……ッ! はぁ……ッ!」
戦闘中だというのに、まぶたを閉じればそのまま眠ってしまう。
全身が鉛のように重く、疲労感に圧し潰されてしまいそうだ。
いつもは難なく振り回しているはずの剣に、今は俺が振り回されている。
酒呑童子の時とは違い、今度は慢心なんてしなかった。
ハナから全力でぶつかったつもりだ。
だが――遠い。あまりにも、果てしない。
俺の繰り出す斬撃が、剣先からほとばしる一撃すら、通用しないのだ。
「あの~……もういっスか? あたし、そろそろ帰りたくなってきたんスけど……」
視線の先にいる魔王アスモデウスが耳の穴をほじりながら言う。
ここまで本気の俺をコケにしたのは、ヤツが初めてだろう。
その怒りだけで、まだ戦える。
俺は乱れていた呼吸を短く整えると、再び剣を構える。
「テメェが帰るのは墓場だろうが……!」
「いやいや、帰るもなにも墓場に住んだことないっスから。そもそもあたしを倒したら、白雉国とか、大変なことになるっスよ」
「ケッ……この期に及んで、命乞いってわけか? そんなん意味ねえよ。魔物は全員ぶっ殺す。魔王も例外じゃねえ」
「命乞い……? ああ、でもたしかに、意味ないのはそうかもしれないっスね」
「あ?」
「万に一つもない可能性の話をしたって、意味ないっスもんね」
「死ね!」
地面を蹴り、魔王に向かって突進する。
もはや剣を振り回す力すら残っていなかった俺は、その場で軽く跳躍した。
体をひねり、その遠心力を利用して、魔王の首を狙ったのだ。
ヤツは微動だにせず、俺の繰り出した剣が首元に肉薄する。
もはや魔力も底を突き、剣先から炎も雷も出ないが、これで――
「今度こそ、殺った……!」
そう確信した俺はさらに腰をひねり、力を加える。そして――
〝ザンッ!〟
手のひらから腕、肩、そして全身へと、ヤツの首を刎ねた感触が伝わってくる。
体勢を崩した俺は、そのまま頭から地面に突っ込んだ。
もう起き上がる力は残っていない。それでもなんとか身じろぎし、仰向けになって天を見上げた。が――
「ははっ、惜しかったっスね」
「な……ッ!?」
そこには口角を大きく上げ、不敵な笑みを浮かべる魔王が俺を見下ろしていた。
ヤツは自身の人差し指の腹を俺の額に押し付けると――
「……おやすみ。死んだらごめんね」
ヤツの眼鏡の奥が、かすかに紅く光る。
そしてその瞬間、俺の額から、俺の全てが抜けていく感覚に襲われた。
例えるなら命が指先から吸い取られるような、俺を構成しているもの全てが、魔王の指先から体外へと排出されていく。そして――
◆◆◆
目が覚めた。
だが、すぐに異変に気づく。
両手首と足首に、冷たい金属の感触。
硬い椅子に押しつけられ、動かそうとしても軋む音しか返ってこない。
「なっ……! これは……!」
俺は今、なぜか全身を拘束され、椅子に縛り付けられている。
反射的に身をよじったが、拘束具はびくともしない。
この世界に来てから、俺の筋力もある程度強化されている。
鉄程度の拘束など力づくで解除できるわけだが、こいつは明らかに鉄以上の硬度だ。
慌てて視線を巡らせると、そこは何の飾り気もない灰色の部屋だった。
窓もなければ、家具もない。あるのは粗末な机と誰も座っていない椅子、そして――
「やあ」
聞き覚えのある声が、背後から聞こえてくる。
だが、ヤツの姿が見えないどころか、振り返ることもできない。
「おまえ……! アスモデウスか……!」
「おお、よくわかったっスね」
「なんだここは……! どこだ……! 姿を見せやがれ!」
この間も必死に抵抗を試みるが、拘束具は依然健在で、壊れる様子すらない。
「いやあ、こうやって姿を見せないほうが、いろいろと想像を掻き立てられて、効率的に拷問を行えるって、どこかの本で読んだっスからね」
「テメェ……! 俺を拷問する気か……! そのために俺を殺さなかったのか!」
「うーん、本音を言うと、あのあと、キミをそのまま放置しようかなって思ったんスけど、いい使い道を思いついて、こうやって連れて帰ったんス」
「使い……道……だと!?」
〝拷問〟ときて〝使い道〟
瞬間、脳裏にこれから俺が受けるであろう様々な可能性が浮かび、血の気が引いていく。
「俺を、どうするつもりだ……!」
「お、ちょっとビビったっスね、今」
「黙れ……!」
「ふふ、怖い怖い。……キミ、勇者なんスよね?」
「……さあな……」
「またまた、自分でそう名乗ってたじゃないっスか。あたしに会いに来てくれた時」
「チッ、知ってたんなら、いちいち訊いてんじゃねえよ」
「まぁ、今のは鎌かけただけなんスけどね」
「て、テメェ……!」
「それで、なんであたしを倒しに? 今さら魔王退治なんて流行ってないのに」
「魔王退治に流行り廃りなんてねえだろ。魔物がいたら全員狩る。それが冒険者の、勇者の務めだろうが」
「おお。さすがは勇者様。志が高くていらっしゃる。……でも、そういえば、こんな話を知ってるっスか?」
「あ?」
「たしか、どこぞの勇者様が、どこかの小鬼に殺されかけたって話」
「テメェ……それをどこで……」
「それが大事になって、綾羅だけじゃなく、周辺の村々にまで屋内退避の令が敷かれた。でも結局、その鬼はただの銅級の冒険者に倒されてしまった。それ以降、勇者様の評判は地の底。再起を図って、ありったけの大物を、つまり魔王であるあたしを狩りに来た……って、ところだと思ってたんスけど、違ったんスかね?」
「違う! あれは……! いや、おまえ……一体どこまで……!」
「なあに、ただの推理っスよ。勇者様がわざわざ、懸賞金もかかってない魔王を討伐に来るなんて、まずない。だから、最近の時事ネタと組み合わせてみただけの、ちょっとした推理。……けど、キミの表情を見る限り、あながち間違いでもなさそうっスね」
アスモデウスは俺の耳に口を近づけて、続ける。
「でも実際は、その魔王に負けて、捕まって、これから拷問を受けるんスけどね」
「ぐ……クソ……ッ!」
「んじゃ、早速あれこれ訊いてくっスよ~」
アスモデウスがそう言うや否や、後ろからなにかガチャガチャという音が聞こえてきた。
どうやら本当に拷問が始まるらしい。
「好きな食べ物は?」
「……は?」
突然の意味不明な問いに脳の処理が追い付かない。
たべも……は?
どういうことだ。俺はてっきり――
「好きな食べ物っスよ。なんかあるんじゃないっスか?」
「……おまえ、ふざけてンのか?」
「真面目っスよ、超真面目」
「じゃあその質問はどういう意図が――」
「超真面目に、ふざけてるんス」
「ぶっ殺す!!」
今度こそ俺は全身に力を込め、全霊を以て椅子を揺らした。そして――
〝バキッ!〟という音と共に、椅子が倒れる。
どうやら椅子と地面の接合部は、他に比べて脆かったよ……う……だ――
「だ、だれだ……! おまえ……!」
ようやく背後にいるアスモデウスの野郎を見れる。
そう思っていたのに、そこにいたのは青い肌に紅い眼、頭に角が生えた人型の魔物だった。
「おおっと、マジで椅子壊しちゃうなんて思わなかったっス」
「おまえ……まさか、アスモデウスか……?」
「なに言ってんスか、さっきからそう言ってるじゃないっスか」
「いや、だっておまえ……あからさまに見た目が変わって……」
「やれやれ、魔王に見た目がどうとか、それ、すごくくだらなくないっスか?」
アスモデウスはそう言って、心底くだらなさそうに肩を竦めると、部屋にあった椅子に座って脚を組み、俺を見下ろした。
宝石のように紅く煌めく一対の瞳が、俺をまっすぐ捉えている。
「本当はもう二、三問くらい楽しい質問大会とかしたかったんスけど、まあいいや。本題に入るっス。――東雲真緒については知ってるっスよね?」




