第62話 炎上燦花
「どスか。ビックリしたっスか?」
はじめて見る眼鏡なしのドヤ顔に、私はなぜか緊張していた。
この気持ちを例えるなら、ずっと親しかった同性の幼馴染が進学を期に離れ離れになって、久しぶりに会ってみたら、えぐいくらいの陽キャになっていた気持ちに似ている。
「ビックリは……まぁ、そりゃするけどさ、それより色々訊きたいことはあるんだけど……」
「なんなりと。……それより、立ったままじゃなんスから、ほら、そこらへんの適当な椅子に座って座って」
そうもっさんに促されると、とりあえず手近にあった簡素な木製のスツールに腰を下ろした。
それからほんの少し間をおいて、紅月も似たような椅子に座った。
「……つい、さっきは、もっさんかって訊いちゃったけど、本当にもっさんなの?」
「正真正銘、純度100%の魔王アスモデウスっス」
「じゃあ、どうやってここまで来たの?」
「そりゃもう徒歩っスよ。まっさんが海路なら、あたしは陸路っス。野を越え山を越えってやつっスね」
「いや、徒歩って……それにしても早すぎない?」
「そうでもないっスよ。まっさんが出航する前日には、もうスラットから燦花に向かってたっスからね」
なるほど。だからあの日、もっさんは港に来てなかったんだ。
てっきり周りの人に気を遣って、来てなかっただけかと思ってたんだけど――
「……あれ、でもその口ぶりだと、私たちが燦花に着くの知ってたみたいじゃない?」
「あー……それは……」
燦花へやってきたのは、あくまでも不慮の事故。
私たちに宛てた手紙に関しては、街で私を見かけたら、部下の誰かが報告してくるシステムになっている……で、説明できるけど、タイミングを見計らったように、自身が燦花に来ることなんてあるのだろうか?
やっぱり、紅月の言ったとおり、ラファエルの件はもっさんの掌の上だった……ということになるのだろうか。
「あの、アスモデウス様。じつはお尋ねしたいことが……」
紅月が突然立ち上がり、前に一歩出る。
そんな彼女の顔には緊張の色が見えた。
おそらく、そのことについて訊くつもりなのだろう。
「おや、キミはたしか、まっさんの……」
「はい。元ギルド所属で、現在は東雲真緒と共に旅をしている、紅月雷亜と申します」
変に説明的だなと思ったけど、もっさんの顔を見て確信する。
あの顔は、ピンときていない。
おそらくもっさんは、紅月のことを覚えていない。
紅月もそれを察したので、あんな説明的な台詞になってしまったのだろう。
……にしても、自分で首輪までつけといて忘れるかね。
この点においては紅月が不憫に思えてならない。
「うん、それで尋ねたいことって?」
「単刀直入にお尋ねします。先日の天使の件ですが、これはアスモデウス様によるご意向なのでしょうか?」
「……天使?」
もっさんが椅子の背もたれに体重を預け、腕を組み、脚も組んで、顎を引く。
その紅い視線の先は紅月。
あきらかに先ほどまでとは場の雰囲気が違う。
あまりの緊張感に空間ごと凍り付いたような錯覚を覚える。
ふと紅月を見ると――ああ、ダメだ。
すっかり委縮してしまっている。
ここは私からも助け舟を出しておくか。
「……もっさん、私からもお願い。あの天使の件――もっと言うと、万年筆に魔力を込めたのも、紅月を追いつめたのも、そのうえで天使の呼び出し方を教えたのも、全部天使を呼び寄せるためだったの?」
私が真剣に尋ねると、もっさんは観念したように姿勢を崩し、頭を掻いた。
「……そのとおりっス」
「なんでそんなことをしたの?」
私が続けてそう尋ねると、もっさんはなぜか、これにすこしの間をおいてから答えた。
「……覚えてるっスか? この前、昇級戦のときに雷を落とされたって」
「言ってたね」
「そのことへの意趣返しっスね」
「私たちを使って?」
「まぁ……あたしが直接やれば、いろいろと大変なことになるっスからね」
天使に対して、攻撃された報復をしたかっただけ。
それだけの為に、あんなことをやったのだろうか。本当に?
「百歩譲って、動機はわかったよ。けど、私たちはそれで死にかけたんだよ?」
「おや? 誰か死んだんスか?」
「いや、死んでないけど……」
「ならよかったじゃないっスか。その様子だと、無事、天使を追い返すことが出来たんスよね?」
「追い返せたは、追い返せたけどさあ……」
「よかった。これであたしもすっきりできたっス」
あっさりしてるなあ。
やっぱりここらへんは魔王と人間で価値観が違うのだろうか。
私としては、まだなにか、私たちに隠していることがあるような気がしてならない。
でも、たしかに被害はでてな……いや、出てたわ。主に紅月の財布に。
「そうだ、もっさん」
「なんスか、まっさん」
「今回の件で紅月、船の弁償させられたんだよね。だから……ね?」
気安い仲とはいえ、さすがに魔王にタカるのはどうかと考えた私は、すこし言葉を濁した。
「ふむ、弁償……ちなみにいくらっスか?」
「は、はい……こちらに……」
待ってましたと言わんばかりに紅月がもっさんに近づいていき、なにやら紙切れのようなものを手渡す。
おそらく領収書か何かだろう。
もっさんはそれを手に取ると――
「これって、もう支払いは終えてるんスよね?」
「は、はい……既にそちらに記載されている金額の支払いは――」
もっさんが紙をひらひら揺らすと、部屋の襖がすっと開いた。
そしてそこから、ここまで私たちを案内してくれた女性が部屋に入ってくる。
女性は黙ってその紙を受け取ると、そのまま部屋から出ていった。
「うん、じゃあ、帰る時に一括で渡すっス」
「い、いいのですか?」
「いいもなにも、まっさんの言うとおり、原因はあたしっスからね。お詫びと言っちゃなんスけど、他になにか、やってほしいこととかないっスか?」
「で、ではこの首輪を……!」
「あぁ~……首輪に関しては……その……鍵、失くしちゃったんスよね……」
「えぇ……」
哀れ紅月。
彼女はこれ以上ないくらい大きく肩を落としてみせた。
「……で、もっさん。私たちをここに呼んだ目的ってなんなの?」
今度は私から切り出した。
「わざわざ燦花に来るくらいなんでしょ? それに、来なかったら船が出ないとかなんとか、脅しみたいなことまでして……」
「脅し……ああ、そんなことまで書いたんスね」
「そんなこと?」
「手紙みたいなの受け取ったんスよね? あれってあたしじゃなくて、あたしの部下が書いたんスよ」
あぁ……なるほど。
だから、文中では〝紅月様〟ってあったのに、さっきは紅月の顔にピンときてなかったのか。
「……でも、船が出ないのは脅しでも何でもないっスよ」
「え? どういうこと?」
「単なる事実っス。なんならもうすぐ――」
〝ああああああああああ!〟
〝きゃああああああああ!〟
〝逃げろおおおおおおお!〟
「……ん?」
なんだか急に、外が騒がしくなってきた気が――
「やれやれ、もう来たんスね……」
「なにが?」
「外、見てみるっス」
もっさんに促され、私と紅月は窓の近くまで移動し、改めてそこから燦花の街を見下ろした。
炎。
街を呑み込むように煌々と燃え盛り、見渡す限りの燦花の街を包んでいる。
その中を逃げまどう人や、勇敢にも桶の水で炎を消そうとする人がいるが、まったくといっていいほど効果はない。
「……あっ! 人が……!」
紅月が声をあげる。
先ほどまで桶の水を撒いていた男性が、延焼した炎に全身を包まれた。
「な、なにこれ……! もっさんがやったの……?」
「いやいや、そんなわけないじゃないっスか。誰が好き好んで、自分の街を焼くんスか」
「じゃ、じゃあ一体誰が……!」
「まあまあ、とりあえず落ち着くっス」
「お、落ち着けったって、街が、人が焼かれているのですよ!?」
紅月がもっさんに掴みかかる勢いで詰め寄る。
「大丈夫っスよ。今はあたしの力で、この街全体に結界を張ってるっス。火に焼かれるように見えても、毛一本、焦げないっスよ」
再び、視線を戻し男性に目を遣ると、何事もなかったように立ち上がり、そのまま走り去っていった。
「……残響種、鳳凰」
もっさんがそうつぶやく。
「ざ、残響種って、あのオオムカデみたいな魔物だよね? もしかして、この炎ってその魔物が?」
「そっスね。……さて、ここからがまっさんたちを呼んだ理由っスけど、あたしのこの魔力が尽きる前に、その鳳凰をある人物と一緒に討伐してほしいんス」
「ある人物って――」
部屋の襖が開き、そこから笠をかぶった男性が姿を現した。
見覚えがある。いや、ありすぎる。
それにしても、どうして彼がこんなところに――
「園場……さん?」




