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第61話 夜を撫でる者


 時刻は夕刻。

 西の空が茜色から群青へと変わるにつれて、燦花の街並みにもまた、別の表情が浮かび上がってきた。


 通りを進めば進むほど、提灯の赤い灯が格子窓の隙間から溢れ出し、細い路地ごとに艶やかな影を落としていく。

 立ち並ぶ楼閣はどれも二階建て以上の造りで、格子の奥には色鮮やかな衣をまとった女や男が腰かけ、通りを行き交う者たちに妖艶な視線を投げかけてくる。


 まるで浮世絵から抜け出したかのような光景だった。

 煌びやかというよりも、どこか背徳的で、見る者を奥へ奥へと誘い込むような妖しさを孕んでいる。


 往来を歩く人々もまた独特だ。

 鮮やかな(かんざし)を挿した花魁風の装いの者や、白粉(おしろい)に彩られた芸者姿の者。

 誰もがどこか浮き立ち、通り全体が一つの舞台劇のように熱気を帯びていた。


「……えっちだ」

「……下品だわ」


 私の口からそんな感想がぽろりと零れたのと同時に、紅月が吐き捨てるように言った。

 その目には軽蔑と嫌悪が滲み出ていたが、なぜか頬は艶やかに紅潮している。

 さすがはムッツリ。気になって仕方がないのだろう。


「それにしても、すごいね」

「な、なにがよ……!」

「この街がだよ。夜の綾羅よりも妖しくて、スラットよりも性に貪欲というか……もっと直接的な感じがする。それに――」


 私は前から歩いて来た初老の男性に声をかける。


「すみません、小夜曲ってどこにあるか知ってますか?」

「なんだ嬢ちゃん、夜撫様に会いに行くのかい。……羨ましいねぇ、あのお方はすごい人だよ。燦花をここまで大きくしたのは夜撫様なんだ」

「小夜曲? ああ、あの天守閣のことか。夜撫様はな、ほんの数年でこの街をひっくり返しちまったんだ。昔はこんなに栄えてなかったんだぜ」

「夜撫様に逆らうやつなんていねぇよ。あの人がいるから、この街は成り立ってるんだ」


 さきほどから道行く人に尋ねても、迷わず小夜曲の場所を指し示すし、このように夜撫のことを讃えている。

 この街では夜撫を、小夜曲を知らない者などいないのだろう。

 そして、私の中の嫌な予感は、足を進めるたびに大きく膨らんでいった。


「まさか、小夜曲ってあれじゃないよね……」


 燦花の港に足を踏み入れたときから、すでに視界の端に捉えていた天守閣。

 それが徐々に近づいてくるのだ。

 道行く人々もまた、一様にあの楼閣を指し示している。


 やがて白壁と黒瓦が特徴的な雄々しい楼閣の前で足が止まった。


「なんなのよ……これ……」


 紅月の声がかすかに震えている。

 石垣の上には格子窓や紅い障子がはめ込まれ、まるで遊郭と城郭が融合したかのような異様な楼閣が聳えていた。

 私たちがしばらくその光景に目を奪われていると――


「東雲様、紅月様、お待ちしておりました」


 ひとりの花魁風の女性が恭しく私たちに頭を下げてきた。


「夜撫様がお待ちです。こちらへ……」


 女性は軽く腰を落とすと、そのままさっさと進んでいってしまった。

 私と紅月はまるで示し合わせたかのように、互いに顔を見合わせると、彼女のあとに続いた。



 ◇◇◇



 案内された先は、きらびやかな外観からは想像もつかない空間だった。


 朱塗りの廊下を抜けたはずなのに、天守閣の内部はどこか雑然としている。

 帳や屏風はほとんど見当たらず、遊郭らしさを示すはずの蝋燭や布団の類も一切置かれていなかった。

 代わりに目に入ってくるのは、山のように積まれた帳簿と、書状の束。

 壁際には黒光りする木机が並び、その上には算盤(そろばん)や筆立てが散らかっている。


 遊女たちが艶を競う場ではなく、ここは完全に事務所そのもの。

 城郭の最上階かつ遊郭の表看板部なのに、その実態はとても地味なものだった。


 そんなことを考えていると、すっと襖が開き、花魁風でひときわ美しい顔立ちの女性が早歩きで部屋へ入ってきた。

 彼女は歩を緩めぬまま髪に挿していた簪へと手を伸ばし、すっと引き抜く。

 かちり、と乾いた音とともに、束ねられていた髪がさらりと解け、肩から胸元へと流れ落ちていく。

 艶やかな黒髪はまるで道標のように、自然と私の視線を彼女の胸元へと導いた。

 はだけた衣の隙間から覗く白い肌に、玉のような汗が、灯の光を受けて小さく瞬いた。


「……えっちだ」


 私がそんな不純なことをつぶやいていると、隣にいた紅月に肘で小突かれた。


「は、はじめまして……夜撫さん……で、よろしかったですよね?」

「……は?」


 私がそう言うと、夜撫と思しき女性は鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべ、やがてその顔に似合わない感じで、ケタケタと笑いだした。

 ……あれ。

 この笑い声どこかで……それに彼女のあの紅い眼――


「なんスか。あたしのこと忘れちゃったんスか、まっさん(・・・・)

「そ、その呼び方……」


 古今東西、この世界で私のをそう呼ぶのはひとり(?)しかいない。


「うそ、じゃあまさか――」


 記憶にある彼女の顔と、今の彼女の顔を比べてみるが、それがあまりにも乖離しているため脳の処理が追い付かない。


「もしかして、このスケベな姉ちゃんの正体って……もっさん?」

「そうじゃないでしょ」


 紅月が呆れつつツッコんでくるが、どこかキレがない。

 おそらく彼女も私同様、驚いているのだろう。

 では気を取り直して――


「……夜撫の正体って、もっさんだったの?」

「そスね。夜撫は燦花でのあたしの通り名っス。そして――」


 もっさんはおもむろに窓のほうへと移動していくと、障子窓を開け放った。

 瞬間、風が吹き、それに乗って遠くから人々の喧騒や祭囃子が聞こえてくる。

 遠くのほうには海が見え、天守閣(ここ)から見下ろす燦花の街並みは、蜃気楼のように揺らめいており、なおも独特な熱気を帯びたまま。

 むしろ私たちがこの小夜曲に入ったときよりも、温度や湿度がさらに上がっている気がする。


「ようこそ。白雉国第二の色都〝燦花〟へ」


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