第55話 裁定の行方
いままで無表情だったラファエルが、眉をひそめ、刺すような視線を向けてきた。
私に対して、あからさまに不快感を示している。
そりゃそうだ。
呼び出されただけで殺そうとするのなら、あの一張羅をボロボロにしてしまった私は、一体どうなってしまうのか。
「あ、あの、紅月を引き渡すので、赦してもらうことって……」
「ちょっと!?」
即座にどこからかツッコミが飛んでくる。
「うっさいなあ! そもそもあんたが呼び出したんでしょ!」
「でも尻ぬぐいはしてやるって、貴女さっき、私にかっこつけて言ったじゃない!」
「あ、あれは……」
また例の発作です。……なんて言えない。
以前のように視界が真っ赤になるほどキレたり、気を失ったりはしなくなったけど、一体なぜそうなってしまうのか。
本当に今更だけど、一度病院とかで診てもらったほうがいいかもしれない。
「……ていうか、その場のノリで言ったやつを持ち出されても……」
「な……っ!?」
「矛先がこっちに向いたんだから、それを元に戻すのは当たり前だよね?」
「すこしでも見直した私がバカだったわ……!」
「その権能は――」
ラファエルは相変わらず私を睨みつけながら、今度は何やらぶつぶつと呟きはじめた。
「不明。譲渡。手段。謎。検証。……不可能」
「怖っ」
急になに言ってんだ、あの天使……まさかバグったのだろうか。
……いや、でもまあしょうがないか、あんなのまともに食らったんだからね。
頭のねじの一本や二本、外れていてもなんら不思議ではない。
「当事象、我が単独の裁量にて処理能わず。定め難し。ゆえに熾天の座にて同胞と審議する」
「審議……? つまり、見逃してくれるんですか?」
「暫定裁定。処断は保留。裁定が下るまで、汝、己を正しく律し沙汰を待て」
ラファエルはそれだけ言うとくるりと反転し――
「うわ……また出た……」
空から光の柱が降りてくる。
柱はラファエルの全身を包み、まるでエレベーターみたいにそのまま昇っていくと――
光柱ごと音もなく掻き消えた。
今度は雲なんてなかったのに、あの光は一体どこから降りてきたんだ。
「た、助かった……の? 私たち……?」
呆けた顔で、おそるおそる尋ねてくる紅月。
彼女のそんな顔を見たら、なんかだんだんムカついてきた。
「知らないよ。てか、いつの間にか標的、私になすり付けられたんだけど? どうしてくれんの?」
さっきのラファエルの言葉って要するに、
『罪状は今度言い渡すから、それまで首洗って待ってろよ』……て、ことだよね。
なんということだ。天使にまで目を付けられてしまった。
しかも友好的な魔王とは違い、あからさまに敵視されている。
最後のほうなんてもう完全に紅月のことは忘れて、私ひとりに焦点を絞って――
「そ、それは……ごめん……なさい……反省してるわ……」
珍しい。そう思った。
あの紅月が頭を下げて謝ってきたのだ。
顔を真っ赤にして、視線は合わせようとはせず、口も尖らせてはいるが、彼女が私に対して謝罪をしてくるのは、初めてじゃないだろうか。
「それと……あ、あり……がとう……私を助けてくれて……さっきは色々言っちゃったけど、その、感謝はしてる……感謝は……」
なんなんだ、そのよくわからんプライド。
じゃあ逆に感謝以外だと何をしてないんだよ、と訊きたくなるが――
「だ、大丈夫ですか……! 皆さん!」
慌てた様子で堂州さんがやってきた。
改めて周囲を見ると、かなりひどい状況だ。
甲板は水浸しで、冒険者たちはうずくまって震えており、船のマストはまるで空間ごと削り取られたように上半分だけ無くなっている。
〝ザバァ!〟
豪快な水音と共に、まるでプールサイドへ上がるように、園場さんが船に乗り込んできた。
思いきり船に叩きつけられた挙句、海に落されてたけど、大丈夫なのだろうか。
「だ、大丈夫ですか……園場様……?」
園場さんは駆け寄った堂州さんの肩に手を置くと、そのまま船内へと戻っていった。
彼の足取りは至って普通。
手を置いたのも大丈夫って意味だろうけど、あの人海水で全身ずぶ濡れなんだよな……堂州さんが可哀想だ。
そして、園場さんとすれ違うようにして、乗組員たちが甲板へとやってくる。
その中には船医も混じっていたようで、早速冒険者たちの手当てを始めた。
紅月もやがてその手伝いに加わり、私も彼女に続いた。
◇◇◇
夜。
冒険者の看病や船の保全などがひと段落したあと、私は再び甲板へとやってきていた。
夜の海は昼間の騒動が嘘のように静まり返っている。
波は海面に映る星々を乱反射し、見ていると吸い込まれそうになるほど綺麗だった。
ふと顔を上げると、夜のひんやりとした潮風が頬を撫でる。
「……あ」
不意に後ろから声が聞こえて振り返る。
案の定、そこには気まずそうな表情を浮かべている紅月が立っていた。
彼女は立ち去ろうか、この場に残ろうか、しばらくフラフラしたあと、不機嫌そうに私の隣へとやってきた。
「どうだった?」
あえて曖昧に私は訊いてみた。
試すつもりは毛頭ないが、いまの彼女がこの問いに対し、最初にどう答えるのかが気になったのだ。
「こっちは問題なかったわ。誰も怪我らしい怪我はしてない。……本当に良かった」
彼女は本当に、心の底から安堵したようにそう付け加えた。
「……そっか」
「軽くショックを受けていた状態だけど、皆普通に接してくれたわ。……そっちは?」
「こっちも大体おなじ感じ。奇跡的に誰も怪我は……って、園場さんは?」
「全然問題なさそうだったわ」
「マジ?」
「ええ。あんなに派手に吹き飛んでたのに、むしろ逆におかしいわよ、あの人」
「自力で泳いで船に戻ってきてたしね」
「……それより、園場さんの言ってた借りってなんなの?」
「いやいや、紅月のことじゃないの? あれ?」
「え、私? 私……じゃあ……ないわよ、たぶん」
「いや、その曖昧な感じ、絶対あんたじゃん。本当は死ぬほど心当たりあるんじゃない?」
「……否定はできないけど、私、僧侶に知り合いなんていないわよ」
「いやだからあの人は冒険者……まぁ、べつになんだっていいんだけどさ。……あ、そうだ、堂州さんから聞いた? このまま途中寄港するって」
「ええ、さすがに船がこんな状態じゃ東丹海は渡れないわよ。とりあえず、燦花で数日滞在する流れになりそうね」
「さんか?」
「……西白雉の玄関口よ。綾羅と負けず劣らず栄えている場所ね」
ため息こそ吐かれたけど、以前のように小馬鹿にしてくる感じはない。
軽口こそ叩いてはいるが、彼女は私に対して多少なりとも申し訳なく思っていそうだ。
……うん。いい機会だ。
これは一度、きちんと話し合うべきだろう。
「……紅月。ひとつ、聞かせてほしい」
私は紅月に向き直り、真面目なトーンで彼女に話しかける。
彼女もそれを察したのか、まだすこし気まずそうにしているものの、しっかり私の目を見てきた。
「なんでこんなことを? ……そんなに私についてくるの、嫌だった?」
須貝さんやもっさんの手前、今までなあなあで済ませていたけれど、彼女は元々私に、勇者に不満を持っていたのだ。
今回のことは、その溜まったものが爆発しての暴走だったのだろう。
たしかに彼女は罪を犯した。
見様によっては、いくら償っても償いきれないような罪だ。
でも、それと同時に彼女は心を持ち、生きている人間でもある。
償うべき相手に拒絶され、憎むべき相手に仕えさせられ、最終的には己の自由もままならない状態にさせられた。
その憤りや屈辱は察するに余りある。
だから私は改めて彼女に問う。
彼女に、私と共に行く意志があるのかを問う。
それでもまだ彼女が私を拒絶するのなら、私も彼女の意見を尊重しよう。
幸い、次の港は丹梅国ではなく白雉国内だ。
もし彼女がそう望むのであれば、私は――
「……ええ、そうね。心底嫌よ。貴女について行くのは嫌」




