第54話 鏖殺天使ラファエルくん
「て、天使様……今なんと……?」
「再答。紅月雷亜、汝の首を刎ね、魂の浄化を行う」
相変わらずラファエル……は眉も動かさず、淡々と、まるで機械音声のようにそう告げる。
「魂の……浄化……? それ……は、あの、死んでしまいませんか?」
「否定。汝の魂は浄化されたのち、また別の肉体、別の人間としてこの世へ転生を果たす」
それを死と呼ぶと思うんだけど、どうやらそこは天使側と価値観が違うようだ。
にしてもこれ、紅月のやつ大ピンチじゃないか?
あの万年筆を見るに、ラファエルはおそらく自分で呼び出したんだろうけど、その天使に殺されそうになってるよね、これ。
私としてはここで紅月を殺されるのは困るけど、この問答無用な感じを見る限り、下手に意見したら私ごと殺されかねない。
うーん、どうするべきか……。
「な、なんで……私、なにかラファエル様の気に障る事でも……?」
「半分否定。汝は魔王アスモデウスとの接触によって、魂が濁った。しかし既に大半の魔王は人間社会に適応しつつある」
「で、では――」
「告げる。本来、我が階梯の天使は、凡俗の事象に対して地上顕現は許されぬ。だが、魔王アスモデウスの不当なる権能行使を検知し、即時降下を要した。検証の結果、当該事象は下級天使に委任すべき瑣末に過ぎず。我を不当に喚起した罪。並びに、紅月雷亜の魂に確認された穢染を総合し、以上の罰を妥当と断定。これにて問答を終了する」
なんてこった。理不尽すぎる。
あれこれそれっぽい単語を並び立てて、なんかそれっぽく言ってはいるが、結局のところ〝こんなつまらんことで呼び出すんじゃねえ。ぶっ殺すぞ〟って言ってるのとなんら変わらない。
これじゃあいくらなんでも紅月が――
ラファエルが、すっと右手を掲げる。
「我らは選別する者。神の御心に照らし、不要を刈り取るための存在。これより汝の、魂の浄化を執行する」
その言葉を聞いた瞬間、また頭に血が上ったのを感じた。
気が付くと私は紅月の後ろ襟を掴み、思い切り引っぱった。が――
瞬間、私の視界の全てがスローモーションになる。
手にはしっかりと紅月の着物の感触があり、腕は無理やり彼女を引っ張ったまま、力が込められている。
感覚は鋭敏なのに、事象の終わりがやたらと長く遠く感じる。
そして、そんな引き延ばされた時の中を、私はハッキリと聞いた。
「無意味。汝の腕ごと首を切り落とそう」
その瞬間、このスローモーションが走馬灯に類するものだと理解する。
しかし時すでに遅し。
空気が裂けるような音が耳を打つ。
不可視の刃はすでに私の手首、紅月の首へ肉薄してい――
〝ガキィン!〟
金属と金属とが激しくぶつかるような音。
見ると、園場さんが刀を構えながら、私とラファエルの間に立っていた。
弾いた。
園場さんは今、ラファエルの見えない刃を、その手に持った刀で弾いたのだ。
「ボサッとしてんな! 死にてえのか!」
園場さんの怒声が背中越しに飛んでくる。
しかしその声はどこかで聞いたことが――
「疑問。何故汝が其処な二名を庇うのか」
「まだ返してねえ借りがあるからだよ……! 勝手に殺してんじゃねえ!」
借り……?
そんなもの園場さんに貸した覚えはないが……もしかして、紅月の知り合いか誰かだろうか。
「東雲! テメェ戦えンだろ! 俺に合わせろ! 天使を追い払うぞ!」
「う、うん……!」
私はすばやく〝ステータスオープン〟を使用し、ひとまずラファエルのステータスを見る。
しかし案の定、職業も名前もレベルさえも不明。
辛うじてわかる力や魔力の値も、冗談みたいな数値を叩きだしている。
こんなものに敵うわけが……いや、弱音を吐いている場合じゃない。
私は、足元で呆けていた紅月の襟首を掴み、その場に無理やり立たせると――
〝パァン!〟
思い切り彼女の頬にビンタをくれてやった。
嗚呼、手のひらが無駄にじんじんする。
なんでこんなやつをかばった挙句、気合を注入してやらないとダメなんだ。
「な、なにすん――」
「ほら、シャキッとする!」
「え……」
「どうせ天使呼び出したのあんたでしょ?」
「そ、それは……」
「なら、あんたが追い返しな! 尻拭いくらいなら付き合ってやるから!」
私がそう言うと、紅月もようやく覚悟を決めたのか、口を一文字に結び、力強くうなずいた。
〝ドガァッ!〟
園場さんが声をあげる間もなく、ものすごい勢いで吹き飛んでいく。
彼は勢いそのまま舷墻を叩き割り、海へと落ちていった。
さっそく戦力がひとつ減ってしまったが、降伏は聞き入れては……くれなさそうだ。
「抵抗確認。……受理。これより殲滅フェーズへと移行する」
ラファエルは静かにそう宣言すると、今度はさきほどよりも大きく右手を掲げた。
すると、その体が徐々に、上へ上へと浮かび上がっていった。
「せ、せんめ……!?」
「お、おい、今殲滅って……!」
「それって俺たちも……!?」
冒険者たちがそれぞれ声をあげるが、それをかき消すように歳野さんが声を張る。
「怯むな! 武器を取れ!」
「歳野さん……」
「皆で一斉にかかれば勝機は……勝機……は……」
〝ゴゴゴゴゴゴゴ……!〟
嫌な音がして空を見る。
黒色の雲が渦巻き、逆巻き、地鳴りのような音が周囲に轟く。
周囲の海水が竜巻となり、天へと落ちていく。
やがて雲の周囲には明滅を繰り返す雷が発生し、まるでそれは竜のような形を作っていく。
勝機なんてない。
あんなものを船に落とされたら、それで私たちは全滅する。
退避……するにしても、ここは海上。逃げ場などどこにもない。
第一あんな規模、たとえここが陸地だったとしても間に合わない。
その光景に誰もが絶望し、あの歳野さんでさえも膝を折る。
旅はここで終わり、私は結局また何も成せないまま死――
『やれやれ、しょうがないっスねえ』
もっさんの声。そして、光。
黒く、毒液のようなドロドロとした禍々しい光が――紅月の手から漏れ出している。
あれは紛れもなく、もっさんから託された万年筆だ。
万年筆はやがてラファエルと同じ高さにまで上昇すると――
〝ズズズ……!〟
その禍々しい光でラファエルの体を包んだ。
「異常魔力による拘束を感知。再行動まで約三秒」
『まっさん、今っス!』
正直、呆気にとられてしまって、何が今なのかわからないが――
「紅月!」
私が合図を送ると、彼女はそれを察したようで、ラファエルに向けてナイフを数本投げつけた。
私はそれを確認すると、ラファエルの防御値を最低まで――
「下げ……られない……!?」
まるで何かに引っかかってしまったように、スライドバー上のツマミが、ある地点からビクとも動かない。
しかし、紅月が投擲したナイフは問題なくラファエルに命中すると――
「損傷軽微。審雷の維持困難。炸裂不可避」
「さ、炸裂!?」
審雷って、たぶんあの巨大な雷の爆弾みたいなのだよね……あんなのが炸裂したら――
「やばっ! みんな! 海に飛び込……んだら、ダメか……感電するし……」
かといって、このままここで立ち尽くしているわけにも……しかし、船内に退避しようにもおそらく時間はもうない。
「身を低くして!」
もうこれしかない。
私の合図で皆が急いで身を屈めて態勢を低くすると――
〝ズゥゥゥ……ン!〟
お腹の底まで震えるような音と共に、爆風が起こり圧し潰されそうになる。
当然、船体が大きく揺れ、その衝撃で船上に海水が乗り上げ、私を押し流そうとする。
掴まる場所もないため、私は必死に、海に投げ出されないようその場に張り付き、踏ん張った。
そして――
「お、収まった……?」
炸裂から数分が経ち、船の揺れも収まると、私はおそるおそる立ち上がって周囲を見回した。
甲板に魚が打ち上げられてるだけで、パッと見たところ船に目立った損傷はない。
そしてなにより周囲が明るい。
いままで空を覆っていた雲がなくなったからだろうと、私は空を見上げると、そこには――
「ら、ラファ……エル……」
纏う衣が焦げ付き、黒煙を立てながらラファエルが、じっと私を睥睨していた。




