閑話 紅月ストリップ【紅月視点】
「――修理してほしいんスよね」
何かと思えばボロい筆の修理か。
その程度のお使いなら東雲じゃなくてもいいだろうに。
ひょっとして、魔王アスモデウスにはなにか別の思惑があるのだろうか。
「修理って……私が?」
間の抜けた回答をする東雲真緒という女に、私は辟易する。
天然なのか、かわい子ぶっているのか。
……こいつの場合、おそらく後者なのだろうが、これからこんな女と一緒に丹梅国へ行かなければならないのかと考えると、先が思いやられる。
しかしこれも須貝との約束なのだからしょうがない。
想定外とはいえ、雨井という冒険者が死んでしまったのは私の責任に他ならないからだ。
過失が生じた以上、責任は負わなければならない。
それにあのとき――
私が東雲真緒に感じた、ほんの芥ほどの尊敬の念を否定したくない。
彼女の使ったあの魔法〝焦滅爆陣〟は上級の魔法である。
魔法の才覚に恵まれた者が、永い研鑽の果てにようやっと修得できる魔法だ。
牙神はともかく、魔法の才に恵まれなかったであろう彼女が、この魔法を修めたということは、いかに勇者とはいえ、それだけで尊敬に値する。
私は目標の為に努力を惜しまない者は、何者であろうと敬意を払う。
だからこそ私は須貝組に誠心誠意の謝罪をし、一生を懸けて償うと誓った。
ちなみに東雲に謝罪しなかったのは、あいつが嫌いだからだ。
他に理由はない。
だが、まさかその償いが、東雲真緒の護衛になるなんて。
「もしまっさんが出来るのなら、それが一番いいんスけどね」
それにしても一体何なんだ、この気安さは。
なぜ東雲真緒は魔王と対等な口を聞いて、あまつさえ互いを渾名で呼び合っているのか。
そんな人間、私が記憶する限り――いない。こんな人間はいなかった。
勇者でさえもここまで対等に口を聞ける者はいない。
東雲真緒……彼女は一体……。
「この白雉国の隣、丹梅国にいる〝ビアーゼボ〟ってヤツに渡してほしいんス」
「へえ、じゃあその人なら直せるん――」
思わず、席から立ち上がる。
〝ビアーゼボ〟
魔王アスモデウスは今、ビアーゼボと言ったのか?
そのうえ、彼の魔王に会いに行けと?
「な、なに、どうしたの?」
相変わらず何も考えて無さそうな顔で東雲は私に尋ねる。
「どうしたもなにも、貴女知らないの?」
「知らないって、なにがよ」
「ビアーゼボっていったら魔王よ」
「え?」
これだから常識のない異世界人は。
というかそもそも東雲って、それなりにこの世界にいるはずよね。
そのうえ冒険者もやってるのに、なんで知らないのよ。
ああ、また腹立ってきた。
「魔王アスモデウス……様と同じ、始まりの七柱の一柱じゃない」
「……ち、ちょっと待って。ビアーゼボってのが魔王なのは……この際置いといて――」
置いとくな。なんなのよこいつ。
「あはは、あいつが置かれてるの笑えるっス」
「そもそも魔王ってそんなにいるの?」
東雲真緒がまたあり得ない無知を晒している。
「『そんなにいるの』って……あ、貴女、鉄級で一体なにしてたの?」
「普通に依頼こなしてましたが……」
「こ、これだから鉄級は……! この世界の常識じゃない!」
「なんだこれ……なんで私怒られてんだ……」
「……ちょっと待ちなさい。もしかして〝神魔大戦〟についても知らないとか言うんじゃないでしょうね?」
「えっと……」
頭が痛くなってきた。本当に何も知らないようね、このポンコツは。
昔起こった神の軍勢と魔王の軍勢との戦争。
子どもの頃から繰り返し読み聞かされる物語で、一番最初に学ぶ歴史。
百歩譲って異世界人が知らないとしても、冒険者なら知っておかなければならない常識だ。
それを知らないということは――
「……貴女やっぱり、世界を見て回るとか言って、本当は興味ないんでしょ」
「ひどいこと言うなあ……」
「おろ? まっさんってば、白雉国から出ていくんスか?」
「……まあね。今回の訪問、じつは別れの挨拶も兼ねてたんだ」
「なるほどなるほど。良いと思うっスよ、世界を見て回る……か。うんうん、素晴らしい」
非常にまずい。
このままじゃなし崩し的にビアーゼボのところへ行くことになってしまう。
魔王ビアーゼボ。
この世全ての魔法を扱うことの出来る魔王。
その気性は荒く、下品。
人間を虫以下の存在だと認識しており、殺すのになんの躊躇いもないと聞く。
そんな魔王のところへ行くだなんて、命がいくつあっても足りない。
殺されるのが東雲だけならまだしも、私もとばっちりを受けてしまうかもしれない。
ただでさえ憎き勇者に同行して、案内役までするというのに、それが原因で死んでしまうなんて、たまったものじゃない。
ここはなんとしても阻止しなくては――
「そうじゃなくって……!」
私はテーブルに手をつき、二人の注意を引いた。
「魔王様、なぜわざわざ丹梅国へ行って、あちらの魔王様に万年筆の修理を頼むのですか!?」
「……うーん、なんとなく?」
さすが魔王だ。
私の神経を逆なでするのが上手い。
それに今更だが、なんなんだその姿は。
魔王アスモデウスといえば、すべての人間を唆し誑かす色欲の権化。
しっとりと艶やかな青肌に真紅の眼、頭の巻き角が特徴的な魔王だと聞いていたのに、なんなんだ、そのやる気のない服装は。たわしのような頭は。
肌の色も私たちとなんら変わらないし、目の色は……眼鏡のせいで見えないが、角も生えていない。
東雲の言うとおり、本当はそこまで警戒すべき相手ではないのでは。
「万年筆の修理なんて、白雉国国内でも可能です。なにもビアーゼボ様のお手を煩わせるまでもないのでは?」
「いや、それがっスね……」
魔王はおもむろにその筆を拾い上げると、なにやら魔力を込め始めた。
やがて筆全体が紫色の薄い膜に包まれる。
何の変哲もない筆が一瞬にして、高濃度の魔力を帯びた魔装具へと姿を変えた。
禍々しい魔力の残滓が、まるで燐光のようにユラユラと揺らめいている。
「じつはこの万年筆は特別で、魔力が込められてるんス。だから、普通の人じゃ直せないんスよね」
ふざけている。
そう思った。話にならないとも思った。
「いや、いやいや……いやいやいや、むしろ今、魔王様が直々に、手ずから込めませんでしたか? 魔力?」
「……込めてないっスよ」
「いえ、見てましたよ。なにか念じてからこう、ブゥンって……!」
「ハエじゃないっスか?」
「そんなわけないでしょう! ふざけている場合じゃないんですよ!」
「……どのみち、これで魔力は込められたんスから、ビアーゼボじゃないと直せないようになっちゃったっス」
「ああっ!? ずるい! そんな横暴いくらなんでも――」
ぞくり。
その瞬間、まるで氷の手で背中を優しくなでられたような感覚に襲われる。
それと同時に魔王がいつの間にか、私の前まで迫っていた。
『警戒すべき相手ではない』?
そんなわけがない。
彼女は紛うことなき魔王である。
人間とは根本的に違う生物だ。
その気になれば――
首元に伸びる手。
まるで蛇に睨まれた蛙のように体が動かせない私。
頭では大音量の警戒音が鳴っているのに、体はまるでその危険を認識していないように、動かない。
殺される。
そう思った。
私のこれまでの短い一生が、走馬灯の様に頭をよぎる。
しかし――
「な、なんですか、これ……!」
口が動き、声を出せると思った瞬間、私は首元に何か違和感を感じた。
つけられている。なにかが。
触ろうと思っても、手が届かない。
首元に何かがあるのはわかっているのに、それに触っているという感覚がない。
「……まっさん、試しにその人間に、何かしてほしいこと言ってみるっス」
「はあ!?」
まさか。まさかまさかまさかまさかまさか。
「……紅月、ここで下着姿になりなさい」
「なっ……!? そんなこと、私がするわけ――」
突然、私の体が、手が、私の意思に反して動きだす。
私が、恥ずかしげもなく私の肌を晒していく。
それに伴い周りの男性も魔物たちも好奇の視線を向けてくる。
「うそ!? うそうそうそ! やだっ! なにこれ……!」
「フム。こいつは……」
嗚呼、情けない。
情けなさ過ぎて涙が出る。
なぜ私はこのような辱めを受けているのだ。




