第49話 従属と信頼
「な、なんなんですか、これ!? 外れないんですけど!?」
紅月は顔を真っ赤にしながら、自分で脱いだ着物を大慌てで着用していく。
てっきり裸で土下座したくらいだから、どこかに羞恥心を置き忘れてきたんじゃないかって思っていたけど、人並みには持ち合わせていたようだ。
そういえば、誰かにその写真をばら撒くぞって脅されてたっけ。
「悦服の首輪っス」
「えっぷく……?」
「この首輪を付けた者は、自身で首輪を外せなくなり、使用者に害を加える行為もできなくなり、さらにその命令に従うようになる魔装具っスね」
なんてこった。そんな素敵アイテムがあったなんて。
さすがエ〇漫画魔王の異名は伊達じゃない。
いや、待てよ。
その魔王が、それ系のアイテムを一個だけしか作ってないなんてこと、あり得るのか?
「……ねえ、もっさん。もしかして感度が3000倍になる首輪とかもあったりするの?」
「さ、さんぜ……えぐいっスね、それ。仮にそんなのがあったら、人間だと間違いなく死んじゃうっスよ」
「だよね」
「……真面目な顔で話す内容なの、それ」
私は、私のことをまるでケダモノを見るような目で見てくる紅月を無視しつつ、本題へと戻った。
「それより、なんなんですか、その悦服の首輪って。どうしてそんなものを私に?」
「だってキミ、まっさんの害になりそうなんだもん」
「が、害って……どういうことですか……」
途端、紅月の語気が弱くなる。
もっさんはソファの背もたれに体重を預けるような姿勢をとると、ストローに口を付けながら言う。
「言わないとわかんない? いちいち説明するのも面倒くさいんスけど……」
紅月に不快感を示しているのか、苦いコーヒーに不快感を示しているのか、もっさんはギュッと眉間に皺を寄せる。
そして、そんなことを言われた紅月は、とうとう押し黙ってしまう。
「キミ、どうやってビアーゼボの件を回避するか、ずっと考えてたでしょ?」
紅月は答えない。もっさんの顔を見ようともしない。
図星だからだろう。
「……どういう手段をとるかはわからないっスけど、キミはこの先、ビアーゼボに会わないためなら、まっさんが傷つくのも厭わない手段を平気でとる。だからこうして、先手を打たせてもらったんス」
驚きはない。悲しみもない。
彼女の性格を考えたら、スラットまで私についてきていること自体、奇跡みたいなものだ。
アリバイ作りのためか、須貝さんへの義理かはわからないが。
「……どんな経緯で、キミがまっさんについていくことになったかはわからないけど、仕事はきっちりやり遂げるべきじゃないっスか?」
紅月は何も言わない。
彼女の思惑がどうあれ、あの首輪によって途中で離脱することも、私に借りを返すこともできなくなったのだ。
その心中は察するに余りある。
これでやり返される心配なく、紅月をこき使える。
けど、なるほど。
急に紅月になにかしたからびっくりしたけど、これももっさんなりに、私の身を案じての行動だったわけだ。
でも、それとはべつにすこし気になることもある。
「……使用者ってことは、私には適用されないんじゃ?」
「そこは問題ないっス。なにより、さっきはちゃんと言うこと聞いてくれてたじゃないっスか」
「そりゃそうか。そうだね」
まあ、こんなのはさっきの紅月への命令で、だいたい理解できる。
魔王だから使用者の権限を私に譲渡することだって、朝飯前なのだろう。
しかし、私が本当に訊きたいのは次――
「……それよりさ、なんか作為的じゃなかった?」
「さ、作為的……? なにがっスか?」
「そんなに私に、ビアーゼボって魔王に会ってほしいんだ?」
案の定、一瞬だけ言葉に詰まるもっさん。
なんてことない質問のすぐあとに、本当に尋ねたい質問を投げつける。
相手の純粋な反応を引き出す手法だ。
「さすがに気づくよ。自然に会わせようとしたけど、紅月の茶々が入って無理そうだったから、今度はわざわざ万年筆に魔力を込めるなんて力技に出た。……これで疑問に思わない人はいないと思うんだけど、もっさんは本当は、私に何をしてほしかったの?」
私がそう尋ねると、もっさんは観念したように話し始めた。
「この前あたしがまっさんに趣味がどうのって話したの、覚えてるっスか?」
「覚えてるよ」
「まぁ、それの延長っスね。まっさん、この前の寿司の時も美味しそうに食べてたし、食べ物に興味あるのかなって。それであいつ、料理作るのは上手だし、食べたらなんかひらめくかもって思ったんス」
「……なるほどね」
「でもあいつ、気難しくて普通の人間とは会ってもくれないんスよ。だから、紹介状がわりにあたしのペンをまっさんに持たせて、会わせようとしたんス」
「……うん、そっか。だいたいわかった」
もっさんが本当のことを言っていないということが。
たしかに一見、それっぽいことは言っている。
筋が通った説明に聞こえなくもない。
強いて言うなら動機が薄いくらいだが、それは魔王に言っても仕方のないことだ。
ただ――
そう、どういうわけか、わかってしまうのだ。
彼女が私に嘘をついているということが。
これに関してはやはりすこし悲しくはあるが、私は、彼女が私には言えないことを言わなかった……と解釈することにした。
それがなんなのかはわからないけど。
前にも言ったが、私は友達同士だからといって『隠し事はしないほうがいい』なんてのは思っていない。
というかむしろその逆で、言わなくていいことは言わないままでいいと思っている。
「ああ~、なるほどね。たしかに最近食べ物に興味出てきたし、ありがとうもっさん」
「いやいや、こちらこそ無茶振りみたいになって申し訳ないっス。でもあいつの料理は間違いないっスから」
だからもうこれ以上は訊かない。
いままで十分すぎるくらい彼女からは色々と貰ってきたしね。
彼女が隣国の魔王にこの万年筆を渡してこいと言うのなら、それが彼女の望みなら、私は黙ってそれに従うまでだ。
「それじゃ、この万年筆借りてくね」
私はもっさんから託された万年筆を大切に袂の中へと仕舞った。
「ああ、そうだ」
何か思い出したのか、もっさんはさっき仕舞ったばかりの万年筆を指さして言う。
「言い忘れてたっスけど、その万年筆、あまり外では出さないほうがいいっスよ」
「どうして?」
「ノリで魔力を込めた手前、言いづらいんスけど、それもれっきとした魔王の魔力が込められたものっス。みだりに振り回してたりすると、あのバカ天使どもに嗅ぎつけてくるかもっス」
「嗅ぎつけられたら……どうなんの? もしかして雷とか落とされる?」
「いや、人間相手にそれはないとは思うんスけど、面倒くさいことになるのは確実っスね」
「え、じゃあどうすんの。いらないんだけど、これ」
「え~、そんなこと言わないでほしいっス。屋外で取り出さなければいいだけっスから」
「なんか、いやだな……これ持ち歩くの……」




