第47話 天使討滅作戦
「……天使? いま天使とか言わなかった?」
「おや? そこって、そんな引っかかるところっスかね」
「あ、ごめん。話の腰を折るつもりはなかったんだけど……」
天使。……天使か。
たしか雨井か誰かから、そういう存在の話はちらりと聞いたことが……って、目の前に魔王いるんだし、天使がいても全然不思議じゃないか。
「……うん、ごめん。なんか納得したわ。もっさんはその天使に雷を落とされた。つまり、天罰を食らったってことでいいんだよね?」
「あれを天罰……って言われるのは癪っスけど、とにかくあたしは天使から雷を落とされて、こんな髪型になったってことっス」
うん、わからん。
いや、言っていることの意味はわかるし、アフロになった理由も今の説明で充分なんだけど、結局、なんで天使に雷を落とされたのかがわからない。
ただの悪戯や気まぐれなのか、それとも悪事を働いていたからか、もしくは彼女が魔王だからか……いや、それはないか。
そんな理由で落とされるくらいなら彼女の周りには、常に雷が落ち続けていなければならない。
ならつまり――
……やれやれだ。
ここでこんなに考えたって答えなんて出るはずがないのに。
いっそのこと、もっさんに直接尋ねられれば早いんだけど『この件に関しては余計なことはあまり言いたくないっス』みたいな雰囲気をもっさんから感じ――
「なぜ、魔王様は雷を?」
いままで遠慮がちというか、借りてきた猫のようだった紅月からの質問だった。
私はここで初めて、こいつを連れてきてよかったと思えた。
……けど、待てよ。
あの裏で散々手を回したり謀略を巡らせたりするのが大好きな紅月が、ただの興味本位で、魔王の逆鱗に触れるかもしれないようなことについて訊くだろうか。
もしかして天使と魔王の一件は、私が思っている以上にこの世界において、根が深い事なのでは。
「……昇級戦のときのこと覚えてないっスか?」
ややあって、もっさんが口を開く。
ほんのすこし答えるまでの間があった気がするが、気にし過ぎな気もする。
如何せん、その表情は相変わらず眼鏡で読めない。
「昇級戦……」
それにしても、よりにもよって昇級戦か。
正直、あの日の出来事はあまり思い出したくない。
須貝組が正式なクランとしての一歩目を踏み出した記念すべき日だが、私にはそれ以上に思い出すたびに憂鬱になる日だ。
「……うん?」
そういえば、あの襲撃者が医務室に来る前だ。
たしかに雷が落ちたときのような、地鳴りのような音を聞いていた。
あの瞬間がもしかして、もっさんが雷を受けていた瞬間なのだろうか。
「……これ、言っちゃっていいんスかね」
立場が逆転したかのように、今度はもっさんが紅月の顔色を窺うようになる。
もっさんの気にしていること――
それはおそらく、中堅戦で鰤里の代わりに替玉出場したことについてだろう。
紅月は、というかギルドはあのときの真相については知らない。
それこそ須貝組の中でもあの出来事を知っているのは、私と須貝さんと、鰤里くらいだ。
だが――
「うん、大丈夫だと思う。言っても」
私は問題ないと判断した。
なぜなら紅月は既にギルドの職員ではないから。
そしておそらく、もう誰も彼女から発せられる突拍子のないことを信じないだろうからだ。
彼女の鼻は、既に伸び切っている。
「じゃあ言うっスけど、あたしが中堅戦でエナジードレイン使ったの覚えてるっスか?」
「エナジードレイン……! まさか、中堅戦のときの鰤里は、魔王様……貴女だったのですか!?」
ガタンと席から立ち上がる紅月。
もっさんはそれに対して、私に意見を窺うことなく頷き返した。
「どうりであんなデタラメな……! そうか……私たちはてっきり、あの鰤里庵人がエナジードレインを使ったのかと……そして――」
怒っているような、呆れているような、微妙な表情で紅月が私を見る。
「それをここで言うってことは……やってくれたわね、東雲真緒」
「でも、先にアクション起こしたのはそっちでしょ?」
「……アクション? なんのことよ」
「そっちが鰤里を拉致らなかったら、私だってもっさんに出場してくれって頼んでない」
私がそう言うと、紅月はなにかを考えるように、口元に手を当てた。
「……なるほど。そういうことね。いいわ。どのみち、私はもうギルドとは関係ないんだし、この話は聞かなかったことにしてあげる」
紅月と愚堂が手を組んでいたのは事実。
実際、愚堂がそう証言してるし、紅月も認めている。
……けど、この違和感は一体なんなんだろう。
「けどね、これだけは覚えておいて。これがバレたら須貝組はお終いだって。特にあの口の軽そうな鰤里にはしっかり言い聞かせることね。少なくとも、あのとき魔王様が鰤里の姿でエナジードレインを使ったせいで、彼、今ギルドに警戒されてるわよ」
「う、うん……わかった……」
まさか紅月から、こういうまともな注意が飛んでくるとは思わなかった。
これに関しては白雉国を発つ前に、私のほうからも言っておいたほうがいいだろう。
「……なによ、その顔」
「いやまあ、てっきり『この情報を引き換えに、私は再びギルドに返り咲くわよ!』とか言って、嬉々としてバラそうとするのかなって」
「ふん、それで戻れるならそうするかもね。けど貴女の思っているとおり、ギルド内での私の信用は地の底。……こんな奇天烈な話、誰も信じないわよ」
彼女はそう言って自嘲気味に笑い、続ける。
「……にしても、皮肉よね」
「なにが?」
「わざわざ拉致しなくたって、そもそもこっちは負けなかったんだから」
「……どういう意味?」
「あの日、私たちの中で一番実力があったのは、中堅の板市一成だったのよ」
「たしかに全身鎧で、なんかすごい迫力だったしね……ちなみにあの人の等級は?」
「金よ」
「金……でもそれって、あんたと一緒ぐらいなんじゃないの?」
「私はあくまで元金級。対する板市は現役の金級よ。実力は比べるまでもないわ」
「そりゃそうか……」
なるほど。
ということはあの時、鰤里が攫われることで副将戦まで繋ぐことが出来たのか。
「……にしても、今回は鉄級の昇級戦だったよね?」
「……そうね」
紅月が私から視線を外して答える。
「そもそも、なんで金とか銀とかが、鉄級の昇級戦に出張ってきてんの?」
「貴女たちを昇級させたくなかったから……じゃない?」
「そりゃそうだけどさ、私が訊いてるのは、なんでそんなに須貝組を昇級させたくないのかってことだよ」
「べつに、須貝組に限った話じゃないわよ。ギルドは鉄級の、冒険者未満の連中は軒並み昇級させるつもりはないみたい」
「そこがおかしいんだよね。明確な基準を設けて、それをクリアしたら昇級。それでいいじゃん」
「現にそうしてるじゃない」
「じゃあ訊くけど、仮に銅級が金級と戦って、勝てると思う?」
「無理ね。逆立ちしても、束になっても」
「それなら鉄級はもっと無理じゃん」
私がそう言うと、紅月は肩をすくめてみせた。
依然、私と目を合わせるつもりはないようだ。
「……雨井からも聞いたけど、どっちかっていうと、ギルドとしてはあんたたちのほうが新参なんでしょ? 旧派と折り合いをつけるとかできなかったの?」
「さあね。つけようとしたんじゃない? 折り合い」
そこに関してはどうやら紅月は知らないようだ。
とりあえず今回の問答で、紅月がただ上の命令に従っていたことはわかった。
もちろん、私の件に関しては彼女の独断専行だろうけど。
「……あの、終わったっスか、話」
きまりが悪そうというか、もっさんは申し訳なさそうに尋ねてくる。
……そうか。
経緯がどうあれ、発端は自分が能力を使ったからと思っているのか。
案外この魔王、しおらしいところもあるようだ。
「ああ、ごめん。もっさんは何も悪くないから」
「そうなんスか?」
「うん。悪いのは無茶振りした私と、こいつだから」
私は隣にいた紅月を指さした。
紅月も特に否定はしてこない。
「ホッ。それならよかったっス。まっさんには迷惑かけられないっスからね」
迷惑くらい、いくらかけてもらってもかまわない。
そう言いかけて私は止まった。
たしかに対象が普通の人間ならそれでいいかもしれない。
でも、魔王の言う迷惑がどの程度のものなのかわからない。
気持ちとしてはここで全然言ってもいいんだけど――
「迷惑くらい、たまにならかけてもらってかまわないから……」
このくらいに押しとどめておこう。
安請け合いすると後が怖い。
「……それで、話を戻すけど、中堅戦でもっさんがエナジードレインを使ったことと、天使に雷を落とされたことって、どう繋がるの?」
「そっスね。うまくは言えないっスけど……例えるなら、この世界は普段しずかな凪の状態で、その水面に石を投げ入れると、飛沫が上がって波も立つじゃないスか」
「うん。まあね」
「天使共は、その波がなるべく立たないようにするのが仕事なんス」
「……なるほど? つまりその石はもっさんのエナジードレインで、それを使ったから天使は様子を見に来たと」
「まさにそうっスね。それで……なんやかんや口論になって――」
「雷を落とされたと」
もっさんが頷く。
「うん。これでもっさんの髪型が、どうしてそうなったのかわかったけど……ちょっと待って。ちょっと待ってね。……それ全部、私が悪いのでは?」
「そうね。私が聞いてても貴女のせいだと思うわ」
紅月の容赦のないツッコミが私を刺し貫く。
「それにごめん、天罰とかいって茶化して。もろ私のせいじゃん」
しかし、当の本人は即座に首を振って否定してくれた。
「……いや、じつはあのとき、いくらでもやりようはあったんスよ。能力に頼らず、相手を殺さないで無力化する方法なんて。けど、いざ戦うってなったら、こう……相手のあまりの敵意にムラムラっと、久しぶりに直接吸いたくなったんスよね、精気」
照れくさそうにそう白状するもっさん。
彼女はなぜか頬を紅潮させ、内股をこすり合わせ、肩をもじもじと動かしている。
「な、なるほど……? で、吸ってみた味の感想は?」
「ちょ、貴女、なに恥ずかしげもなく訊いてんのよ」
「悪くなかった。……けど、やっぱ漫画でいいかなって」
「そっかあ……」
露骨にがっかりしてしまう私。
一体何を期待していたのだろう。
「だから、まっさんが気にすることじゃないっスよ。全部あたしの責任スから」
「そうは言ってもなぁ……」
原因は私が作ったわけだし『じゃあ気にしないよ』と言って引き下がれない。
ここはなにかしらの――
「……あ、そうだ、恩返し」
「恩返し?」
「そそ。今日来たのは、今までもっさんに助けてもらった、その恩返しにきたんだった」
まぁ、本当は旅立ち前の挨拶も兼ねてるんだけど、なにかしらの恩返しをしたいのは嘘じゃない。
「ほら、恋ナスビの時からいろいろと助けてもらってるじゃん? だから、せめてもっさんに何かできないかなって」
「いやいや、そういうのいいのに。あたしがやりたいからやってるだけっスよ」
「それじゃあ私の気持ちが収まらないよ。ていうか、ほんとなんでもいいから。この店掃除しろって言われたらやるし、肩揉めって言われたら揉むよ」
「……それ結局、貴女の溜飲下げるためじゃないの」
「だからそう言ってんじゃん。私の気持ちが収まらないからって」
「はぁ……貴女ね……」
「そっか……まっさんのためか……」
呆れ気味な紅月とは対照的に、もっさんはなにか考えてくれているみたいだ。
「……なら、こういうのはどうっスか?」
「お、どういうの?」
「天使をぶっ殺してくるってのは」




