第45話 人魔共栄圏 色都スラット
アスモデウスの自治領、スラットの大通りに足を踏み入れた瞬間、私は思わず息を呑んだ。
目に飛び込んでくるのは、光、光、光。
真昼だというのに夜の街のように瞬く看板の群れ。
艶やかすぎるタッチの美少女や美男子が、上下左右、あらゆる方向から私に微笑みかけてくる。
綾羅の景観が近代のようなものだとすれば、これはかなり私たちの世界に近しいものだ。
そしてなにより、この通りを行き交う人影(?)もまた異様だった。
花魁のような艶やかな着物に身を包んだ青肌紅眼の魔物(?)をはじめ、猫耳と二又に分かれた尻尾が生えている獣人に、黒い翼を持ち、山伏のような恰好をした背丈が私の半分もない少女など(これでも一部に過ぎないが)、そんな多種多様な魔物たちが往来を一般人のように歩いていた。
普通の人間(かどうかはこうなってくると判別できないが)もいるが、割合で言えば魔物たちのほうが、わずかに数は多いように感じる。
それに、よく見ると人間のほうは魔物たちと比べて、その歩みは遅い。
魔物たちが目的地に向かって迷いなく歩を進めるのに対し、人間は正方形の紙の鞄などを提げ、きょろきょろと辺りを見回している。
次の目的地へと移動しているというよりは、明らかに観光目的で来ているのが分かる。
おそらくここに住んでいる人間は、ほとんどいないのだろう。
「す……すごい、なんていうか、こう……なんか、すごく……すごいね……」
今までにも何度か魔物と戦ったことはあるけど、ここまで色々な魔物たちが一ヶ所に、それも独自のコミュニティを築いて生活しているのを見るのは、こう、すごく感動する。
「なくなってるわよ、語彙力。……とはいえ、私も何度か来てるけど、まだ慣れないわね」
「そうなんだ。他にもこういう、魔物たちの場所ってあるの?」
「外国へ行けばね。ま、ここまで卑猥な場所はスラットだけじゃないかしら」
「卑猥……? 私はべつにそんな感じはしないけど……」
「あのね、どこからどう見ても卑猥じゃない。汚らわしい。試しに、適当にそこらへんの建物の中に入ってみなさい」
「なにがあるの?」
「貴女が魔王に頒布をやめさせた本が、平然と平積みされて売られているわ」
「……ふむふむ、なるほど。つまり紅月はそれを買って読んでるから、ここが卑猥な場所だってわかったわけか」
「なッ!? ばッ! ばっかじゃないの!? そんなわけないじゃない!」
紅月の顔がみるみるうちに赤くなっていく。
どうやら図星のようだ。
それにしても情けない女だ。
態度もプライドも人一倍大きいくせに、性欲だけは小さく見せるムッツリだったとは。
「『ギルド職員として禁書の中身を改める必要があったので、あくまで資料として閲覧しただけ』って言い訳、いま考えたけど使っていいよ」
「誰が使うかあ!」
通りに紅月の声が轟く。
今まで私たちに一切目もくれなかった魔物たちが、一斉に私たちを見てきた。
どうやらすこしからかい過ぎたようだ。
「……こほん」
取り繕うように、まるで『今までのは戯れに付き合ってやっただけだ』と言わんばかりに咳払いをする紅月は、その耳まで真っ赤にしている。
「なぜ私がスラットを卑猥な場所だと断定したかだけど、ここは、色都とも呼ばれているからよ」
「シキト……?」
「そのとおり。色欲の都、略して色都。街並みに関しては貴女の指摘したとおり、あまり卑猥な雰囲気はないけれど、じつは昔はそうじゃなかったの」
いつの間にか紅月先生の歴史の授業が始まってしまった。得意げに人差し指までピンと立てて。
これも取り繕いの一環なのだろうか。
ここまでムッツリだと、日常生活に支障をきたすのではないか心配になる。
「……昔は魔物が目ギラつかせながら、人間から精気とってたんでしょ?」
「あら、知ってたの」
「もっさんから聞いたからね。活版印刷が出来る前は、人間から直接もらってたって」
「そうなの。だから昔は、この通りに夜魔なんかが経営する風俗店がいっぱい……軒を……連ねてた……らしくて……」
紅月の言葉は、完全に言い終える前にそのまま霧散してしまった。
見ると彼女は眉間に皺を寄せ、立てていた指を、今度はなぜかくるくると回している。
やがて数秒間の沈黙を経て、彼女はおもむろに口を開く。
「……ねえ」
「どうしたの?」
「その〝もっさん〟って、もしかして魔王アスモデウスのこと?」
「そうだよ。言ってなかったっけ」
「……前から気になってたんだけど、なんで貴女そんなに魔王と親しいのよ」
「え? ああ、そういえば――」
改めてそう訊かれると、自分でもよくわからない。
最初に会ったときはなんか、変な宣託というか予言みたいなことを受けたっけ。
そのあと偶然森でばったり会って、悩みを聞いてもらって。
次は狙いすましたように向こうから会いに来てくれて、私の言う通り有害図書の出版をやめてくれた。
直近では、一方的な理由で昇級戦に出てもらって……うん、今思い返しても、べつに仲良くなる要素ないよね。
なんなら、こっちのお願い聞いてもらってばっかりだし。
けど最初からあっちもわりと好意的だったせいで、逆にみんなの反応に違和感があるっていうか、たしかに昇級戦ではえぐいことしてたけど、普段は気のいい変なやつって印象だから……そこまで警戒するまでもないかなって思ってしまう。
あとは……あれか。
勇者がどうのこうの言ってたから、それで私に目をかけてくれているとかだろうか。
「……なんでだろ。勇者だからじゃない?」
なんて言ってしまったが、本来勇者と魔王って水と油の関係じゃないか?
殺し合いこそすれ目をかけるなんてことは、はたしてあり得るのだろうか。
「私の前でそれを言うかしら」
「思い当たることといえば、それくらいだしね。悪気はないよ」
「……ええ、そうね。貴女がないと言えば、本当に悪気はないのでしょう」
「あれ、紅月、あんた調子悪い?」
「なんでよ」
「てっきり悪態ついてくるかと思って」
「貴女……本当に人の神経を逆なでするのが上手ね」
「褒めても何も出ないよ」
「褒めてないわよ」
「知ってる」
「……ともかく、一対一で会話してるならまだしも、あまり魔王アスモデウスのことを人前で、そんなふうに呼ばないほうがいいわよ」
「なんで?」
「国家元首の渾名を得意げに呼称している人を見かけたら、貴女、どう思う?」
「痛い人だと思う」
「よかった。そこの価値観は一緒で」
真顔で皮肉を返してくる紅月。
「つまりそういうこと。それに、国によっては首と胴が離れるわよ」
「なるほどね」
「……でも結局、なんで貴女が魔王に気に入られてるか、わからずじまいなのね」
「そんなに気になるんだ?」
「ええ、もちろん。甘味を前にして食べない人はいないでしょ? それとおなじよ」
なるほど。
よくわからないけど、紅月は甘いものが好きだというのはわかった。
そうして私たちは、会話を切り上げて魔王アスモデウスを探すために再び歩を進めるのだが、それは案外、すぐに見つかることとなった。
それも、まったく予想だにしなかった姿で。




