第5話 冒険者組合極東支部外勤担当紅月雷亜
ギルド極東支部本部の一角。
応接の間と呼ばれるその部屋は外の喧騒とは無縁の、重厚で静謐な空間だった。
天井は吹き抜けかと思うくらい高く、四方の壁にはそれぞれ違った意匠の紋章が掲げられている。
そういえばチラッと聞いたっけ。
ここ〝白雉国〟に居を構えている極東支部と同じようなギルドの支部が、世界には六つあるのだと。
この世界においてのギルドとは、単に冒険者に仕事を斡旋するだけの組織ではなく、世界中の国々が結束して設立した国際的な連合なのだとか。
つまりここに所属している冒険者や職員なんかは、一部を除いて、そりゃもうどえらいエリートなわけだ。
『そんなどえらいエリート様たちを差し置いて〝勇者〟なんて大層な称号を名乗るってんなら力で黙らせてやるしかねえよなあ!?』
ということで、集められたのがここというわけだ。
「――お待たせしました、勇者様方」
そう言って部屋の奥から現れたのは、すらりと長身の女性だった。
紅く長い綺麗な髪をひとつに束ね、凛とした目元には知性と余裕の色が浮かんでいる。
ギルドの職員用の制服の上に羽織られた外套には、銀色の菊を模った紋章が光っていた。
「はじめまして。私、冒険者ギルド極東支部外勤担当、紅月雷亜と申します。このたび残響種討伐の任務に同行させていただくことになりました。以後、お見知りおきを」
紅月と名乗った女性は柔らかく微笑み、深々とお辞儀をした。
第一印象は、くだらない下ネタとか一切言わなさそうな、仕事ができそうなお姉さん。
「紅月さん、ちょっといいか?」
戸瀬さんがすっと手を挙げる。
「ええ、勿論です。……ですが、敬称は不要です。他の勇者様も私のことは是非、そのまま紅月とお呼びください」
「じゃあ雷亜。外勤担当って、要するに職員さんだよな? 俺ぁてっきり、手練れの冒険者が同行してくれるもんだと思ってたんだけど……」
「申し訳ございません。ですがご安心ください。既に現地には、手練れの冒険者を一名向かわせております。それに私自身、多少の戦闘の心得もございますので」
「ふぅん……」
戸瀬さんは頬杖をつきながら、あまり興味なさそうに相槌を打った。
彼は一体何を期待していたのだろう。
でもこれ、紅月さんの言葉尻を捕らえるわけじゃないけど、いま軽くバカにしなかった?
本人は気づいてなさそうだけど……あ、牙神くんはちょっと不機嫌そう。
「早速ですが、我々が今から向かうのは、ここから少し離れた〝ヤス村〟という村です。討伐対象である残響種の個体名は〝オオムカデ〟」
「ひっ」
〝ムカデ〟と聞いて腹の底、丹田あたりから昇ってきた悲鳴が口から漏れ出てしまった。
一瞬にして私の脳内に、赤い頭で、たくさんの脚を持った、ネイビーボディのあいつが浮かんでくる。
「異世界からお越しくださった勇者様方に、馴染みがあるかどうか心配でしたが……今の東雲様の反応で察せました。こちら、読んで字のごとく、巨大なムカデとなっております」
「なっております。じゃないんだけど?」
しかも巨大と来た。勘弁してください。
「……あれ、ちょっと待って。そもそも普通のムカデもそこそこ大きくない!?」
「アホか。そういうことを言ってるんじゃあないだろ」
パニックのあまり、年下に正論を吐かれる私。
「ごめん。私が悪かったから、これ以上それについて触れないで……」
「いやいや、今からそいつを倒しに行くんだろ? 頼むぜ東雲さん」
なんか、一気に気分が悪くなってきた。
勇者って退職代行サービスとか使えるんですかね。
「そこまでの移動は馬車を使っての移動となります」
「あれ、なんだ。外走ってる車みたいな乗り物で行かねえの?」
「魔動車でございますか。あれは最近開発されたものでして、まだここ、綾羅内の街道を走るので精一杯なのです。申し訳ございませんが、ご承知おきください」
綾羅とはここ白雉国の中で最も栄えている都の名前。
現代風にいうと、首都と呼ぶのが正しいだろう。
つまり、私たちがいまいるこの場所のことを指す。
「オフロードは対応してないってことね。了解了解。……あと、雷亜」
「はい」
「ガイド役とはいえ、これからパーティ組むんだからさ、様とか堅苦しいのは無しにしようぜ」
それについては私も賛成だ。
いつまでも勇者様とか東雲様とか呼ばれるのは、なんだかくすぐったい。
普通に名前を呼んでくれたほうが、私としてもわかりやすいしね。
「それは……いえ、そうですか、勇者様がそう仰るのであれば、以降は改めさせていただきます」
「ちなみに僕はそのままで構わないからな」
「承知いたしました。牙神様は以降もこのままでとさせていただきます」
牙神くんは勇者様呼びが気に入っているようだ。
気持ちよさそうにふん、と鼻を鳴らしている。
いつかああいうのって、思い返して悶えたりしちゃうんだよな……。
「……この際だ。俺たちもさんとか、他人行儀な呼び方は止めにしねえか」
まさかの呼び方の提案がこちらにも伝播してきた。
これに関しては、もう私も千尋のことを呼び捨てにしてるからべつに構わないんだけど、私としては男の人を呼び捨てに……とかのほうが慣れないんだよな。
「けじめだとか、尊敬だとか、社会常識だとかさ。俺だって初めて会った人間にはそうしろって教わった。でも、これからは基本、この四人で行動するわけだろ? 命を預け合う関係になるわけだろ? それなら、そういう壁は逆に邪魔になるんじゃねえかって思ったんだよ」
相変わらずかなり温度は高めだが、言わんとしていることはわかるし、私としてもその案には賛成である。
親しき中にも礼儀ありとは言うが、せめて背中を合わせて戦う者同士、遠慮や建前はなしでいきたい……とまで言ってしまうのは、さすがに彼に感化され過ぎなのだろうか。
「うん。私もその意見には賛成かな。もちろん人には人の、心地いい距離間みたいなのはあるから強制はできないけどね」
「ああ、俺としても強制するつもりはねえ。俺はそういうスタンスで行くぜっていう意志表示だと思ってもらっていい。その呼び方を止めてほしいって言われたら止めるしな」
戸瀬さ……戸瀬は、そう言うと牙神と千尋を見た。
「僕はなんだっていいさ。そもそも最初からさんとかくんとかおまえらに対しての敬称は省いていたしな」
「あっ、わ、私も、それで全然構いません。この敬語はクセみたいなものなので、たまにお母さんとも敬語で話してますし。でも私のことは全然、好きなように呼んでもらって大丈夫です」
「そっか。……んじゃ、真緒、千尋、それに少年。改めてよろしくな」
「おい。なんで僕だけ代名詞なんだ」
「オチに使われたね少年」
「うふふ……」
「チッ。ふざけやがって」
こうして、会議はフワッとした感じで終了した。
この世界に来た最初のほうはすこし不安だったけど、これならやっていけそうだ。
私は討伐対象が大嫌いな虫の魔物であることを忘れ、無邪気に笑っていた。
――が、思い返してみれば、この時ただひとり、笑っていない人がいたような気がする。