第41話 青い魔王と祝宴
夢。また夢だ。
私はひどくふわふわしていて、形を保っていない。
まるでこの深い霧と混ざり合っているように、自分の手足の感覚すらない。
そんな中、人影のようなものがふたつ浮かび上がってくる。
けど今回はどうやら、前に見た夢とは内容が違うみたいだ。
前のような剣呑な雰囲気はない。
『――か。そんなに――になにを――てるんだ?』
『ああ――。見てわか――か? これは――っス』
相変わらず、どちらの言葉も断片的にしか聞き取れないようだ。
それにしても、片方の人(?)の口癖はどこかで聞いたことがあるような……。
『エ――ガ……とは――何――?』
『この前の――が言っていた――の――っスよ。――はこれを――自分で――らしいっスよ』
『な――ど。これまた――な……だが面白い。しかしなぜ――がそのような――を……』
『――てるっス。あたしは――っスからね。主な――は、――の欲望の中でもとびきり濃い――っスから』
『それが……その――が、――の――になると――か?』
『もち――このままじゃただ――っスからね。けど、ある――を施せば今よりも――効率的に――から――をもらえるよ――るっス』
『ふ、あまりや――るなよ? ――はなくてはならない――だ。――とっても、この――にとっても』
『あはは、今さらなに――んスか。そのために――ってば、こんな大きい――を起こしたんでしょ』
『そうだ。決して――には――の思い通りに――はならん。……そのためには――の力も必要だ。――言うが――』
そんなやりとりをボーっと眺めていると、急に霧が晴れるように視界がクリアになり、彼女の青い肌がぼんやりと浮かんできた。
頭の両側からは羊のような黒い巻角が生えており、髪は長く、色は深い青藍。
その顔は今までの明るい口調からは想像できないほどに、冷たく美しい。
漆黒の目に燃えるような真紅の瞳孔。細く長い手足に引き締まった腰。
露出度こそかなり高いが、不思議と彼女には下品なものを感じない。
そしてもう片方は――
ダメだ。こっちは一切わからない。
なんとかして目を細めて見ようとすればするほど、じわじわと隠されていく。
しかし、私の記憶の中の彼女と……アスモデウスとは似ても似つかない容姿だ。
口調や声こそかなり似てはいるものの、彼女はもしかすると別人なのかもしれない。
『わかってるっスよ。そんなに何回も言わなくて。ガキじゃないんスから』
『……フ、わかっているならいい』
『まったく。まっさんってば、心配性なんだから』
◆◆◆
白い天井だった。
滑らかに塗られた漆喰の面に、格子状に組まれた木の梁が静かに影を落としている。
そして中央には、銀色の鎖に吊されたガラス製のランプがぶら下がっていた。
「起きたね」
すぐ近くから聞き覚えのある声が飛んでくる。
寝返りついでに見てみると、そこには眼鏡をかけた須貝さんがいた。
「あれ、なんで須貝さんがこんなところに――」
「おはよう」
「あ、おはようございます」
「……そのままでいいよ」
須貝さんはそう言って、起き上がろうとした私の動きを制すと、読んでいた本をぱたんと閉じ、眼鏡をはずした。
「よく寝てたみたいだね。体のほうは大丈夫かい?」
「はい。おかげさまで……?」
「眠る前の記憶は?」
「あんまり……そういえば、組の昇級はどうなったんですか?」
「無事済んだよ。今や須貝組は晴れて銅級クランの仲間入りさ。個人だとたまにいるけど、クランだと初じゃないかね。……とにかく、組のモンも今頃、頑張って依頼をこなしているだろうね」
「よかった……」
と胸をなでおろしかけたが、今度はべつの不安がこみ上げてくる。
「あのぅ……私、どれくらい寝てたんでしょうか?」
「だいたい三日くらいだね」
「み、三日……」
新記録だ。
起きてたことならあるけど、そんなに寝た記憶はない。
紅月との戦闘でそんなに消耗したのだろうか。
それともあの上流からもらった――
「……東雲。おまえさん、魔剤を上流のやつから受け取ってたね」
「あ、はい」
「もう、二度とあんなの飲むんじゃないよ」
まるで子どもに言い聞かせるように、須貝さんは優しく、強く諭してきた。
てっきり栄養ドリンク的なものだと思っていたけど、三日も寝込むくらいだ。
なんかもう……ヤバいのだろう。
どのみち、もう頼まれたって飲むつもりはない。
実際、服用後の眠気と怠さは凄まじかったしね。
控え所に戻ってきてすぐ、気絶するように倒れたんじゃなかったっけ。
「ちなみに、おまえさんが寝ている間に雨井の葬式は済ませておいたよ」
「……え?!」
「まぁ、そんな顔しなさんな。葬式なんて辛気臭いだけだ。東雲が参列したところで特段意味はないよ」
「で、でも私……」
「あいつは……雨井はね、東雲に笑っててほしかったんだ。自分の葬式とはいえ、おまえさんに泣きながら見送られでもしたら、化けて出てきたかもね」
「あ……あははは……たしかにそれは……嫌ですね」
「だろう?」
「……でも、最後に……私、ちゃんと、見送りたかったな……」
「その気持ちがあれば十分さ。それに墓ももう出来てある。気が向いたら拝んでっておやりよ。……もちろん笑顔でね」
「は、はい」
私がそう言うと、須貝さんは微笑みながら頷いた。
「ええっと、他に言うべきことは――そうだ。祝勝会はまだしてないんだよ」
「……え?」
「宴だよ、宴。これに関しちゃ、立役者である東雲が不在の時に催しちゃダメだろ……ってことで、ずっとこうして目が覚めるのを待ってたんだよ」
「そう……だったんですか……」
「ギルドにゃ内緒だけど、あの魔王も招待しようと思うんだが……東雲、連絡先は知らないのかい?」
「魔王……」
そういえば結局、夢の中のあれは――
って、いやいや、どういうふうに確かめるっていうんだ。
『私の夢にもっさんと同じ口調の青い人が出てきたんだけど、知り合いなの?』
とか直接訊いてみるのか?
だめだめ。そんなのはただの痛い人だ。
夢は夢。
例えそれが明晰夢であったとしても、それ以上でも以下でもない。
「……なんだ。元気ないね」
「あ、すみません。起きたばっかりなんで……」
「そうかい。東雲が起きたらすぐにでも……と思ってたけど、こりゃちょっと空けたほうがいいね」
「あ、それは全然。お腹はちょうど空いてるので、喜んで参加させていただきます。あと、もっさ……魔王の連絡先ですが、すみません知らないです」
「そっか。そりゃしょうがないね。じゃあ魔王には、東雲からよろしく伝えておいてくれるかい」
「はい。……まぁ、また会えるかどうかわからないですけど……」
「うん。……じゃ、早速行くか!」
「へ? どこへ?」
「どこってそりゃ――」
◇◇◇
「さ、先に入んな。今日は貸し切りだ。もうみんな集まってるよ」
須貝さんに促され、宴会場の襖を開くと――
「姉御! 退院おめでとうございやすッ!」
須貝組の男たちがすでに私を囲むように整列しており、そして全員、なぜか両膝に手を当て深々と頭を下げていた。
なんだこれは。悪夢か。
遠くのほうからこちらを見ている仲居さんも完全に引いている。
歓待されているのはわかっている。
本心からの祝福なのも、きっと本気で私の快気を祝ってくれているのもわかる。
けどもうちょっと、普通のノリでできないのか、こいつらは。
「こらこら、おまえら! 東雲の邪魔だろ! さっさと道空けな!」
後ろから須貝さんの声が飛んできたかと思うと――
「うすッ!」
男たちの野太い声と共に、まるで海を割ったように左右に分かれた。
そこは、宴会専用に設えられた広間だった。
部屋の中央には艶のある長机が何本も並べられ、その下はすべて掘りごたつ式。
机の両脇には、人数分の座布団がずらりと敷かれており、その上に須貝組の構成員たちがなぜか立っている。
「ささ、姉御。こちらへ……」
鰤里に促されるがまま、指定の座布団の上に座ると、私に合わせるように男たちも一斉に座布団の上に座った。
もうやめろって、このノリ。
……なんて言っても今更だろう。
私は気持ちを切り替えると、すでに卓上にずらりと並んでいた、目にも鮮やかな料理を見た。
お盆の上にはご飯に汁物、刺身に揚げ物、そして様々な小鉢が並んでいる。
そして長机の上には、大きな魚一匹丸々使った焼き魚や、煮物などの大皿料理が鎮座していた。
あとは肉、肉、肉、たまに野菜。
そして日本酒の一升瓶や焼酎の甕、葡萄酒らしきボトルや木のジョッキに入った麦酒なども置かれていた。
もしかしてこれ、退院してすぐに食べたり飲んだりするようなラインナップではないのでは?
なんて疑問が浮かんだところで、いつの間にか会場の一番前、その広間にいた須貝さんが、木のジョッキを掲げて言う。
「おまえら! 今日は祝いだ! 昇級できたし東雲も無事起きた! こんな目出度いことはねえ! 思う存分、楽しんでってくれ! 乾杯!」
「カンパアアアアアアイッ!!」
須貝さんの音頭に続くように男どもの雄叫びが轟く。
様々な酒が宙を舞う中、宴が始まった。
……まあいいか。今は楽しもう。
私は手元にあった麦酒を手に取り、ゴクゴクと喉を鳴らしながら飲んだ。




