第40話 大将:東雲真緒 その2
「ぼへぇぁっ!?」
まるで車にぶつかったような衝撃を頬に受け、私は白砂利の上を転がった。
ついカッとなって普通に殴りかかってしまったが、相手は元金級の冒険者。
純粋な力だけの殴り合いで敵うわけがない。
けど殴られたことで少し冷静になれたようだ。
頭に上っていた血がすっと引いていく。
それに、殴られた箇所はじんじんと痛むけど、結果として紅月から距離をとれたのは幸運だった。
私は急いでステータスオープンを使おうと指を動かすが――
「またそれ? 私が対策してないと思った?」
紅月はそう言って、なにかを空中に放り投げた。
「貴女の能力、生物には通じるかもしれないけど、これはどうかしら!」
かがり火の光をキラキラと照らし返す、あの鋭利な刃先は――
「ナイフ……?!」
手のひらサイズのナイフが無数に、綺麗な放物線を描きながら、まっすぐ私めがけて飛んでくる。
私は急いで身を翻し、それを回避するが――
「ド素人ね。……これで詰みよ」
回避した先――既に私の目の前に紅月が立っていた。
彼女は手に持ったナイフをくるりと逆手に持ち直すと、そのまま私の腹に突き立てようとする。
このままじゃ間に合わない。なら――
対象 :東雲真緒
素早さ上昇:上限
私が軽く地面を蹴った瞬間、まるでロケットのようにその場から離脱した。
一瞬にして、相手側の陣幕内へと飛び込み、それがクッションになって事なきを得る。
「いてて……」
とはいえ、今ので膝を擦り剝いてしまったようだ。
……まぁ腹を刺されるよりは全然マシだけど。
「へぇ……そんなこともできるんだ? 今のは素早さでも上げたのかしら?」
紅月がまるでマジシャンのように、手に持ったナイフで遊びながら尋ねてくる。
彼女のこの余裕……さっきも言っていたように、やっぱりある程度牙神から私の能力を訊いて、そのうえで彼女なりに推論を立てて、きっちり対策をしてきている。
彼女の言う通り、放り投げられたナイフの速度までは調整できない。
そして、ナイフを直線的に投げて私を狙わなかったのは、私の近くまで移動する時間を稼ぐことと、ステータスを調整させないよう視線の誘導が狙いだろう。
そのうえ――
「そんなに動けるのなら、最初からやってるはずよね? でも、そうしないってことは、その能力は無制限には使えないから……ってことかしら」
正解だ。
この能力〝ステータス調整〟の持続時間は一秒ほど。
さらに一度使えば、同じ項目の能力をいじることが出来るのに、何分かのクールタイムが必要になる。
今回の場合、私が私の素早さをいじれるのは……あと三分後だ。
――なんてことを言えるはずがない。
そんなことを知られれば、問答無用で距離を詰められ、サクッとやられてジエンド。
だから――
「そう、正解。よくわかってんじゃん」
「……は?」
「さすが元冒険者。戦う前の事前準備は十分ってワケ? それとも牙神あたりにでも聞いたの?」
「貴女、正気……?」
「あんたの言う通り、私の能力って限定的だからさ、近づいてこられたら正直、ヤバいんだよね~……」
私はあえてそう言った。
それも、余裕たっぷりに。
相手が何も考えず私の言葉を鵜呑みにするタイプならこんなことは言わない。
けれど、相手はあの臆病な、あれやこれやと裏から手を回すタイプの紅月雷亜だ。
こんなことを言われて迷いが生じないはずがない。
そして案の定、紅月は私の言葉の真意を考え始めている。
本当はもうすこし、有利に事を進められるかもと思ったけど、さすが元金級。
これ以上ダラダラと続けても結果は目に見えている。
さっきの一連の様子見だって、下手したらそのまま死んでいた。
なら相手が本気を出す前に終わらせるしか、方法はない。
私は袂から上流にもらった小瓶を取り出すと、中身を一息に飲み下した。
あまり舌には触れないようにしたのに、ものすごく苦い。嘔吐いてしまいそうだ。
次に素早く会話ログの画面を開くと、事前に保存していた会話を再生した。
『焦がして滅せよ、彼の者の足元を――』
「は……?」
この詠唱に聞き覚えがあるのか、それともこの声に聞き覚えがあるのか。
紅月はまるで鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべて固まる。
それもそのはず。
今流れているこの音声は、私の声ではない。
事前にある人間のものを録音しておいたものだ。
今日、この時のために、あらかじめ準備しておいた音声なのだ。
『灰すら残さず焼き尽くせ。怒りも、痛みも、迷いも沈黙の地に焔を呼び――』
詠唱が進むにつれ、紅月の足元に幾何学的な魔法陣がスッと浮かび上がった。
紅と蒼が混じった光が、地面を這うように広がっていく。
紅月が瞬時にそれに気づき跳躍しようとするが――
「……なっ!? で、出られ……!」
魔法陣から立ち昇る光のベールが、まるで檻のようにすでに彼女を包囲していた。
『欺く偽りを炙り出せ、道を塞ぐ者よ、ここより先に踏み出すな、これは挑戦、これは宣告、そして――』
「な、なによそれ……! なんで貴女がそんな魔法を……それに、この声牙神の声じゃ――」
『生きて立つ者だけが、真実を選ぶ! 焦滅陣、起動――焦滅爆陣!』
「まずい……! ぼ――」
次の瞬間。
爆ぜるような音とともに、彼女の足元にある魔法陣が真紅の閃光を放つ。
熱風が吹き上がり、周囲の空気が飴のように歪む。
瞬間的な超高温が発生し、ベールにて密閉された空間の上部から、まるで機関車のような煙が立ち昇る。
そのあまりの光景に、周囲からどよめきと悲鳴があがる。
……ちょっと待った。
まずい。これは非常にまずい。
もしかしてこの魔法って、人に向けて使うようなものじゃ――
「げぇっほ……! げほ……! けほ……! こほ……!」
紅月のせき込む声。
黒煙が風にさらわれ、次第に視界が晴れていく。
そして、そこに彼女はいた。
衣類はすべて焼け落ち、すこし焦げた髪や肌を晒してはいるが、彼女は生きていた。
どうやってあの中を生き延びたのかはわからないが、その目に光はなく、もはや私に敵意を向ける力さえも残っていないようだった。
そんな彼女のもとに職員たちが駆け寄り、急いで手当てを始める。
試合終了の合図こそ鳴らされていないが、もうこれで勝敗は決したはず。
「まさか……貴殿がそのような魔法まで使えたとは……!」
いつの間にかギルド長が私の前までやってきていた。
勝者を讃えるつもりなのだろうが、その顔には若干の恐怖の色が混じっているように見える。
それが、この魔法を使ったからなのか、それともこの魔法を人に向けて放ったからなのかはわからない。
「……いいえ、これは魔法じゃありません」
「魔法では……ない? では、一体……?」
そう。これが〝会話ログからの再生〟
最初、なぜこんなものが、ご大層にアンロックされていたのか自分でもよくわからなかった。
ただ会話のログを切り取って保存し、任意のタイミングで再生できるという、いわばレコーダー的な機能だと思っていたからだ。
けれど違う。
この能力の真髄は、記録した音声が魔法を使用する際の詠唱であった場合、私の魔力を消費することで、その魔法を再現することができるのだ。
つまりどのような魔法でも、その詠唱さえ保存してしまえば使えるようになるという、とんでもない能力。
……なんだけど、例のごとく制約はある。
ひとつ目は一度使った魔法は使った瞬間削除されるので、もう一度使いたい場合は再度録音が必要な点。
そしてふたつ目は、さきほども言った通り、この能力は魔法を再現する際の過程を全て吹っ飛ばしてくれるのだが、肝心の魔力がなければ魔法は一切発動しないという点だ。
だから今の私の魔力総量に見合った魔法しか扱えない……んだけど、今回ばかりはすこしズルをした。
上流からもらったあの魔力増幅剤だ。
一時的に私の魔力総量を大きく上げてくれる効果があるのだが……もちろん副作用もあるみたいで――
「……っ」
きた。強烈な眠気と虚脱感が襲ってきた。
なんとかして虚勢を張ってはいるが、いま誰かに指で突かれでもしたら、それこそ無様に転んでそのまま眠ってしまうだろう。
ちなみにこの魔法だが、二日前に依頼に出ていた牙神をストーキングして得た魔法です。
彼はこのレベルの魔法を何発も撃っていました。
「……教えません」
私はギルド長にそう言い残すと踵を返し、ふとももを強くつねりながら控え所へと戻ろうとした。
本当は裸のままの紅月を市中引き回しに……とか考えてたが、もはや私のほうにそんな余裕が残っていない。
「……って、あっ」
しまった。
どうせなら後でとぼけられないように、紅月との会話を録音してたらよか――
「東雲ぇ……真緒ォ……ッ!」
不意に名前を呼ばれて、なんとか振り返る。
すると紅月は裸のまま、焦げたまま、私を睨みつけていた。
その目には強い敵意と、深い憎しみが込められているように見える。
それを察したのか、ギルド長をはじめ職員たちもこの場から離れていく。
たしかに終了の合図は鳴ってないけど、あんな体で、まだ続ける気でいるのか。
かくいう私ももう戦える状態じゃない。
しかし彼女は一歩、一歩、私のほうへと近づいてくる。
やがて私の前までやってくると――
「え……?」
そのまますれ違ってしまった。
そして紅月はおもむろに白砂利の上に手をつき、膝をつき、額を押し付けて言う。
「須貝組の皆様……! この度は多大なご迷惑をかけてしまい、誠に申し訳ございませんでした。決してこのような、謝罪程度で許されることではありませんが、私、紅月雷亜は、一生を懸けて償いをしていく所存でございます。重ねて、この度は本当に、本当に、申し訳ございませんでした!」
普段の慇懃な彼女にしてはちぐはぐな言葉遣いだが、心からの謝罪だった。
あの高慢で高飛車な女が、裸であることも気にせず、大勢の前で額を地に押しつけている。
まさに恥も外聞もかなぐり捨てて、それでも彼らに伝えたかったのだろう。
これは、紅月雷亜なりの感情表現だった。
その瞬間、私の中に渦巻いていた彼女への憎しみや怒りといった感情が、氷解していくのがわかった。
相変わらず私への謝罪はないようだが、これはこれで構わない。
けど、それを讃えるつもりも、彼女と慣れ合うつもりもない。
私は平身している紅月には目もくれず、今度こそそのまま控え所へと戻っていった。
ようやく私の戦いが終わったのだ。
彼は――雨井は、見ていてくれただろうか。




