閑話 副将:雨井仁【雨井視点】
言葉なんてもう要らねえ。
長い付き合いだ。
向かい合った時点で手に取るようにわかる。
凶裂は俺を殺しに来ている。
どうやっておまえみたいな野良犬が、ギルド側の試験官役として紛れ込んだのか――なんてのは、どうでもいい。
俺もまたこいつを……須貝組の〝過去〟を、ここで叩き潰す。
そのためにここにいる。
……いや、そうじゃない。
こいつを否定して、昇級するためにここにいる。
死闇凶裂。
もう須貝組はおまえの居場所じゃねえ。
みっともねえちょっかいかけてくるくらいなら、再起不能になるまで叩き潰すのが、同じ組のモンのケジメだ。
「久しぶりだなァ、雨井のアニキ」
「ああ。久しぶりだな。ここで会えるとは思ってなかったぜ」
「あのボンボン組長は元気かよ。……脚ぃ動かねえからって、アニキにおしめ替えさせてんのか?」
「てめぇ……ッ」
〝ゴツン!〟
その一言で鶏冠に来た俺は、ヤツの額に俺の額をぶつけた。
「ほう……!」
前はこれだけで参っていたが、凶裂も負けじと押し返してくる。
隣でギルド長がなにか喚いて引き剥がそうとしてくるが、知ったこっちゃねえ。
「おうおう! この数年、ぷらぷら遊んでたわけじゃなさそうだな……!」
「たりめえよ……! おまえら殺すために地獄見てんだ、こっちは!」
「地獄ってのは、ギルドにキャンキャン言いながら尻尾フリフリすることか? 凶ちゃんよお……!」
「うるせえよ……! それはおめえも一緒だろうが……! ボンボンから貰うエサはうめえかよ? ジンちゃんよお……!」
「クソバカが。てめえは逃げたんだろうが……! 須貝組から! 時代から!」
「追い出した、の間違いだろ。言葉は正しく使わねえと伝わんねえぞ、ハゲ……!」
「追い出されたからって、今度は須貝組に嫌がらせに来ました~……ってか? ケ、どこまで女々しいんだよ」
「ああ?」
「いいか、この際だからはっきり言っておいてやる。いくらてめえが嫌がらせしようとも、いくらてめえが過去引きずってようとも、関係ねえ。俺たちは便所にこびりついた、きったねえ糞カスみてぇなテメェごと呑み込んで、先に進むだけだ。わかったらさっさと消えてろ。てめえに割いてる時間すらももったいねえんだよ、こっちは」
「ブッ殺ス!!」
凶裂は腹に刺していたドスを鞘から抜き、俺の目玉を狙ってまっすぐ突いてきた。
変わらねえ、変わらねえな、てめえは。
体はあの頃よりも丈夫になったかもしれねえが、問答無用で急所を狙ってくるやり方だけは変わらねえ。
「も、もういい……! はじめ……!」
ヤケクソのようなギルド長の開始の合図を聞き、俺も愛刀の脇差を鞘から抜いた。
「死ねや! 雨井ィィィ!」
突きという攻撃行動は謂わば、点の攻撃。
軸をずらしてしまえば簡単に避けられる。
「だが――」
〝ガギィン……ッ!!〟
俺はあえて突きを切っ先で受けた。
「な……ッ!?」
凶裂の顔が驚きに歪む。
これからのこいつの攻撃の一切から、俺は逃げねえ。
逃げずに全部受け止めて、その上で叩き潰し、格の違いを見せつける。
それが、俺からおまえに出来るせめてもの手向けだ。
「鍔迫り合いならぬ、鋒迫り合いってやつだな」
「ほざきやがれ!」
凶裂は二撃目を放つべくドスを振りかぶるが――
「ああ……わかってるよ。金的だろ」
俺は脚を振り上げると、俺の股間に伸びてきていた凶裂の足の甲を踏みつけた。
「ぐぁ……っ!?」
普通の相手なら一撃目の突きで致命傷を与えられる。
しかし、それを防がれたとしても、おまえは咄嗟に対応できるよう、次の行動を定型化させてある。
ドスによる視線誘導からの、次なる急所への攻撃。
なんとかしてドスの攻撃を防いだ相手は、ドスによる二撃目を極端に警戒する。
それこそ他のモノが一切見えなくなるくらい、ドスを注視する。
振りかぶった――もう一度突いてくるか。
振りかぶった――横に薙いでくるか。
振りかぶった――縦に振り降ろしてくるか。
このように思考が狭窄し、視野も狭窄する極限の緊張状態を演出し、意識の外から再度急所へ攻撃する。
変わってない。
あの頃からなにひとつ、一切変わっちゃいない。
どれもこれも、自分より弱いやつを相手にするときの戦法だ。
「歯ぁ食いしばれよ……!」
俺は凶裂の胸倉を掴み、引っ張り上げると――
〝ガツン!〟と頬を思い切り殴りつけ、砂利の上に叩きつけた。
「これが今の須貝組だ」
「くだらねえ……なにが今のだ……気に入らねえ……!」
「立てよ、凶裂。俺を殺すんだろ。口だけか」
「じ、上等だよ……!」
凶裂はむくりと起き上がると――
「……チッ! いらねえッ……こんなモン……!」
手に持っていたドスを投げ捨てた。
俺も脇差を鞘に戻すと、ゆっくり砂利の上へと置く。
そして前へ、前へ、歩を進めていく。
そして示し合わせたかのようにまた――
〝ガツン!!〟と額と額を突き合わせて睨み合う。
「なんだ凶裂。大事なエモノ落としてんじゃねえか。拾ってやろうか?」
「いらねンだよ。おめえぶっ殺すにゃあ――」
〝ドガッ!〟
凶裂の振りぬいた重い拳が、俺の顔面を捉える。
一発で口の中いっぱいに鉄の味が広がり、舌で触れただけで犬歯が根元からぐらぐらと揺れる。
なんだよ。ドスなんかより強烈じゃねえか。
俺はキュッと口をすぼめると、血と一緒に口の中の歯を吐き捨てた
「ははは……! 拳で充分なンだよ!」
「てめえ……また目ぇ開けらんねえくれえ、ボコボコにされてえみてえだな……!」
「雨井ィィ!!」
「凶裂ァァ!!」
互いに振りぬいた拳が互いの頬を殴り抜ける。
一瞬足元がグラついたが、すぐにまた拳が飛んでくる。
そこからは防御なんて眼中にねえ打ち合いが始まった。
拳を振るうたびに何かが砕ける音がして、血飛沫が舞い、白い庭先を汚していく。
技術も戦術もそこには何もない。
ただの意地の張り合い。
気合と根性だけのガキみてえな、ただの喧嘩。
「俺たちは気に入らねえ奴、刃向かってくる奴をぶっ殺して、ぶっ殺して、殺して殺して殺して!」
「ああ!?」
「そんで今があるんだろうが! 腰抜けのゴミ共が! 誰のお陰でその位置についてんだ! 誰のお陰で組がデカくなったんだ!」
「自分のお陰だと言いたそうだな!」
「そうだ! 俺だ! ……俺みてぇなやつらのお陰だろうが!」
「自惚れてんじゃねえぞ、ボケ!」
俺の拳が凶裂のみぞおちにめり込む。
ヤツの体が大きくグラつくが、ガクガクと震える脚で踏ん張りやがる。
「……ケ、だが、それがなんだ? 時代が変わったから在り方も変わる? そんなんじゃねえだろ! 須貝組はよォ! 許さねえ! 認めねえ! おまえも! ボンボンも! 須貝組も! 俺が絶対、おまえらを昇級なんかさせねえ!!」
凶裂が拳を固めて大きく振りかぶってくる。
決める気だな。
なら、次で最後だ。
俺も渾身の力で拳を振り上げた。
「いや、須貝組は変わるぜ! これからもな! てめえは一生思い出に浸りながら、ガキみてえに駄々こねてな!」
〝ドガァッ!〟
すでに痛みも感じなくなってきたが、最後の一撃でついに目の前が真っ暗になる。
何度瞬きしても視力が回復する兆しはない。
聴力も耳鳴りがひどく、俺の荒い呼吸音しか聞こえてこない。
けれど、意識ははっきりとしている。地面の方向はわかる。
俺は思い切り息を吸い込み、倒れているであろう凶裂に対して言い放つ。
「須貝組の! 勝ちだァ!!」
視界がだんだん回復し、耳鳴りも収まってきた。
俺は肩で息をしながら、仰向けに倒れている凶裂を見下ろした。
やつのその腫らせた顔は心なしか、笑っているようにも見えた。
「……本当は組長をあんなにしたおまえをここで殺してやりてえが――」
「殺れよ……俺は……もう……立ち上がる……気力もねえ……」
「バカか、殺らねえよ。組長の決定だ。俺はそれに従う」
「……へ、結局……それかよ……」
「ああ。だからこうやって、てめえの好きな暴力で、まっすぐ、正面から叩き潰してやったんだ。感謝しろよ」
俺はそう言って踵を返そうとするが――
「へ……へへ……時代についてけなくて、駄々こねてるだけのガキ……か……」
「……凶裂がしてくれたことは忘れねえ。けどもう、とっくに歩き出してんだよ、俺らは。てめぇもさっさと次の場所、見つけろ」
もう目は合わせない。
俺はそのまま、足を引きずりながら控え所に戻っていった。




