第35話 不要なモノ
「いよいよ、俺の出番だな」
雨井が右肩をぐるぐると回しながら、そう意気込む。
なんとかもっさんが繋いでくれた副将戦だが、ここで負ければ終わるのは変わらない。
そうなれば須貝組は来年まで鉄級のまま。
私もまた馬車馬の如く働かされ……るのだろうか、はたして。
結局、あの一連の危険な依頼も、元はといえば私が原因のようなもので、しかもそれについての清算は終わっているし、これからの予定も特にないし、このまま須貝組で冒険者としてやっていくのも――
「いや、ないな」
これ以上、こんな暴力ボランティア団体と関係を持ちたくない。
なにより、あのイカツイ野郎どもからの姉御呼びは本当に勘弁してほしい。
……まぁ、こんな感じで、さんざんひどい組織だと貶してきたが、正直なところ、誠に遺憾ではあるけれども、ここに居なかったら私はどうなっていたかわからなかった。
たしかに最近、居心地自体は悪くないと思ってきている。そこは否定しない。
けどなんというか、言葉にするのは難しいけど、このままここに居てもダメな気がするんだよね。なぜなのかはわかんないけど。
だからこそ私は今回のこの昇級戦で、今までのもろもろにケリをつけなければならない。
それにわざわざギルドの誘いを断ってまで、須貝組の昇級戦に参加したんだ。
もしここで無様に負け散らかしたら、なんて言われるかわかったもんじゃない。
だから、雨井のことを信頼していないわけじゃないけど、万が一を想定して、いつでも雨井の補助ができるよう、ステータスをいじれる準備はしておこう。
本音としては愚堂さんの時も、上流さんの時も使いたかったけど、この二つに関しては本当に使いどころがわかんなかったしね。
でも、今度こそは――
「真緒」
振り向くと、雨井が私をじっと見ていた。
その顔には、いつものような飄々とした笑みもなければ、怒気もなかった。
ただ、まっすぐな視線だけがそこにあった。
「な、なんでしょう……」
「手、出すなよ」
私の考えなんてお見通しだと言わんばかりに、雨井が釘を刺してくる。
「気持ちはありがたいがな。これは昇級戦だ。せこい真似はしたくねえ」
「……もっさんの件は別腹なのかい?」
「あ、あれは例外だ! 第一、俺が魔王相手に意見できるわけねえだろ!」
「やっぱ魔王ってそんなにやばいんだ……」
しかしその魔王様も、いつの間にかどこかへ行ってしまっている。
おそらくこの催しものに飽きてしまわれたのだろう。
あとで今回無茶言ったお礼をしに行きたいんだけど……心臓とか要求されたらどうしよう。
〝ドォン!〟〝ドォン!〟〝ドォォン!〟
本日四度目の太鼓の音が鳴り、ギルド側の陣幕が揺れる。
そこから出てきたのは――
「う、うわあ……」
思わずそう漏らしてしまうほど、こってりとした男だった。
サイドを短く刈り込んだパンチパーマに。
細く、吊り上がった眉。
そしてこれでもかというほど、見事な和彫りが全身に渡って刻み込まれている。
着ているのは黒地に白の刺繍が入った羽織と、だらしなく着崩された袴。
帯のところに刺さっている棒のようなものは、おそらく匕首だろう。
体格はそこまで大柄ではないが、無駄な肉は一切ついていない。
のっしのっしと肩で風を切って歩く姿は、まさにヤの者であった。
まさか須貝組以外にもこんな感じの人がいたなんて。
それにこれは……なんだろう。
あきらかに男はこちらを敵視している。
思いっきりガンを飛ばしてきている。
「気が変わった……」
「気が変わったって……なにが?」
「真緒、おまえは死んでも邪魔すんな」
雨井は険しい顔でそう言い残すと、静かに陣幕をめくりあげ、庭先へと歩を進めた。
「知り合い……なのかな」
「知り合いだね」
「のわあああああああああ?!」
いつの間にか須貝さんが私の背後に立っていた。
……いや、座っていたのか。
「す、須貝さん!? なんでここに……もう試合始まっちゃいますよ!」
「なあに。控え所に東雲さんひとりじゃ心細いんじゃないかと思ってね。様子を見に来たってわけさ」
「あ、ありがとう……ございます……?」
「どういたしまして」
「そ、それより、鰤里さんは見つかったんですか?」
「……まだだね。今も愚堂と上流が探してるよ」
「上流さん、意識戻ったんですか」
「ああ。綺麗に脳を揺らされたみたいでね。直前のことはなんにも覚えてないんだと」
そう言って須貝さんは、呆れたようにため息をついた。
「ところで対戦相手のあの……ヤバそうな人、ご存じなんですか?」
「もちろん。ご存じもご存じ。あいつの名は死闇凶裂。元須貝組の構成員だよ」
「……え?」
「ちょっとした事があってね。うちを絶縁になって……いまはどうやら、ギルドで上手いことやってるみたいだね」
須貝さんがふっと目を細める。
なにやらものすごい因縁がありそうだが……さすがに根掘り葉掘り訊くのは、失礼だろう。
私は尋ねたい気持ちをぐっと堪え――
「ちょっとした事ってなんですか?」
られそうもないので、単刀直入に尋ねることにした。
おそらくこの機会を逃したら、ここ一週間は寝る前とかに思い出すようになるからだ。
眠れない夜とかはもう御免なのです。
「こ、こいつは……へっ、とうとう東雲さん、あんた遠慮ってものまで失くしちまったのかい」
「〝まで〟ってなんですか。……いや、すみません。こう、ぽろっと聞けるかなって」
「あははは! 言うじゃねえの!」
「あ、べつに話せないなら、無理に訊きません……」
須貝さん怒ったら怖いし。
「……本当に変わったね、東雲さん」
「え? そ、そうでしょうか……」
「いいさ。東雲さんも大事な組員だ。ヘンに隠す必要もねえだろ。それに……ずっと疑問に思ってたろ?」
「へ?」
「俺の脚がこんなザマになってるのに、なんでまだ冒険者の、クランの組長張ってるかってことさ」
「それは……はい。最初は先天的なものかと思ってたんですけど、怪我……されたんですよね?」
「そこまでわかるのか。さすがだね。勇者の能力かい?」
たしかに能力を使えばわかるかもしれないけど、そうじゃない。
須貝さんの脚は、ずっと車椅子に乗っていた人特有の痩せた脚じゃないんだ。
「いえ。ちなみに能力は雨井……さんから聞いたんですか?」
「はは。いまさら俺の前だからってさんなんて付けなくていいさ。……いや、カマをかけたんだ。雨井は誰にも東雲さんの能力を話しちゃいないよ」
そうだったんだ。
私としてはもうべつに、誰にバレてもいいかな程度で話したんだけど、どうやら雨井は律儀に秘密を守ってくれていたらしい。
「で、この怪我の原因だけど、あそこにいる死闇凶裂なんだよ」
「……え、そうなんですか!?」
「そう。背中の……あんまり傷つけちゃいけない場所に傷ができたらしくてね。それ以来、ずっとこのザマなんだ」
「そう……なんですね……でも、絶縁でよく済ませましたね……」
私なんて報酬金着服しただけで殺されかけたのに。
「……断わっておくけど、雨井は東雲さんの落とし前について反対してたからね」
見透かされたように須貝さんに先手を打たれる。
「あ、それは知ってます」
まあ、全部勘違いだったわけだけど。
ついでに言うと、雨井はなんて限定しているけど、須貝さんもなんやかんやで反対してくれていたらしい。
あ、知ってますとか言っちゃダメだったっけ。
「……なんで知ってるかは訊かないでおこうか」
よかった。
もしあの構成員がしゃべったって知られたら、どうなってたか。
「それで、死闇の落とし前を絶縁で済ませた理由だけど……俺が負い目を感じてたからだろうね」
「負い目……ですか?」
「当時、須貝組は羽振りがよくてね。今よりももっと……それこそ、世間様に言えない依頼なんかをたくさんこなしてたんだよ。けど、そんなんじゃいけないと俺が言い出したんだ。まぁ、どの口がって思うだろうけどさ。……で、そこで反対してきたのが死闇なんだ」
「なんで彼は反対したんですか?」
「そういうヨゴレ仕事を率先してこなしてたのが死闇だったからね。組としても死闇を便利に使ってたし、あいつもそれを望んでた。……けど、いきなり俺が止めようってんで、このボンボンは何いってんだって思ったんだろうね」
「ぼ、ぼんぼん……? 須貝さんが……?」
「おや、聞いてないかい? 俺ぁ三代目だよ。くだらねえ世襲制ってやつだね」
「そ、そうだったんですか……!」
貫禄あるからてっきり叩き上げかと。
「雨井も愚堂も、盃交わしたのは俺の親父とだ。けど、あいつらはポッと出の俺を組長と慕ってくれてる……」
須貝さんはツラそうな顔でうつむいた。
ここで変に『そんなことないですよ』とか持ち上げても、逆に須貝さんに気を遣われかねない。
……うん、大人しく黙っておこう。
「ちょっと話が逸れちまったが、そんなポッと出にわかったような口聞かれちゃ、誰だってキレるさ。とりわけ死闇なんてのは、血の気が有り余ってしょうがないやつだったからね」
「それで……怪我を……」
「ああ。もちろん組のモン全員、あいつを処分しようとした。雨井なんか、死闇の顔がわからなくなるくらいタコ殴りにしてね。俺はなんとか組のモン説得して、絶縁って落としどころまでもってった……って、わけさ」
「そう……だったんですね……」
「ああ。必要な時だけ使って、要らなくなったら殺す……なんてことが出来るほど、俺は器用な人間じゃ――」
〝ズキン……!〟
なんだ……これ……。
須貝さんの話を聞いていたら、急に何か――
「ど、どうしたんだ……東雲さん……!?」
ぐわんぐわんと、まるでエコーのように須貝さんの声が脳内で反響する。
「す、すみません……なんか、すごい、頭痛が……」
とても立っていられなくなり、私は白砂利の上に膝をつく。
なん……なんだ……これ……!
まるであの時の……音子ちゃんの時のようだ……。
でも今回は……割れるように頭が痛い……。
そうだ――
たしか以前にもこんなことがあって――
〝要らないモノ〟だって私はその人に――
〝ヒト〟――?
「……は……れ……?」
急に目の前に白砂利の壁が迫ってくる。
そして、私はそのまま――




