第31話 先鋒:愚堂暴威
〝ドォン!〟〝ドォン!〟〝ドォォン!〟
太鼓の音が低く重く、控え所の空気を震わせた。
あの合図は、いよいよ試合が始まるということだろう。
風が吹き、控え所に張られた布がひらり揺れる。
ちらり見えたその向こうの庭先は、意外にもかなりの広さだった。
てっきり土俵よりもすこし広い程度かと思っていたが、一般的な学校の運動場の、その半分くらいはありそうだ。
そんななか愚堂さんがひとつ、肩を回してからゆっくりと立ち上がる。
意外にもこちらの先鋒は愚堂さんのようだった。
てっきり中堅辺りだと思ってたけど……。
最初にサクッと勝って相手にプレッシャーを与えようという作戦なのだろうか。
それにしても、相変わらずその表情は読めない。
飄々としているようにも見えるし、気合いが入っているようにも見える。
でも一歩、また一歩と庭先に向かって進んでいくその背中には、緊張とはまた違う、どこか張りつめた気配があった。
「ほな、行ってくるわ」
振り返ることなくそう言うと、彼はゆったりとした所作で幕をかき分け、そのまま庭先へと進んでいく。
その幕を誰かが外側から留めたのか、愚堂さんが出ていった隙間が固定され、そこから庭先の様子が覗けるようになった。
試合を観れるのは正直ありがたい。
試合中、ずっとここにいるむさくるしい男どもと膝つき合わせて作戦会議……なんてことになったら目も当てられなかった。
そして、愚堂さんが進んでいくその先、相手の先鋒はやけに気合いの入った男だった。
後ろで髪を一本に束ね、口元には深く刻まれた縦の刀創。
背筋はぴんと伸び、柄に手をかけ愚堂さんを睨みつけるその立ち姿には、どこか執念にも似た気迫が滲んでいた。
「雪佐拓磨か」
私の隣で同じように庭先を見つめていた雨井がぽつりとつぶやく。
「ありゃ余裕っすね、カシラ」
名も知らない構成員一号が腕組みをしながらそう言う。
「みなさんは、知ってる感じなんですか……って、あれ、須貝さんは?」
「組長は出場しないんで、庭の外に出てったっす」
「ああ、そうなんだ……」
それにしても音もなく出ていったな。車いすに乗ってるのに。
私もべつにそういうのに敏感ってわけじゃないけど、やっぱりあの人、ただモノじゃないよな。
……まぁ、須貝組仕切ってる時点でただモノじゃないんだけど。
「あの男については知ってるっすよ。愚堂の兄貴の因縁の相手……と言っていいかわからないっすけど、大体そんな感じっす」
「じゃあ、もしかしてあの口元の傷は、愚堂さんが?」
「そっすね。あれは兄貴がつけた傷っす」
「基本的に昇級戦じゃ、雪佐の野郎、いつも兄貴に負けてるからな……」
今まで黙っていた名も知らぬ構成員二号が口を開く。
身の丈は雨井と同じくらい大きい。
軽く190は超えているだろうか。
そもそも骨格そのものが大きく、衣の上からでもわかるほどの筋肉がその広い背に宿っていた。
くせのある髪質を嫌ったのか、襟足やもみあげはすっきりと剃り込まれており、残った髪はそれを覆い隠すように長めに流されている。
「野郎の等級はいちおう銀だが……今まで兄貴は負けたことがねえ。まず大丈夫だろうよ」
二号がそんなことを言うと、雨井も一号も同意するように頷いた。
私はステータスを開き二人のもの見比べてみるが、たしかに愚堂さんのほうが雪佐と呼ばれた男よりも数値的には勝っていた。
ちなみに、この語尾が~っすの構成員は一身上の都合により、一号と名付けた。
一号だったり二号だったり、失礼なのはわかっているけど、知らないものは知らないのだ。
……オレ、この戦いが終わったら、きちんと名前を訊くんだ。
そうこうしているうちに、向き合うふたりの間に、すっとひとつの影が立つ。
冒険者組合極東支部支部長……名前はたしか、不破頼道。
覚えてた。
次第に観衆のざわめきが静まっていく中、不破はゆっくりと右手を挙げ――
「始め!」
その一声と同時に、庭の空気が切り裂かれた。
どうやら前口上や、式辞といった煩わしい手順は省かれるようだ。
私としてもそちらのほうが手っ取り早くていい。
ふたりの剣士が、一歩、また一歩と、砂利を踏みしめる音だけが響く。
やがて――
〝ガギィィィン!〟
不協和音が響き、鮮烈な火花が散る。
睨み合う両者による激しい鍔迫り合いが始まった。
どうやら両者共に様子を見るつもりも、互いの技量を推し量るつもりもないようだ。
そこは須貝組の皆の言う通り、何度も戦い、手の内を知り尽くした仲なのだろう。
一刀のもとに斬り伏せる。
そのような気迫が、こちらまで伝わってくる。
激しい動きこそないが、両者の骨が軋み、筋肉が膨張し、血液が煮え滾っているのがわかる。
しかし、力の数値はわずかに愚堂さんのほうが優勢。
このままやれば雪佐が先に力尽きるのは、彼らが一番わかっている。
やがて私が生唾を飲み込むと――
「終わったな」
雨井がそんなことをぽつりと呟いた。
雪佐は愚堂さんの刀を跳ね上げると、再び刀を構え直し――横に薙いだ。
目にも留まらぬ速さの一閃。
その太刀筋は明らかに愚堂さんの胴体を捉えたかに見えた。
しかし結果は空振り。
次の瞬間、雪佐は刀身を顔に押し当てられたまま、白砂利の上へと押し倒された。
真剣による試合とはいえ、これはあくまでギルド立会いのもとに行われる模擬戦。
殺し合いではない。
雪佐はまた新たな刀創を顔に作られ、試合もこれで終わりだろう。
「一撃で決める戦いだったが、野郎はその勝負から逃げ、二撃目を放とうとした」
二号が急にわかったような顔でぽつぽつとつぶやき始める。
寡黙な男の印象だったが、意外と饒舌なタイプのようだ。
それになにやら、私のことを横目でちらちらと見てきている。
一体何なんだ。私が何をしたって言うんだ。
「えっと……」
「あろうことか、野郎は刀を引き、もう一度構え直したのだ」
「つまり……どういうことなんです?」
「人生に二度目はないということだ」
「……うん?」
二号は、こいつは急に何を言っているのだ。
「野郎の敗因は二度目があると思ったこと。初太刀に魂を乗せきれなかったことだ。勝負から逃げた男に、勝ちはあり得ない」
「ああ……男の世界的な……あれですか……」
「うむ」
いわゆる精神論。
それもたしかにわかる気もするけど、本当は力の数値で劣っていた雪佐が、焦って勝負を決めにいったから……だと思う。
まぁそういうの嫌いじゃないから否定はしないけど。
でもこれで、とりあえず一勝は確保した。
残りあと二勝。
せめて私の順番が来る前に――
〝うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!〟
そんなことを考えていると、未だかつてない声援が庭先から飛んでくる。
見ると、雪佐を押し倒していたはずの愚堂さんが宙を舞っていた。
倒されていた雪佐が、巴投げの要領で愚堂さんを蹴り上げたのだ。
制御を失った愚堂さんは、勢いそのまま背中から白砂利に叩きつけられ――
「ま、まいった……!」
起き上がった雪佐が愚堂さんの顔面に刀の切っ先を突きつけたところで、彼は負けを宣言した。
この日、須貝組は早くも一敗を喫することになった。




