第30話 声援の先に待つもの
朝霧がまだ完全に晴れきっていない時間帯。
昇格戦が行われる会場を目指し、私は綾羅近郊にある山の麓にいた。
目の前にある大鳥居をくぐると、途端にひんやりとした空気が肌にまとわりつく。
そこから先は、辟易するほどに延々と石段が続いていた。
帰りたくなる気持ちをぐっと抑え、私は一段一段登っていく。
苔むした踏み段はところどころ風化し欠けており、たまに視線を落とさなければ、蹴躓いてしまうほどに整備はされておらず、段差も歪んでいた。
準備は万端……とまではいかないけど、この三日で例の〝会話ログからの再生〟の意外な使い道も発見したし、ある人物の協力(とは言えないが)得られたし、それが実戦で実践できるのは、すこし楽しみでもある。
あとは火力調整をミスらないようにしないとだけど……たぶん大丈夫だろう。
やがて中腹まで上っていくと、視界が開けると同時に、まるで綾羅にいるような喧騒が聞こえてきた。
「な、なにこれ……」
早朝だというのに、屋敷の門前にはすでに百人を超える群衆が詰めかけている。
見ると焼き芋の屋台や柚餅子を売る行商がいたり、しまいには甘酒までふるまわれていて、まるで小さな祭りのような様相を呈していた。
一瞬、会場を間違えたのかと思ったが、彼らの会話内容を聞くにどうやらここで合っているらしい。
そしておそらくこの人たちは野次馬で、わざわざあの石段を登ってまで、昇級戦を観に来ているようだ。
「こんなの観て、なにが面白いんだろ」
そんなことをつぶやきながら私は群衆からすこし距離を取り、どうやって屋敷の中に入るかを思案する。
瓦屋根に白壁。
そしてその門構えは堂々たる四脚門。
門の屋根の下中央に掲げられた扁額は黒く塗りつぶされており、辛うじて〝須〟の文字だけが読み取れた。
かつてここら一帯を治めた大身の武家屋敷……を、ギルドが格安で買い取り、修繕、管理し、こうして昇級戦の会場や、修練場として使っているらしい。
すみっこのほうに抜け穴のようなものはないのだろうか。
私は身を屈め、目を凝らして観察するが……どうやらギルドの修繕は完璧のようだ。
これなら石段のほうもお願いしたかったのだが――
「し、東雲真緒……さん……!?」
突然名前を呼ばれたのでその方向を見ると、門の脇に立っていた青年が、私の顔を見ていた。
「東雲!?」
「東雲だと……!」
「あの東雲真緒か……!」
その声に群衆も一斉に振り返り、私を見る。
喧騒がざわめきに変わり、場が一気に色めき立つ。
これ殺されないか、私?
「えっと、出場者の東雲真緒さん……で、合ってますよね……?」
青年はわざわざ群衆をかき分け、丁寧に確認するように尋ねてくる。
私の反応が遅れたせいで、私が本人かどうか自信が持てなくなったのだろうか。
しょうがないじゃないか。
みんな一斉にバッと振り返ってきて、ちょっと怖かったのだから。
「は、はい。そうです。……えっと、あなたは?」
「ギルドの者です。出場者様ならびに関係者様方の入口はこことは反対側にあるので、まずはそちらまでご案内させていただきます」
「あ、そうだったんですか……すみません……」
どうやら、やらかしてしまったようだ。
まだこの世界の地理に詳しくないんだから、意地なんて張らずに地図を用意してもらえばよかった。
青年は「こちらです」というと、そのままさっさと歩きだした。
私はそのあとを申し訳なさそうについていくと――
「しののめぇー! 勝てよぉー!」
見ると、名も顔も知らない中年のおっちゃんが私を応援してくれていた。
そしてそれを皮切りに、あちらこちらから私のもとに声援が飛んでくる。
「いよっ! 本日の主役!」
「応援してるぞー!」
「あいつらの鼻ぁ明かしてやれぇ!」
「いけー! ぺったんこー!」
「ブッとばしたれー!」
「結婚してくれー!」
「おまえなら勝てるぞ!」
「がんばれー! しののめー!」
私への応援といわれなき誹謗中傷が、大きなうねりとなって押し寄せてくる。
巷では話題になっていると雨井から聞いてはいたが、まさかここまでとは思ってもみなかった。
私は背後に群衆の声援を感じながら、あらためて青年のあとについていった。
◇◇◇
屋敷の外縁に沿うようにして裏手へ回ると、人ひとりが通れるほどの大きさの扉から改めて屋敷の中へと這入っていった。
扉からはもう庭先に繋がっているようで、足元には白砂利が敷かれ、ぎらつく陽光を跳ね返している。
庭の四方を囲う布は風に揺れて、まるで合戦さながらの陣幕のようだ。
声援もざわめきも、厚い布一枚を隔てただけなのに、ここでは妙に遠く、くぐもって聞こえる。
この空間だけが、まるで別の場所に隔離されたような、奇妙な静けさに包まれていた。
そしてその一角に、細い出入口のような布の切れ目があり、青年はそこで足を止める。
「こちらが須貝組の控え所になります。ご健闘を」
そう言って一礼した彼は、すぐに踵を返してその場を離れていった。
私は仕切りの隙間に足を踏み入れ、ゆっくりと白い布の中へと入っていく。
「おう。遅かったな、真緒」
そこで私を迎えてくれたのは雨井や須貝さんに愚堂さんをはじめ、須貝組の昇級戦出場者の面々だった。
「いやあ、すみません。ちょっと入口間違えちゃって……」
私はそこにいた五人に対して、ぺこぺこと頭を下げる。
「だから言っただろ。地図くらい持ってけって」
「面目ない……そういえば、人だかりすごかったけど、毎年こうなの?」
「いや、見物人が来ること自体、滅多にねえな」
「そうなんだ」
「――まぁ、今年は姉御がいるっすからね」
雨井との会話に私よりも若そうな構成員がひとり、笑いながら入ってくる。
私よりも少し背の高い若者。
年の頃は二十歳くらいだろうか。
元気はつらつとした話し方で、性格がそのまま表れたような顔立ちをしており、髪は真っ直ぐな直毛。
全体的にツンツンと跳ねている。
ちなみに彼の名前は知らない。
事務所で数回見たことがある程度だが、ここに選抜されているということは、それなりの実力者ということなのだろう。
「……姉御って、もしかしていま、私のこと言った?」
「当たり前じゃないっすか。他に誰がいるんすか」
私は雨井の顔を見るが、彼を窘めるつもりも訂正させるつもりもないらしい。
勘弁してほしい。
昇級戦が終わったら組を抜けるって、雨井も須貝さんも伝えなかったのだろうか。
「今回の昇級戦、相当話題になってるっすよ」
「話題? なんで?」
「え、なんでって……」
私がそう尋ねると、なぜか彼は驚いたような呆れたような顔で、他四人の顔を見た。
「姉御って、いちおう渦中の人間なんすよね……?」
「まあ、たしかに昇級戦に出るから渦中にはいるけど……」
「いるけど、って……いやいや、何で知らないんすか!? 異世界から召喚した勇者を故意に冷遇したからって、今、ギルドすごい批判されてるんすよ!」
「そうなんだ」
「なんでそんな空返事なんすか……」
「そう言われてもね……」
興味ないものはないし、そもそも私は私で、たしかに大変なことも苦しいこともいっぱいあったけど、間違いなくここからしか見れないモノや、得られないモノはあったと思ってる。
だから今は現状をそんなに悲観していない。
だからべつに、ギルドをそこまで憎いとは思っていない。
たしかにここまでで、ちょっと変だなって思うところはあったけど、カルチャーショックってことで流していた。
「……ちなみに、どういう感じの話題になってるの?」
私がいちおう尋ねてみると、今度は須貝さんが口を開いた。
「〝ギルドの不当な扱いに耐えかねた勇者は、昇級の打診を承諾したあと、嫌がらせのようにそれを取り下げ、今度はわざわざ団体戦に出場することで実力を証明し、真正面からギルドの体制とその在り様を否定するつもりだ〟……って、今朝の新聞に書いてあったね」
「なんかそれ……どこまで尾ひれついてるんですか……」
「な、なんや、ちがうんか……?」
腰に黒鞘の刀を帯び、額に鉢金を巻いた愚堂さんさんが遠慮がちに訊いてくる。
彼の準備はすでに万端のようだが……なんだろう、この違和感は。
なんというか、前回よりも警戒されている気がする。
私、この人とそんな絡みなかったよね。
「違うもなにも、そもそもこの昇級戦は雨井に誘われただけだし……」
「せ、せやから……ギルドからの申し出を……蹴ったんか……?」
「まあ、たしかに急ではあったと思うけど、私としては丁重に断ったつもりで……」
「ま、まさか……そんな……ことで……」
なんでこの人はこの人でショックを受けてるんだ。
それに人聞きが悪い。
いちおう取り消す時だって、なんども職員の人に頭を下げたんだから。
「真緒、おまえ今、巷じゃ軽く反権力の象徴みたいになってんぞ」
「はあ? なにそれ!?」
「不当な評価で、不適切な立場に追いやられた悲劇のヒロイン様だってよ」
「そんなヒロイン様が、今日は痛烈にやり返すんだから、そりゃこぞって見物にも来るってもんさ」
雨井と須貝さんは面白がるように笑っている。
そして――
嗚呼、今、わかってしまった。
おそらくこの二人だ。
この二人が恋ナスビの功績を世間に流布し、ギルドしか知らない酒呑童子の件の噂を拡散し、魔王調伏という虚偽を蔓延させた張本人なのだと。
「なんか……頭痛くなってきた……」




