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第28話 昇級キャンセル界隈


 街の喧騒から少し外れた裏通り。

 石畳には月明かりが鈍く反射し、道端の格子窓からは赤、緑、紫といった色とりどりの灯りが洩れている。

 白粉(おしろい)の香り、炭火の匂い、下駄の音と男女の笑い声──

 夜の繁華街特有の、妖しく熱を帯びた空気が私の肌にまとわりついていた。


 ひゅうと風が吹くと私は小さくくしゃみをひとつして、首元をすくめる。

 まだ少し頬が火照っていた。

 お酒は弱いほうではないつもりだけど、それでも三合ほど呑めばこのくらいにはなる。


「……いやあ、ひさしぶりに……ついつい呑んじゃっらお……」


 そこそこ酔いが回っているのだろう。

 普段は言わない独り言をぽつぽつとつぶやきながら、のろのろと歩を進める。


 ギルドへの昇級申請は、無事に終わった。あとは受理されるだけ。

 たしかにそれは良い事のはずなのに、心はどうにも晴れなかった。

 そのせいもあり、ついつい呑みすぎてしまったのだ。


「まっらく……お祝いするんじゃなくれ……ずっと憎まれ口叩いてくれたら、気持ちよく昇級れきたのに……あのハゲ……」


 そんなふうに、ぶつける相手のいない不満をつぶやいているうちに、やがて道がゆるやかに曲がり、提灯の明かりも遠のく。

 気が付くと、いつの間にか、通りのざわめきが背後へ消えていた。


「ろこだろ……ここ……」


 シラフの私なら、まず近寄らないような裏手の小路。

 酩酊した勢いで、無意識に足が向いたのかもしれない。


「ま、たまには……こういう小さな冒険もいいよね……」


 なんて呟いてみたが、言葉はすぐに野太い男の声にかき消された。


「いやマジで、東雲のやつ、カシラの頼み断ったらしいぜ」

「ああ、俺も聞いた。ちょっと気の毒だよな」


 曲がり角の先。

 酒場の裏口にある薄暗い空間から、ガラの悪そうな男たちの声が聞こえてきた。

 会話の内容を鑑みるに須貝組の組員だろうか。

 見ると片手に煙管(キセル)か何かを持って、赤ら顔で語り合っている。

 私は足を止め、息を殺し、自然と耳を傾けていた。


「だなあ。てっきり俺も、手ぇ貸してくれるもんだと思ってたよ」

「カシラは相当ショックだろうな」

「まぁ、あんだけ目ぇかけてたんだからな……」


 いやいやいや。何を言っているんだ、あいつらは。

 目をかけてたってより、どう考えても私のことカモとして見てたでしょ。

 用がなくなったと思ったら危ない依頼に行かせて、ポイ。

 運よく生還してみせてたら、こいつは使えると思ったのか、さらに危ない依頼にいかせて荒稼ぎさせる。

 魔王も真っ青のやり口だよ。


「さすがにあんな難しい依頼が続いたらよ、元勇者とはいえブルっちまうか」

「けどよ、そもそもの話、全部東雲が悪いんだろ? ご法度かましたんだっけ、あいつ」

「ああ。報酬金ちょろまかしたんだってな」

「え……」


 私が……なんて? 報酬金を……着服した?

 そんなことした覚えないんだけど。なんでそんなことになってるの。


「あん時ぁひどかったよな。カシラがなんか、東雲かばったりしてよ」

「ああ……あれはひどかった……愚堂の兄貴がおっかねえのなんのって――」


 そこまで聞いて、気が付くと私は飛び出していた。


 頭の中がぐらぐらと揺れている。

 たぶんこれは酒のせいではない。

 私の中に残っていた酒気はすでに蒸発し、意識は完全に覚醒していた。


「ちょっと、いいかな?」


 私の声に男たちが一斉に振り返る。


「なんだあ、てめ――」

「お……おまえ……」

「はあ……!? え、ちょっ、待て……おまえは――」


 私の顔を見て、組員たちの表情がみるみる引きつっていく。


「東雲……真緒……!?」


 一番奥にいた男が、青ざめた顔で名を呼んだ。

 私はそのまま彼らの前へと進み出る。


「今の話、詳しく話してくれない?」

「い、いや……あの、これは、その……!」


 口ごもる組員たち。

 さっきまでの軽口とは打って変わって、全員が蚊の鳴くような声になる。


「聞かせてくれないと、組の情報をこんなところでペラペラしゃべってたこと、チクっちゃうけど」


 返答はない。

 彼らはただ居心地が悪そうに視線を泳がせ、誰も目を合わせようとしていない。

 私はすぅと息を吸うと、なるべく静かに言った。


「話してくれるんだよね?」

「……はい」


 組員たちは観念したように頷いた。



 ◇◇◇



 私は再びここ、須貝組事務所の前へ戻っていた。

 どうしても今日中にあいつに一言、言ってやらなければならない事があったからだ。


 夜はかなり更けてきているが、幸い事務所からは光が漏れている。

 私は戸に手をかけると、叩きつけるように開け、事務所内へと踏み込んだ。


「たのもう!」


 すでに組員は帰途についているのだろう。

 がらんとした事務所の奥で、二つの人影が私の声に振り返った。

 一人は、雨井仁(ハゲ)

 そしてもう一人は……誰だろう。見たことがない人だ。


 男性は木製の車いすに腰掛けていた。

 年のころは、私よりすこし上くらいで、雨井よりは確実に下。

 だいたい二十代後半から三十代前半といったところ。

 その表情は柔らかく穏やかで、他の組員が放っているようなギラギラした感じはない。


 服装は黒い羽織に洋式のボタンシャツ、足元には光沢のある革靴と、この綾羅だと浮きそうな、和洋の要素を織り交ぜた装いだが、なぜか彼にはしっくりと馴染んでいた。


 そしてなにより、一見線の細い優男に見えるが、羽織の袖口から覗く前腕は太く、すこしはだけた胸元はかなりの厚みがあった。


「なっ……真緒……!? おまえ何してんだ、こんなとこで! 昇級は!」


 雨井が立ち上がり、ずんずんと詰め寄ってくる。


「それにおまえ、二度とウチには来んなっつった――」


 私はその態度に再度頭に血が上り、すこし爪先立ちをして雨井の胸倉を掴んで引き寄せた。


「な、なにす――」

「取り消したよ」

「はあ!?」

「昇級は取り消した。だからここにいんの。わかる?」

「おま……!? なんで、そんなこと……!?」

「……東雲真緒さん、ですね」


 雨井の後ろから落ち着いた調子の声が飛んでくる。


「……だれ?」


 私は雨井の胸倉を掴んだまま尋ねる。


「バカおまえ。あの人は――」

「いいよ、雨井。俺から言う」


 男性は器用に車いすを操ると、私の前までやってきてお辞儀をした。


「申し遅れました。私が、この須貝組の組長須貝(すがい)(ない)と申します」

「……まじ?」


 組長? こんな優しそうな人が?

 この暴力ボランティア団体の代表?


「東雲真緒さん、お噂はかねがね。そこの雨井から聞き及んでいます」

「は、はぁ……どうも……」

「それで、本日はいかがなされたのでしょうか」

「……え?」


 急に空気が重くなる。

 須貝さんの表情は変わっていないのに、明らかに空気が変わった。

 途端に肌がひりつき、視線を逸らせなくなる。


「……営業時間はもうとっくに終わってンだ。バカみてぇにデケェ音たてて、ご近所さんに迷惑かけただけじゃなく、うちのカシラの胸倉まで掴むたぁどういう了見だって訊いてんだ。ああ?」

「す、すみません……」


 怖い。怖すぎる。

 青筋を立てたり、怒鳴ったりしてないのに、ここまで人間は誰かを威嚇できるのか。

 この瞬間、私はようやくこの須貝凪とかいう男を暴力ボランティア団体の組長だと認識する。


 私は雨井から手を離すと、素直に頭を下げた。

 上っていた血も幾分か下がった気がする。


「……それよりも、こんな時間に来るくらいだ。おまえさん、うちのカシラになんか用でもあったんじゃねえのかい?」

「そ、そうだった。おい、真緒。なんでおまえ、昇級蹴ったりしたんだ」

「決まってんじゃん。須貝組の昇級戦に参加するからだよ」


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