第27話 昇級戦のお知らせ
朝の光が屋根の隙間から差し込んでくる。
朝である。
この世界にもいちおう魔法仕掛けの目覚まし時計はあるみたいだが、貧乏冒険者の手には届かない価格設定になっている。
だからこうして、ちょうど朝陽が差し込む角度に頭を置いて寝るのが習慣になってしまった。
光から逃げるように少し身体を動かせば、どこかしらの床板がみしりと鳴る。
こちらを踏めばあちらが、あちらを踏めばこちらが……というのが東雲邸の七不思議のひとつである。
それにしても、ここに住み始めて、もうどれくらい経っただろう。
最初は今の朝陽みたいに、天井の隙間から雨が漏れたりしていたが、今では……相変わらず漏れている。
けれど慣れれば案外なんとかなるもので、今ではその雨漏りの水も、私の大切な生活資源となっている。
というのもこの水、煮沸すれば普通に飲めるのだ。
雑味もないし、まるでミネラルウォーター……とまではいかないけど、さすが剣と魔法の世界なだけはある。
排気ガスもくもくだったあの世界とでは根本から違うのだ。
私はぼんやりと髪を整え、軽く顔を洗ってから、外に出た。
「ん~……っ!」
私は大きく伸びをしつつ、鼻から朝の新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
今日もいい天気だ。そろそろ降れ。
「あれ?」
玄関先に置かれた木箱製の郵便受けの中に、封書が一通。
上質な和紙に、達筆すぎる筆跡。
こういうのって見た目は綺麗だけど、読みづらいよね。
というのは、どの世界も共通なのだろうか。
差出人を見て、思わず眉が動く。
〝冒険者組合極東支部〟
なんだろう。嫌な予感しかしない。
私はゆっくりと、警戒しながら、手紙に巻かれていた麻紐をほどいていった。
◇◇◇
「真緒、大事な話がある」
朝一番。
私が須貝組の戸をくぐると、雨井が辛気臭い台詞とともに、臆面もなく、その暑苦しい面を私の前に晒してきた。
いつもなら鬱陶しいことこの上ないのだが、こんなのでも、もう見れなくなると思うと、すこし寂しくなるかも。優しくしてやろう。
「どうしたの雨井くん。私に何か用?」
「な、なんだおまえ……気持ち悪ぃな……」
優しくしたのがあほだった。
「ほら、気持ち悪がるより早く本題」
「そ、そうだ。うちの組の昇級戦の日程が決まったんだ」
「組の昇級戦……この前、ちらっと聞いたやつ?」
たしか、酒呑童子の依頼を受けていた時に雨井から聞いたんだっけ。
「そうだ。ギルドにはクラン……て、わかるか?」
「ごめん」
「まぁ要するに、気の合うヤツらで徒党を組み、一緒に依頼をこなして、それで得た報酬を仲間内で再分配しようぜ。っていう、組織を作れる制度があるんだよ」
「なるほど。つまり須貝組もそのクランだと」
「そういうこった」
「……それが、なんでこんな、暴力的なボランティア団体になったの」
「おまえなぁ……俺とサシで話すならまだしも、ここは事務所だぞ。さすがに言葉選べよ」
そうだった。
つい雨井といると悪態をついてしまうが、ここは須貝組の事務所。
下手なことを言ってしまうと、裏に連れていかれボコられてしまう。
私はおそるおそる周りの様子を窺うと、何人かの組員と冒険者がチラチラと私たちの様子を見ていた。
私は申し訳なさそうに会釈をするが、その人たちは次々と気まずそうに視線を逸らしていった。
これは……殺られてしまうのか?
「……まぁ、ここ最近のおまえの活躍を聞いて、突っかかってくる輩は、もうここにはいねえだろうがな……」
ああ、なるほど。そっちか。
私を警戒しているのか。
たしかに最近、雨井以外に私に突っかかってくる輩はいなくなった気がする。
てっきり、私を消す算段をつけたうえで、私に悟られないよう消そうとしているのかと思った。
「まさか本当に、魔王にナシつけに行くとはな。そのうえ出版やめさせて、五体満足で帰ってくるんだから、恐れ入ったよ。おめえには」
「そ、そうかな……」
もっさんってば、えらい言われようだな。
本人はただ熱心に有害図書を出版してるだけなのに。
「で、話を戻すが、その組の昇級戦ってのがあるんだ」
「うん。絶対に昇級できない昇級戦だよね」
「ああ。その絶対に昇級できない昇級戦だが……」
つっこまないんだ……。
「今年は俺たち、本気で獲りに行こうと考えている」
「おお……! へえ、やる気じゃん」
「そうだ。で、本題だが、真緒。おまえにはこの昇級戦、大将枠として出てほしい」
「そっか。うん、頑張って……うん?」
後半ちょっと、予想だにしていなかった言葉が飛び出してきたので、思わず聞き流してしまったけど、こいつ、今なんつった?
「おまえが大将だ」
「はあ!?」
「昇級戦はクランの代表者五名と、ギルド側が選抜した五名とで行う団体戦だ」
「ちょちょちょ、なに急な説明パート入ってんの!?」
「先鋒、次鋒、中堅、副将、大将からなる計五回の模擬戦闘を行い、クラン側が三勝以上すれば昇級となる」
「なに? もしかして私いま、声出てない? あんたの鼓膜、震わせられてない?」
「この件はすでに組長にも話は通してある」
「まず私に話し通すのがスジじゃない?」
「なんなんだ、さっきから。おまえにだって美味しい話だろ」
「なんでよ」
「これで昇級決めたら、おまえも晴れて銅級の仲間入りだ」
「ああ、そういうことね」
「今までみたいな危険な依頼とは――」
私はそこで、今朝届いていた手紙を、雨井の鼻先に突き付けてやった。
「なんだこれ。……良い紙だな」
「読んでみ」
雨井は私からその手紙を受け取ると、黙々と読んでいく。
「……おまえ、これ……」
「そう。銅級への昇級の案内だよ。それも試験免除だよ、やったね」
「まじか……」
私は雨井の手から紙を抜き取り、告げる。
「今日は依頼を受けに来たんじゃなくて、お別れを言いに来たの。銅級に上がると、たぶんあんたたちと絡みとかなくなるだろうし。いちおう世話……になったって言うのも癪だけど、けじめ的な意味でね」
「そ、そうか……」
私がそう告げると、雨井はこれまでにないほど大きく肩を落としてしまった。
ちょっと悪いことしたかな。
いやいや、よく考えれば、最初に私を恋ナスビで殺そうとしたのは確かだし、それ以降も下手したら死ぬような依頼ばかり受けさせられたし、たまたま運がよかったから乗り越えられたけど……。
正直なところ、私としてももう、須貝組には義理を果たしたと思ってる。
そのうえ、ただでさえ手ぶらで銅級に上がれるのに、わざわざ須貝組の昇級戦に付き合って、みすみす昇級のチャンスを棒に振る、というのも馬鹿馬鹿しいではないか。
「……よかったな、真緒」
「へ?」
「おめでとう。これでとりあえず、いろいろ楽になるんじゃねえか?」
私の予想に反して、雨井から発せられた言葉は私に対する祝辞だった。
「まぁ、今の話は聞かなかったことにしてくれや」
「……本当にいいの?」
「なに言ってんだ。それはおまえが努力して勝ち取った証だろ。違うか?」
「そ、そうだよね……」
「なら、どんと胸を張ってけ。俺たちのことなんて気にすんな。……それよりほれ、さっさと手続き済ませたほうがいいんじゃねえか?」
私は須貝組の戸口まで雨井にぐいぐい押されると――
「いたっ」
そのまま尻に蹴りを入れられた。
「へ、じゃあな真緒。二度とくんじゃねえぞ」
雨井はそんな減らず口を叩くと、私の顔に一瞥もくれずにそのまま扉を閉めてしまった。
これでよかったのだろうか。
「うん……」
これでいいのだろう。
私もこうなることを望んでいたし、雨井もそれを祝福してくれた。
万事滞りなく順調に物事が進んでいるじゃないか。
私は手紙を握りしめると、そのままギルドの庁舎へと向かった。




