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第26話 溢れ出す涙 有害図書の中身


「うーん、何から言うべきっスかね……」


 とぼけているのか、本気で悩んでいるのか。

 この時ほど、あの表情の読めないビン底眼鏡が胡散臭いと思ったことはない。


 背中に一筋の汗が伝う。

 ここは彼女のステータスを直接確認したほうが早いかもしれない。


 私は最小限の動きで、彼女に不審がられない程度の動きで〝ステータスオープン〟を使うと――


「はぁ……ダメっスよ。勝手に見ちゃ(・・・)

「へ」


 職業 : 繧ィ繝ュ貍ォ逕サ螳カ

 名前 : 鬲皮視繧「繧ケ繝「繝?え繧ケ

 レベル: 貂ャ螳壻ク崎?


 いつかの日に見た、文字化けした文字列が映し出された。


「こ、これって……」

「やれやれ、ちょっと想定よりも早すぎるっス」


 もっさんはそんなことを言うと、スッと手を差し出してきた。


「な、なに……?」

「あたしの手、握ってほしいっス」

「手? なんで急に……」

「握ってくれたらここ、奢るっスから」

「いやここ、あんたの奢りちゃうんかい!」


 咄嗟に、私は差し出された手をガッと握る。

 彼女の手はすこしひんやりとしていて、ふにふにしている普通の手だった。

 すると――


「どスか。これで、あたし(・・・)のことが見えてきたんじゃないっスか」


 職業 : エ〇漫画家

 名前 : 魔王アスモデウス

 レベル: 測定不能


 文字化けしていたものが、きちんと意味の分かる文字に置き換わった。

 私は彼女から手を放すと、改めて表示されたページをスクロールしていく。


 その結果、わかったのはさきほどの三項目と、ステータスの値だけ。

 そしてその中でも、魔力値に関してはレベルと同じく測定不能とでている。


 ちらりとステータス画面から視線を上げ、彼女の顔を見ると、その眼鏡の奥にちらりと赤い光が見えた気がした。


「い、いろいろ尋ねたいことはあるんだけど……」

「なんなりと」

「アスモデウスって、本名だったんだ」

「そこ? ……あはは、まっさんは面白いっスね」


 こうやって一旦ウケを狙っていく。

 いきなり本題に入るのは失礼な気がするし、なにより私にその勇気がない。

 こうして場を温めてからだ。


「そうっス。最初からそう名乗ってたっスけど、改めて自己紹介させてもらうっス」


 もっさんは自分の胸に手を当てると、胡坐は組んだまま、恭しく頭を下げた。


「あたしの名はアスモデウス。たまに魔王って呼ばれたりもするっス」

「軽いなぁ……職業欄にエ〇漫画家ってあるけど、これも本当なんだ?」

「本当っス。さっきまっさんの言ってた〝有害図書〟の件も、十中八九あたしの事っスね」

「認めちゃうんだ」

「大変に不本意ではあるっスけどね」


 もっさんは頬を膨らませて、おどけるように言った。


「それってやっぱり、内容がってことだよね?」

「そスね。九割は内容じゃないっスかね」

「……残り一割は?」

「あたしが魂を込めて書き上げた本は、読者の精気を、ちょこっといただくからっス」

「……はい?」

「アスモデウスという魔王は、生命を維持していくうえで人間の精気が必要なんス。昔は人間から直接もらってたんスけど、活版印刷という素晴らしい文明ができてからは、もう、こっちっスね」

「ちょ、ちょっと待って、人間から直接って……」

「ご想像のとおりっス。当時は今みたいな恰好じゃなくて、きちんと身だしなみには気を付けてたっスよ。そのほうが色々なニーズに――」

「いやいや! そうじゃなくて……!」

「うん?」

「もっさんの本読んだら、精気抜かれるの?」

「うん」

「うんって、そりゃ有害図書認定されるわ」

「いやいや、さすがに致死量分は抜かないっスよ」

「あたりまえだよ」

「それに満足(・・)しないと貰えない仕組みにしてるし……」


 その口ぶりだと昔は、読んだ者の精気を問答無用で抜いてたんだろうな。


「あたしはちょこっとの精気と、お金だけをもらってる感じスね」

「お金まで取ってるんだ……」

「お金がないと、こうやってまっさんをご飯に誘えないし、アシスタントにもお給料払えないっスからね」


 アシスタント。

 そういえば、森でもっさんを引きずっていたあの女性がそうなのだろうか。


 なんにしろ、魔王と呼ばれる存在がこの世界に存在し、上手く……か、どうかはわからないが、人間と折り合いをつけて生活しているのはわかった。

 今回の報酬が高額なのも、誰も魔王に忠告なんてしたくないからだというのもわかった。


 さて、そろそろ頃合いだろう。

 くだらない(・・・・・)話は切り上げて、本題に移るか。


「……私たち、前にも一回あったよね?」

「恋ナスビの時っスよね?」


 私は肯定も否定もしない。

 ただじっと、もっさんの顔を見た。


「……ていうのは、もう通用しないっスかね」

「あのとき言ってたよね。〝これから選択を迫られる〟〝ひとつ失うか、ひとつ失うか〟あの時はよくわかってなかったんだけどさ、これって戸瀬か千尋のことだよね」


 もっさんは何も口をはさんでこない。

 しずかに私の言葉に耳を傾けている。


「もしかしてもっさんは、あのとき二人のうちのどちらかが死ぬの、わかってたの?」


 私の問いを受けて、もっさんはまず湯呑を持ち上げると、そのまま一息に飲み干した。

 やがて、ゆっくりと湯呑を置くと、私に向き直って口を開く。


「結論から言うと、わかってたっス」

「……じゃあ、なんで……」


 違う。

 こんなことは、もっさんに対して言うべきことじゃない。

 こんなのは、ただの八つ当たりだ。


「なんで……! 具体的に……教えてくれなかったの……!」


 突然、涙がとめどなくあふれだす。

 千尋が死んでしまったときも、彼女のお葬式の時も、お墓参りをしていた時も、全然出なかった涙が、ここにきて止まらない。

 拭っても、拭っても、拭っても、ぽたぽたと卓上に落ちていく。


 もっさんに当たっても仕方がないのに、千尋を優先しても戸瀬が死んでたのに、今更どうしようもないことなのに、悔しくて、悲しくて、辛くてたまらない。


 私はこの瞬間、この世界にきて、はじめて、私の本心を誰かにさらけ出したのだ。



 ◇◇◇



 ようやく泣き止んだ。

 私がかすかに嗚咽を漏らしていた時も、もっさんは静かにそこに座っていた。

 相変わらず彼女の表情は見えないけど、たぶん気を遣ってくれているのだと思う。


「……ごめん、もっさん。なんか、めっちゃでたわ……」

「こういうのは溜めるのは毒らしい(・・・)っスからね。発散できてよかったっスよ」


 らしい、か。

 誰かの受け売りなのだろうか。

 実感のこもっていない言葉だが、やはり人とは感覚が違うのだろう。


「……うん、もうこの世界にきて何ヶ月か経ってるけど、ようやく身に染みたっていうか、私はきちんとこの世界にいるんだなって、わかった気がする」

「――失礼いたします。こちら近海で獲れたカツオで作った酒盗で……」


 女将さんが泣きはらしていた私の顔を見て、一瞬ギョッと固まる。


「ああ、すみません。この人に泣かされたんじゃないんです」

「そ、そうですか……」


 女将さんはさっさと酒盗の入った小鉢を私ともっさんの前に置くと、そそくさと部屋から出ていった。


「……なんか、ずいぶん渋いものが出てくるんスね」

「あれ、嫌い?」

「自分ちょっと、魚の内臓とか苦手で……」


 口をヘの字に曲げて、もっさんは小鉢をずずず、と私のほうへ手で押してきた。


「そう? おいしいのに……」

「ヴォエッ!?」


 もっさんは今まで見たことがないくらい、 まるで毛玉を吐く直前の猫がごとく、えずき倒している。

 相当嫌いなんだろう。

 ここまで口角って下がるんだってくらい下がってる。


「それよりさっき、結論から言うって言ってたけど、なにかあるの?」

「じつは〝わかってた〟っていうのは、確実な結果ではなく、推測だったんス」

「……ん? どういうこと?」

「たとえば、飢えた人食いの魔物の前に人間をひとり置くとして、その人間はどうなると思うっスか」

「食べられるんじゃない?」

「そう。つまりそういう感覚だったんスよ。おそらくその人間は食べられる。けど万が一、何かが起きたら、食べられないかもしれない。その程度の認識だったんス」

「つまり?」

「早すぎるんスよ。まだ、この世界に来て間もない勇者が数人、束になったところで敵うレベルじゃないんス。残響種ってのは」

「だからこそ、この国の最高戦力である壱路津さんが、秘密裏に協力してくれることになったんでしょ?」

「そう。けど壱路津は死んだ。その時点でまっさんたちは、万全を期すなら、一度戻ってくるべきだったんス」

「うん……」

「けど、結果的にまっさんたちは残響種を討伐。……案の定、犠牲は出たっスけどね」

「じゃあ仮に、いったん綾羅に戻ってたらどうなってたの?」

「うーん、これも推測っスけど、千尋って子は死ななかったかもしれないけど、加勢にくる冒険者たちは間違いなく、相当数死んでたっスね。そのうえで……戸瀬と牙神だったっけ? そいつらも、今みたいに持て囃されるような勇者にはなれなかったかも」

「私たちのうちの誰かが死ぬか、その他大勢が死ぬか……」

「天秤にかけるにはあまりにも重すぎるっスね」


 もっさんの言うとおりだ。

 私情はさておき、そんなものは軽々しく比べられるものじゃない。


「……でも、それならなんで、私たちに残響種を討伐させに行かせたんだろうね?」


 言ったそばから自分で納得する。

 そりゃ村ひとつ潰させるわけにはいかないからだ。

 ギルドとしても早めの討伐を望んでいたのだろう。


 私はてっきり、そういう(・・・・)答え(・・)が返ってくるもの(・・・・・・・・)だと思っていた(・・・・・・・)

 しかし、アスモデウスは、空の湯呑の中を見つめたまま、小さくつぶやく。


「……さあ、なんでだろ」


 もっさんから返ってきたのは、そんな曖昧な答えだった。

 私はその時、たしかにもっさんの――

 アスモデウスの紅い瞳が、横に揺れるのを見た。


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