第25話 最近の真緒の評判 もっさんへの依頼
「ごちそうさま。お代、ここ置いてくね」
私は食べていた蕎麦の器とその代金をカウンターの上に置き、席を立った。
「おう。いつもあんがとな、真緒ちゃん」
初老で白髪交じりの大将が、ニカッと笑いながら器とお金を手早く回収する。
決して繁盛しているとは言えない、こじんまりとした店だが、この綾羅に店を構えて何十年にもなるらしい。
こうして長年続いているのは、大将の人柄と味に惚れ込んだ常連が支えているからだろう。
「ん? 大将、今……真緒って言ったか?」
近くの席で蕎麦を啜っていた中年の男が顔を上げた。
「おい、それって……あの鉄級の東雲真緒じゃねぇのか? 元勇者の」
まるで呼び水のように、ざわ、と店内の空気がわずかに揺れる。
「最近、妙に名が上がってきてるって話だぜ」
「知ってる知ってる。なんかやべえ依頼をもう二つもこなしたらしいな」
「そうそう、すげえ強い鬼退治もやったってな」
「オレはえらいブスだって聞いたんだが……あれ?」
「けど、鉄級なんだろ? 噂だけ先行してるんじゃ……」
店内にいた人たちの視線が一斉に私に集まってくる。
「ひ、ひとちがいです……」
居たたまれなくなった私は、そそくさと暖簾をくぐって外へ出た。
酒呑童子の一件から、須貝組やギルドをはじめ、町の人の私を見る目がどうも変わってきた気がする。
〝リソースを無駄にした使えない堕ちた勇者様〟という評判から、こういう好奇の目線を向けられたり、好意的な人が増えてきた気がする。
私としても、ぞんざいに扱われるよりはこちらのほうがマシだが、どうにも慣れない。
それにしても、てっきり酒呑童子の件はギルドで内々に処理されるものだと思っていたが、まさかこうして噂にのぼるようになるなんて。
幸い、戸瀬がしくじったという噂までは聞いたことはないが、いったい誰が流したんだろう。
◇◇◇
昼食の後、私はいつものように千尋のところへとやってきていたのだが、そこには、いつもはいない女の子の姿があった。
「あれって……」
「お姉ちゃん」
「音子ちゃん!?」
音子ちゃんだ。千津音子ちゃん。
オオムカデの一件でお世話になった、勇気のある女の子。
たしかヤス村が壊滅して以来、住む場所がなくなった村民の何人かは、この綾羅に移住したという噂は聞いていたが――
「ひさしぶり。元気だった?」
「音子はげんき。でもチヒロお姉ちゃんが……」
「……そうだね。でも千尋お姉ちゃんはね、みんなを守ってくれたんだよ」
「そうなの?」
「うん。千尋がいなかったら、今頃私もここで眠ってたかもね」
「そうなんだ……」
音子ちゃんがすこし悲しそうにうつむいた。
「ああ、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど……って、音子ちゃんはいまどこに住んでるの?」
見たところ髪もきれいだし、肌艶もいい。
着ているものなんかもかなり質のいい布で拵えてありそうだ。
「村長といっしょに住んでるよ」
「そうなんだ。なんか困ったこととかない? 大丈夫?」
「村長がもしもの時のためにって、ホケン? とか、ギルドにそんがいばいしょう? とか他にもいろいろやってくれたから、音子が大人になるまで大丈夫なんだって」
「そ、そっか……逞しいね……村長も、音子ちゃんも……」
「えへへ、音子たくましい」
音子ちゃんはそう言うと、得意げに両腕を曲げ、ガッツポーズを見せてきた。
「それで、マオ姉ちゃんは今なにしてるの?」
「私? 私は……まぁ、出来ることから頑張ってる感じかな」
「できること?」
「そ。とりあえず今は、千尋にお参りかな」
私は千尋の墓の前に立つと両手を合わせ、拝んだ。
本当はいろいろと話したいこともあったのだが、音子ちゃんを待たせているので自重しておいた。
「……そういえば音子ちゃん、どうやってここまで来れたの?」
この墓地は綾羅の中でも結構はずれの場所にある。
女の子ひとりじゃとてもじゃないが、たどり着けないと思う。
「聞いたから。場所。マオ姉ちゃんと、チヒロお姉ちゃんのところ」
「誰から?」
「わかんない。メガネした人」
「眼鏡?」
「そう。すごいメガネ。それに髪がボサボサで、ヘンな服きてた」
「……もしかしてその人、女の人だった?」
「そう」
「語尾に、~っスとかつけてた?」
「うん、すごいね。よくわかったね。トモダチなの?」
「う、うん。そんな感じかな。ほ、ほかに、何か言われなかった?」
「うーん……あ、そういえば、でんごん? たのまれた」
「ど、どういう伝言?」
「〝よかったら晩ご飯いっしょに食べないスか〟って言ってたよ」
◇◇◇
その店は綾羅の大通りから脇にそれた、ひときわ風格ある建物だった。
朱塗りの格子戸に、黒地に金文字で染め抜かれた豪華そうな暖簾がかかっている。
ややもすれば成金趣味にも捉えられがちだが、まだギリギリ上品さが勝つ程度の店構えだ。
覚悟を決めて中に足を踏み入れると、まず驚いたのはその静けさだった。
超一流店で、ディナータイムには予約が取れないほど客で賑わうはずの店内は、ほとんど無人。
丁寧に磨かれた白木のカウンターだけが、板場の淡い灯りを受けて静かに光っている。
「あ、お客様……!」
入り口付近で狼狽えていた私に、それ以上に狼狽えている女将さんがパタパタと近づいてくる。
「申し訳ございません、本日は当店――」
「あ、すみません。ここで待ち合わせしてる者なんですけど……」
あまりにもキョドり散らかしていた私は、女将さんの言葉にかぶせて発言してしまう。
「し、失礼ですが、東雲様……で、ございますか?」
「あ、はい……いちおう……」
女将さんの顔からサーッと血の気が引いていっているのがわかる。
「こ、これは! 大変、失礼いたしました……!」
彼女はそういうと、何度も頭を下げて謝ってきた。
「い、いやいや……! 顔を上げてください……!」
「……お連れ様がすでにお待ちです。こちらへどうぞ」
すこし上ずった声の女将に案内されたのは、店の一番奥にある個室だった。
檜の香りのする引き戸を開けると畳敷きの座敷に、漆塗りの卓がひとつ。
その中央に真新しい白い湯呑が二つ。どちらも湯気を立てていた。
そして上座には――
「あ、まっさん。ひさしぶりっスね」
相変わらずの格好をした〝もっさん〟が、高級そうな座布団の上で胡坐を組んでいた。
「では、なにか御座いましたら、遠慮なくお申し付けください」
女将は頭を下げると、そのまま静かに扉を閉めていってしまった。
私はとりあえず、もっさんと対面する形で座布団の上に座る。
「……貸切り?」
「いいや、今日来るって言ったらこうなったっス。べつに貸切るつもりなんてなかったんだけど……」
えへへ、ともっさんは少し申し訳なさそうに笑った。
「へ、へぇ……」
「さて、なに飲むっスか? 高いのでも大丈夫っスよ」
「その前にさ、ひとついい?」
「もちろん。なんでも言ってほしいっス。あたしとまっさんの仲じゃないっスか」
もっさんの態度はこの前となんら変わりはない。
妙に人懐っこいところも、服装も、態度も、言葉遣いも、全部が一緒。
変わったと言えば私のほうだろう。
正直に白状すると、私は今、この喪女を前にして緊張しているのだ。
「……今日もさ、いつもどおり朝に依頼をひとつ受けたんだよ」
「はぇ~、働き者っスね、たまには休んだらいいのに」
「……で、その依頼ってのが〝青少年の人格形成に有害である可能性のある図書を発行している者に中止を要請する〟って内容なの」
「あははは、なんスかそれ」
「要するに『変な本を刷るな』って、その人に注意しに行く任務なんだけどさ、依頼文見てピンと来たんだけど……これ、もっさんのことだよね?」
「えぇ、そんなぁ、心外っスよ。あたしの薄い本はちゃんと、信念をもって印刷してもらってるっス」
「うん。そこはまぁ、いいよ。べつにね。今のも自白みたいなもんだし。注意するだけならこれで依頼達成だし。でも問題は、この依頼、めちゃくちゃ報酬金が高いんだよね」
「高いって、ただ『やめてください』って言いに行くだけっスよね?」
「そう。それだけなのに、報酬金は恋ナスビとかより全然高いの」
「へぇ、よかったじゃないっスか、楽に稼げる仕事なんて。儲けもんっスね」
ずずず、と湯呑の茶をすすりながらもっさんが呑気に答える。
「ねえ、もっさん、あなたって……何者なの?」




