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第23話 鬼は外、毒は内


 深夜の山は生き物の気配をすっかり潜めていた。

 風が葉を撫でるたび、枝がきしむような音を立てる。


 前方を歩く夜屋久さんの後ろ姿が、木々の合間にちらちらと見え隠れしている。

 彼女は小脇に小さなザルを抱え、枝をかき分けながら、ゆっくりと山道を進んでいる。

 まだ見失ってはいないが、本当に老婆かと疑いたくなるほどに彼女の足取りは軽快だ。

 おそらく何度も通い慣れた道なのだろう。


「……結構、距離歩くな」


 私のすこし後をついてきていた雨井がぼそりとつぶやく。


「ね。体力あるよ。夜屋久さん」

「おまえもな。……で、まだ気づかれちゃいねえんだよな?」

「うん。まだ振り返ったり、辺りを気にする素振りもないよ」

「なら、大丈夫か」


 夜屋久さんは、周囲に目を配ることもなく、ただ黙々と歩いている。

 麓で彼女を見かけて以来、なにかを摘んでいる様子がないのは少し気になるが。


 やがて山道は、少しずつ角度を変えながら上へと伸びていく。

 木立が薄くなり、草の背が低くなってきたなと思っていたら、やがて空がひらけた。


 そこは、細く続く尾根道だった。

 両側がわずかに切り立っていて、踏み外せばそのまま斜面を滑り落ちそうな構造になっており、その道幅は人が二人並んで歩けるかどうかという程度で、左右には笹や灌木(かんぼく)が風に揺れている。


 もうこんなところまで登ってきたのか。

 ちらりと後ろを振り返ると、雨井が少し息を切らせている。

 仮にも冒険者なのに、情けないやつだ。


 不意に風が抜ける。


 それまでの山中の、木の間をすり抜けていくようなものとはまるで違う、ひゅう、と耳を撫でる音がした。


 空を遮るものがなくなったので、私は明度をすこし下げる。

 月は透けるほど薄い雲に覆われていて、ほのかな銀色の光が、尾根道の輪郭をぼんやりと照らしていた。


「なんか、急に風通しよくなったな」

「だね。けど夜屋久さんって、普段こんなところまで歩いてきてるんだね」


 私はそう呟きながら、夜屋久さんの背を目で追い続けた。

 彼女は振り返らず、足元も確かめず、尾根道の奥へと進んでいく。


 変わらない。こちらには気づいていないように見える。


 けれど、なんだろう。

 胸の奥で何かが引っかかる。


「……そうか」


 ここまでの彼女の動きがあまりにも自然すぎる。

 薬草を探して彷徨っているのに、その動きに、思考に、一切の淀みがないのだ。

 まるで初めから、ここが目的地だったかのように――


「そろそろいいだろ。出てきなよ、仁、真緒」


 私と雨井は思わず顔を見合わせる。


 選択肢は二つ。

 名乗り出るか、無視するか。


 でも名前まで言い当てているのなら、もうこれ以上隠れていても意味がないと判断した私は、そのまま夜屋久さんの前に姿を現した。


「お早い再会だね。ほおむしっく(・・・・・・)ってやつかい?」

「……お久しぶり(・・・・・)です、夜屋久さん」


 私はそう言って軽く会釈をする。


「また泊まりに来たのかい? それとも――鬼のことでも訊きに来たのかい」

「やっぱり、ご存じだったんですね」

「ご存じも何も、最初からそのつもりだったんだろ? 人足なんてのも真っ赤な嘘。あたし()を騙すのが目的だった。違うかい?」

「そ、それは違います。本当にここへは……なんというか、たまたま来ただけで……」

「おや、そうかい。それならずいぶん、間の抜けた冒険者(・・・)がいたもんだね」

「お恥ずかしい。返す言葉もありません」

「……夜屋久さん、あんた本当に酒呑童子と手を組んでんのか?」


 意を決したように、今度は雨井から質問が飛んでいく。


「手を組んでいる? そんなこと、するわけないじゃないか」

「じゃあ……!」

「あの子はあたしにとって家族も同然だ」

「か、家族……?」


 思わず耳を疑ってしまう。


「……あの子はね、昔あたしが世話してた鬼の群れの、赤ん坊だ」

「世話……? 鬼……?」

「雨井?」

「もしかして、夜屋久って、昔ギルドに所属していた……あの?」

「おや、知ってるのかい、あたしを」

「そうか、思い出した……! 昔、ギルドに腕の良い薬師がいたんだ。けど、そいつは実験中の魔物を逃がした。それでギルドを追放されたって聞いたが……それがあんただったのか、夜屋久さん」

「そうさ。たとえ魔物であっても、あんな惨い実験は行うべきじゃなかった」

「だから……逃がした……」


 私がそう言うと、夜屋久さんは肯定も否定もせず、ただ私たちをまっすぐ見た。


「あたしが逃がしたのは鬼たちだ。そいつらは人間たちにひどい扱いを受けたにもかかわらず、恨みを持つでもなく、この山で穏やかに静かに暮らした。けれど、ある日の夜、あんたらが酒呑童子と呼ぶあの子が、血まみれであたしの家の前に倒れていた」

「……ギルドからの刺客か」


 雨井が確かめるように尋ねる。

 夜屋久さんは、ゆっくりと噛み締めるように頷いた。


「あたしがギルドから追放されて、何年か経った時の出来事だった。あたしも安心し切ってたよ。あいつらが、実験していた魔物を野放しにするはずないのにね」

「つまり、その刺客が戸瀬だったってこと?」

「ちがうよ」


 夜屋久さんが首を振って否定する。


「戸瀬ってのは、二番目にあの子を倒しに来た勇者だろ?」

「知ってるんですか?」

「もちろんさ。声と体と態度の大きい、鬱陶しいやつだったよ。あの子に負けて死にかけてたから、麓の街道に放置しておいたけどね」


 なるほど。それを誰かに拾ってもらったわけか。


「それより二番目って、どういうことですか? 他にも刺客が……?」

「そうさ。最初に来た刺客が、あの子以外の鬼を全員殺したんだ」


 私たちは息を呑んだ。


「以外……? じゃあ、その小鬼が、その刺客を……?」

「結果はそうだね。けど、最初はそうじゃなかった。さっきも言ったけど、あの子もひどい怪我だった。それこそ放っておいたら、ほんの数分の命さ」

「だから、夜屋久さんが治療をした……」

「使えそうなものは何でも飲ませた。止血作用のあるものや、強心作用のあるもの、解熱に効くもの、抗生物質、果ては体内に流れている魔力の流れを正常にするものまで」

「それで、出来上がったのが――」

「あんたらが呼んでいる、酒呑童子さ」


 私と雨井は互いに顔を見合わせる。


「ははは……心配しないでいいよ。昨日あんたに飲ませた薬は、そんな劇薬紛いのものじゃない。きちんとあの子の毒に作用するように、あたしが調合したものさ」


 雨井が安堵の息を漏らす。

 私としては、ミュータント・アマイも見たかったけど。


「今でも思い出すよ。あの子の震える手足が。必死に、死にたくないって、全身を使って私に訴えかけている姿が……」


 私は画面を切り替え、ステータス確認画面に移動する。

 そこには案の定〝酒呑童子〟の名が表示されていた。

 今もどこかで、私たちのやり取りを見ているのだ。


 つまり私たちは、まんまとここへ誘い出されたというわけだ。


「じゃあ……とても、私たちを見逃しちゃくれませんよね」

「見た限り、あんたらはあの子を倒しに来たわけじゃないんだろう?」

「はい。今、夜屋久さんから聞いた酒呑童子の情報をギルドに報告すれば、それで私たちの依頼は終わります」

「はは……そんなことされたら、今度はあたしらが終わっちまうね」

「……住む場所を、変えるつもりはないんですか」

「ここにはあの子の父親も母親も眠っている。あんたたちにどんな権利があって、あの子からそれを取り上げるんだい?」

「それは――」

「安心しな。加減は前ので学んだからね。殺されることはないさ」


 夜屋久さんがそう言うと、その隣に酒呑童子と思しき魔物が現れた。

 背丈は小さく、夜屋久さんとあまり変わらないうえに、その表情や顔立ちはかなり幼い。


 戸瀬はおそらくこの容姿を見て、舐めてかかったのだろう。


 肌はくすんだ灰色で、顔は戸瀬(まぬけ)の言っていた通り、すこし紅潮しているようにも見える。

 そして額に見えるのは、鬼の証左だと言わんばかりの一対のまだ柔らかそう(・・・・・)な角。


「……まぁ、ここにいる時点で勝負はついてるんだけどね」


 夜屋久さんがそんなことを言っていると、酒呑童子はその場で大きく息を吸い込み――


 〝ぶはぁぁぁ……!〟

 黒い靄を口から吐き出してきた。

 靄は風に乗って(・・・・・)拡散し、風下にいた私たちを包み込む。


「これは……! まさか奥の手……!?」

「昨日ので、触らなきゃ大丈夫って思ったかい? 甘いよ。この子の真価はこのぶれす(・・・)さ。それを吸い込めば、たちまち例の症状があんたたちを……襲う……の……さ……?」


 やはりだ。

 やはり思った通り、私の能力は酒呑童子にとって天敵ともいえる代物だった。


「な、なんで、あんたたち、倒れないんだい……!?」


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