第21話 飛来する酒呑童子
「あ、雨井……! なんかいる! というか、近くに酒て――」
言いかけて、上からパラパラと埃が降ってくる。
「あぶねえ!」
〝ドガッ!〟
雨井が立ち上がり、私の頭上にいるナニカを殴りつけた。
『ギャンッ!?』
ソレは床の上を転がると、勢いそのままに家の外へと飛び出て行った。
私は反射的に立ち上がると、ソイツの後を追――
「待て! 真緒! 追うな!」
今まで聞いたこともないような、切羽詰まった怒声で止められる。
「な、なんで……」
「やめろ……やめとけ……!」
振り返ると、なぜか右の腕を押さえて苦しそうにうずくまっている雨井の姿があった。
「え? ど、どうしたの……!?」
「わか……らねぇ……! とにかく今は追うな……!」
私はもう一度反転し、戸口から家の外を見たが――
「おい……真緒……!」
「大丈夫、追わないから。……もう、いないみたい」
すでにさきほどのナニカは山中の闇に紛れていた。
〝明るさ調整〟を使用すれば追跡することは可能だが、さすがにそんな無謀なことはしない。
もし本当にあれが酒呑童子なら命がいくらあっても足りないからだ。
逆にこうやって、向こうから逃げてくれたのは幸運といってもいいだろう。
次にステータス画面を見て、この場にいる人を確認する。
〝東雲真緒〟
〝雨井仁〟
〝夜屋久扇猫〟
ここにいるのは、以上の三人だけ。
ということはやはり、さっき出て行ったのは酒呑童子で間違いないだろう。
……いや、今はそれよりも――
「雨井、ちょっと……雨井、大丈夫?」
「どう……だろうな……」
「ちなみにそれ、殴ってみたら思ったより硬かったから悶絶してる……とかじゃないよね?」
「バカ……いえ……ッ!」
相変わらず、雨井は苦悶の表情を浮かべている。
冗談を言っている場合ではなさそう……というのはわかるのだが、肝心の右腕にはぱっと見た感じ、特に異常はないように見える。
どこか折れているわけでもなければ、どこからか出血しているわけでもない。
血色も悪くないし、異臭も漂ってこないうえに、異音も聞こえてこない。
なら何がそこまで雨井を苦しめているのだろう。
私はためしに雨井のステータスを開いてみると、そこには〝右腕に致命的なステータス下降異常〟とあった。
「なにこれ……」
毒に風邪に出血、火傷や気絶なんかの異常は見たことはあるけれど、こんな表記は今まで見たことがない。
それに、それらと比べて、あまりにも曖昧で異質すぎる。
「まったく、自分の腕って感覚がねえんだ……! そのくせ何もしてねえのに、万力で四方八方から圧し潰されてるみてえな痛さだ……!」
さっきのが酒呑童子なら、おそらく戸瀬がやられたのはこれだろう。
体の一部が触れただけでこれなら、意識を失うほどの重体はどれほどの――
「真緒、なんか考えてるトコわりぃがよ、どうにか出来ねえのか……」
「そ、それもそうだね……! えっと、どうしよう……!」
たしかにステータスに何らかの異常をきたしているのであれば、私がなんとかするしかない。
私は改めて雨井のステータス欄を指でスクロールしていくと――
「これをお飲み……!」
夜屋久さんがすり鉢に入っていた緑色のドロドロとした液体を、雨井の口の中へと流し込んでいった。
よく辺りを見ると、部屋には、急いで薬の調合を行ったような形跡が見受けられた。
状況からして夜屋久さんがやってくれたのだろうが、なんという手際のよさだ。
雨井は咽せながらも、強引にねじ込まれた液体をゆっくり嚥下していく。
「あの、夜屋久さん、これは……」
私が雨井の代わりに尋ねる。
「……じつは昔、薬師をやっていてね。症状を聞いて、記憶を頼りに調合したのさ」
「す、すごい……ですね……」
つまりステータス下降異常とは毒のようなもので、こうして調合した薬で症状が和らぐもの――
なのか? 本当に?
たしかに、あんなに苦しそうだった雨井の表情も幾分か和らいできてはいるが……そもそも今回の件、酒呑童子の登場からいろいろとおかしい。
なぜあいつは上から私に襲い掛かってきたのか。
普通に考えると、私たちがこの家に来た時からここに居たと考えるのが自然だ。
そういえばこの家に入る前、私はたしか何かが倒れるような音を聞いた。
あれはもしかすると――
「どうだい。まだ右腕に違和感はあるかい?」
調合した薬をすべて飲ませたのか、夜屋久さんが雨井の背中を気遣うようにさする。
「は、はい……たしかにすこし……楽になった気がします……」
雨井の言葉に、再び彼のステータス欄に目を向ける。
すると、さきほどまで表示されていたはずの〝ステータス下降異常〟がたしかに消えていた。
つまり夜屋久さんは本当に治療したのだ。あの薬で、この症状を。
「よ、夜屋久さん……じつは俺たちは――」
「う、うぉっほん! ごほんごほん! いぇっほん!」
私は雨井の言葉を遮るように、大きな声で咳払いをする。
「おや、嬢ちゃん、あんたもかい?」
「い、いえ、じつは最近仕事が忙しくて、ロクに眠れてないんで……こほんっ」
相手は薬師だ。
これ以上仮病を使えばさすがに怪しまれる。
「す、すみません……ちょっと、外の風にあたってきます……」
私は口に手を当てながら、それとなく雨井に合図を出す。
雨井もそれを察したのか、私が家の外に出るとすこし経ってから出てきた。
……そしてどういうわけか、足を引きずっている。なんて言って出てきたのだろう。
「……どうしたんだ、真緒」
「まず、大丈夫なの? その腕?」
「ああ、だいぶ楽になってきた。夜屋久さんは本物だぜ」
「本物……ね」
薬師としての腕は雨井の言う通り、たしかに本物なのだろう。
「なあ、おまえ、本当にどうしたんだ? まさかおまえも、さっきのヤツに――」
「ずっとこうしてると怪しまれるから単刀直入に言うけど、私は夜屋久さんが怪しいと思う」
「な、なんだよ……急に。どういうことだ」
「さっきあんた、夜屋久さんに冒険者だって名乗ろうとしたでしょ?」
「あ、ああ。よくわかったな。……そうだ。隠してたのは、夜屋久さんを心配させないためだ。だが、実際に危機が迫っている以上、知らせないわけにはいかないだろ」
「本当に、危ないと思う……?」
「あ?」
「私は酒呑童子と夜屋久さんは繋がってると思う」
「……根拠は」
冗談は許されない。
雨井の声色はそう言いたげだが、同時に彼なりにいくつか心当たりもありそうだ。
「ちょっと症状を聞いただけで、瞬時に適切な薬を調合したから」
「それはおまえ、夜屋久さんが凄腕の薬師だからだろ」
「風邪とか毒とかならわかるよ。けどあんた、ステータス異常とかって聞いたことある?」
「なんだそれ」
「これは私の推測だけど、たぶん夜屋久さんは、あんたがさっき罹った病気か状態について、かなり研究してると思う。だからこそあんなに手際よく薬を調合できた」
「なるほど。……けど、まだ根拠としては弱い。他には?」
「酒呑童子だった」
そう告げた途端、雨井の顔がすこし青ざめる。
「……おい、嘘だろ。じゃあさっきのが――」
「うん。ずっと家の中に潜んでたんだよ、酒呑童子。これ以上の根拠はないでしょ」
「じゃあ、もしなにか一歩間違えてたら俺たち……?」
雨井の無言の問いに私はうなずく。
「……なんで、アレが酒呑童子だってわかったんだ?」
「それは……まぁ、元勇者の能力だよ。必要ならあとで説明するけど……」
「いや、いい。おまえを信じる。それで、どうするつもりなんだ」
「今日のところは大人しく泊まらせてもらおう」
「いいのか。寝込みを襲われるかもしれねえぞ」
「それについては、たぶん大丈夫」
「たぶんって……まぁいい。それで、明日からは夜屋久さんを監視するんだよな」
「うん。酒呑童子の能力とかはだいたいわかったし……」
「まじかよ。やるな、おまえ」
「ギルドに報告するには、あとは外見も見ておきたい」
「そうだな」
私たちは互いに力強くうなずくと、そのまま夜屋久さんの家へと戻っていった。




