第17話 喜ぶ者、怒る者、そして一歩前へ
私は今、須貝組事務所前にいる。
来るかどうか迷っていたが、結局来てしまった。
いやまぁ、どのみち私の予想だとおそらく、明日あたりに私の遺体と恋ナスビを回収しに、組員の誰かを派遣すると思うので、ここで暮らす以上は、ここに来なければならないんだけど――
「それはそれとして、気が重いよね……」
そんな感じで事務所前をうろついていると、引き戸がガラリと開き、中から組員が出てきた。
手にはじょうろを持ってるので、これから水やりでもするつもりなのだろうか。
「お、おめえは……!」
須貝組の組員が私のことをまるで、幽霊を見るような目で見てきている。
無理もない。
現時点で私の生存を信じてくれている人間なんて、誰一人としていないのだから。
とはいえグッドタイミングでもある。
この人に雨井を呼び出してもらって、事務所内に入ることを回避しよう。
「あの、雨井――」
「う、うわわ……!」
組員は私が声をかけるなり、そのまま事務所の中へと引っ込んでいってしまった。
「は?」
一体なんなんだ。人を魔物みたいに。
「仕方ないか……」
私は改めて気合を入れると、須貝組の敷居を跨いだ。
事務所内で私を見た人間の反応は、主に二種類。
私を見てしこたま驚いている組員たちと、そんな組員を見て困惑している冒険者たちだ。
おそらく私が件の依頼に行っていると知っているのは、組員だけなのだろう。
「おう。悪いけどな、今から大事な話するから。出てってくれへんか、兄ちゃんたち」
あからさまに他の組員とは雰囲気の違う、すらっとした糸目の男性が事務所の奥から現れた。
糸目は組にいた冒険者を全員帰すと、何人かの組員を連れて私の前までやってきた。
その手には、黒い鞘に納められた刀が握られている。
「こらどうも。東雲はんやないですか。今日はどのような御用向きで」
糸目が丁寧な関西弁で対応してくる。
物腰や語気こそ柔らかいものの、明らかに歓迎されていないのがわかる。
下手なことを口走れば、今にもその刀で斬りかかってきそうだ。
「……あれ? どないしたん、固まって。まさか僕の顔忘れはったん?」
「え?」
どこかで会ったことがあっただろうか。
たしかに周りにいるヒラの組員とは違う気がするから、前に……いや、でもやっぱり初対面な気が……いや、そういえば一度どこかで会ったことも……いや、こんな顔忘れるはずが――
あれ、どうだったっけ。
「え、まじ? ほんまに忘れたん? 悲しいなぁ……」
すっと糸目の手が刀の柄に伸びる。
まずい。
「ああ、ごめんなさい。えっと、お名前……なんでしたっけ?」
「愚堂や。冥途の――」
「いやいや! 違くて!」
「は?」
「もちろん下の名前ですよ、下の名前。愚堂さんの名前なんて、忘れるわけないじゃないですか」
「……暴威や」
「あ、そうだ。暴威さんでしたね。……すみません、なんかど忘れしちゃって」
「いや、ええんや」
愚堂の手が刀から離れていく。
よかった。なんとかなったみたいだ。
ていうか冥途の土産とか言いかけなかった?
「それより僕のほうこそなんか、いきなり変な質問してすんまへん」
「いえいえ、こちらこ――」
「まぁ、さすがにこないおる部下の前でメンツ潰されたら、殺さなあかんところでしたからね」
「は……はははは……」
もう乾いた笑いしか出ない。
「それより、話戻すけど東雲はん、なんか用ですのん?」
「あ、えっと、御用っていうか、依頼の件――」
「よくツラだせたな……須貝組舐めてンのか! ああ!?」
男の取り巻きのひとりが私の言葉を遮って怒鳴りつけてくる。
めちゃ怖ぇ。今度はおまえかよ。
なんて思っていると――
「おう」
急に愚堂が、私を怒鳴りつけてきた組員の顔を鷲掴みにした。
あの細長い指にどれほどの力があるのか。
指はメキメキと音をたてながら、組員の顔に食い込んでいく。
「いま東雲さんが話しとる途中やろ。おまえ、いつからそんな偉なったんや」
「す、すみません、兄貴……! すみません、すみません……!」
組員が泣きながらそう懇願すると、愚堂は手を放して解放した。
「いやあ、重ね重ねすんまへん東雲はん。なんかこいつ、東雲はんが来て浮足立っとるみたいですわ」
「はぁ……そすか……」
「まぁ、それは僕もなんですけどね」
「へ?」
「改めて、何しに来はったんですか、東雲はん。しかもこんな、正面から堂々て……さっきも言うたけど、うちにもメンツいうモンがあるんですわ」
「いやだから、雨井に――」
「おい! 帰ってきたのか!? あいつが!?」
ようやく雨井の声が聞こえてきたと思ったら、ドスドスという足音とともにいつものハゲが――
「……あれ、なんでボコボコなの、あんた」
現れたのは、顔のあちこちに痣のある雨井だった。
「おまえ……! なんで戻ってきたんだ! 馬鹿か?」
「いや、なんでそっちがキレてんの」
「おまえなあ……!」
「ほら……」
私は恋ナスビの入った袋を雨井に投げ渡した。
雨井は袋を開けるなり、大きく目を丸めながら私に言う。
「おまえ……マジで取ってきたのか……?」
「はあ? 取ってきた……って、うそやろ……ちょい寄越せや、兄弟」
愚堂が雨井から袋を強奪すると、彼も同じように袋の中身を見て驚いた。
「私はただ依頼をこなしただけ。……それともなに、まさか死んでるとでも思った?」
これよ……! これこれ……! これなんですよ……!
ちょっと声は震えてたと思うけど、私はこの皮肉を雨井に言う為にここに寄ったんだから。
それも、わざわざ恋ナスビをギルドに納品する前に。
まぁでも、まさかここまで歓迎されないなんて思わなかったけど。
さて、もう言いたいことも言ったし、早いところこんな場所からおさらばして――
「……あれ?」
気が付いたら想像以上に事務所内がざわついている。
しかもなぜか、悔しがって欲しかった雨井が嬉しそうな顔をしてて、逆に愚堂が悔しそうにしていた。
「チッ……兄弟、これで落とし前つけた思うなや……!」
愚堂はそれだけ言うと、そのまま事務所から出て行ってしまった。
対する雨井はなぜか、少しほっとしたように胸をなでおろしている。
一体何が起こっているのか。まるで意味が分からない。
私はただ生存報告をして、恋ナスビも見せびらかして、悔しさで顔を歪ませるハゲに嫌味を言いに来ただけのはず。
「ははは! おい! やったな、真緒……!」
バシバシと私の肩を叩いてくる雨井。
「今日はもう疲れたろ! これはこっちで納品しとくから、おまえはもう休め!」
「え、いや、お金……」
「ああ……ああ! そうだったな! いくら欲しい!」
「えっと、とりあえず今回の報酬ぶん……」
「よしわかった! ……おい」
雨井が合図を出すと、事務所の奥から組員が出てきた。
しかもその手には、パンパンに膨らんだ巾着袋を持っている。
雨井はそれを受け取ると、そのまま私に渡してきた。
「持ってけ」
「いや、おもっ……!?」
中を見てみると、かなりの数の金貨が入っていた。
ためしに枚数を数えてみたが、明らかに今回の報酬分よりも多い。
「こ、これ……」
「返すな。とっとけ」
「いや、わけわかんないんだけど……」
「おまえにも事情があったんだろ? いいから、好きに使えよ」
「事情……? なんのこと?」
「皆まで言うな。とにかく今日はもう休め。話はまた明日だ」
◇◇◇
「やぁ、千尋」
夕食の帰り。
私はまた千尋へ会いに来ていた。
「てか聞いてよ、千尋。今日の晩ご飯、何だったと思う? 寿司だよ、寿司。この世界に来てから初めて食べたけど、なかなか悪くないもんだね。あ、お金に関しては心配しなくていいよ。なんかハゲがめっちゃくれたから。理由はマジで全然わかんないんだけど……なんというか、誰かの嬉しそうな顔見るの、久しぶりだったかもしれない」
私は昨日供えた花の横に、恋ナスビの花を供えた。
「わかる、これ? 今日の依頼で手に入った花なんだけど、なかなか綺麗でしょ? 根っこのほうは凄まじく気持ち悪かったけどね。千尋も気に入ってくれると嬉しいなって思って。……それで、あと、なんか変な友達が出来た。様子とかずっと変だったけど、悩みとか聞いてくれて、一緒に悩んでくれた。言ったでしょ、今日はもうちょい明るい話題を話すって。昨日約束したもんね」
私は手を合わせると、目を閉じてゆっくりと拝み、やがて目を開けた。
「……うん。千尋が死んじゃってからずっと停滞してたけど、これでようやく一歩、先に進めると思う」