第16話 それでも東雲真緒が笑う理由
「無理……してるのかな……」
「そりゃしてるんじゃないっスか? 人間、楽しかったら笑うし、悲しかったら泣くし、腹が立ったら怒るし、命の危機にさらされたら、少なくとも困惑すると思うっス。でもなんか、まっさんからは他人事って感じがするんスよね。今だって〝無理してるのかな〟って、言ってるじゃないっスか。自分のことなのに」
「なんか、急に抉ってくるね」
「ほら、そうやってすぐ茶化す」
「えぇ……じゃあ逆に、なんて言えばよかったのさ」
「〝無理してねえわ!〟〝ふざけんな!〟……とかって、ブチギレるとか?」
「それ、むしろ情緒不安定じゃない?」
「……たしかに」
「納得しちゃった」
「まあでも! 適切な例は浮かばなかったけれども! つまりっス。あたしが言いたいのは、いい感情もわるい感情も、ちゃんと外に出してあげることが大事ってことっス」
「まぁ、わかるよ。理解できる。もっさんが言わんとしてることは」
「わかってねっスよ。ため込んで、行き場を無くした感情は、宿主に牙を剥くっス。あたし、それで壊れっちゃった人……ヒト……」
もっさんの口の動きが急に止まり、彼女はあごに手を当て、なにやら考えるような素振りを始めた。
「……うん? どしたの、急に固まって」
「よく考えたら、人じゃなかったっス」
「なにそれ。人でなしって意味とかじゃなく、マジで人じゃないの?」
「……話戻すっスけど、それで壊れちゃった、人とは名状しがたいものを見たことあるっスから。感情はため込むより、その場で発散したほうがいいんス。ため込んでも嫌な利子がつくだけっスよ」
「それ、人間の私に対するアドバイスとして、適切かい?」
「適切っス。そこは保証するっス」
どこからその自信が出てくるのだろうか。
「でも、わかるよ、本当に。もっさんが私を元気づけようとしてくれてる。ってのもわかってる。けど……なんていうのかな……」
「うんうん。ここにいるのはあたしと恋ナスビだけっス。遠慮なく語っちゃっていいっスよ」
「……ここ最近、立て続けに大変なことがいっぱい起きてさ。友達が……その、急に遠くに行ったり、他の優秀な人と勝手に比べられて貶められたり、善かれと思って行動したのが全部裏目に出て、その周りの人たちに死ぬほど嫌われたり、環境が劇的に変化したり、帰る場所が無くなったり、急に水ぶっかけられたり、それなりの関係で仕事していたと思い込んでた人に、急に殺されようとしたり……」
「うわぁ……」
「たしかに元々私、感情を発露させるのはあまり得意なほうじゃないんだけど、なんていうか、ついてかないんだよね……」
「心が?」
「うん。心も。体も。頭も。……だからなるべく現状を理解しないように、考えないようにしてるっていうか、ちょっと離れたところから〝私〟を俯瞰で見てる感じ。麻酔でその三つを麻痺させてる感じ。だから、もっさんに他人事って言われた時、ちょっとハッとなった」
「……ふむふむ。つまりあれっスね。今のまっさんに必要なのは、趣味と娯楽っス」
「話聞いてた?」
「もちろん! その凄惨な話を聞いたうえで、今のまっさんには感情を発散する場所が、対象が、必要であると判断したっス」
「……凄惨?」
「一言に発散っていっても、べつに嬉しかったらその場で飛び跳ねて喜んだり、ムカついたら道行く人、片っ端から殴り飛ばしたりとか、そんなことはしなくていいんスよ」
「そんなことはせん」
「あたしの場合だと、そういうのはほとんど漫画にぶつけてるっス」
「ああ、なるほどね。そういう意味での趣味か」
「そそ。あたしのは実益も兼ねてるっスけどね」
「趣味……趣味か……」
「たとえば、まっさんは何が好きっスか?」
「そうだなぁ……食べることとかは好きだけど、作るのは面倒だし、食べに行くのも面倒だし……漫画とか読むのも好きだけど、最近は全然読みたいって思わないかも」
「う、うん……! まっさんはまだ、この世界に慣れてないだけかもっス。そのうちやりたいことや、やってみたいことが見つかるっスよ」
これ完全に無趣味って思われたな。
ちがうんだ。趣味はいろいろあるけど、身体が付いてこないんだよ。
いままで問題なく消費できてたコンテンツを、身体の酸化に伴い、消化器官が貧弱になった挙句、消化不良を起こしてしまって、摂取するのが億劫になってしまっただけなんだ。
……あれ、これって結局発散できないから、またため込んでの悪い永久ループだ。
「まぁ、まっさんの趣味は追々探していくとして……とりあえず今の目的は、恋ナスビっスね。やるべきことをひとつひとつ、確実に潰していくのも大事っスよ」
「完全に忘れてた。そういえば、もっさんは何か準備して来てるんだよね」
「え?」
「え、じゃないって。ただフラッと恋ナスビ採取しに来たわけじゃないよね。そんなことしたら死んじゃうじゃん」
「あ、ああ……! そうそう、じつはあたし、加護もらってるんスよ」
「加護?」
「そス。恋ナスビの叫び声を聞いても、大丈夫な加護」
「それなんか……」
嘘くせぇな。
自殺するために来ている……とは考えにくいし、まさか本当にそんな加護があるのだろうか。
ステータス画面で確認し――
「ま、まっさんは!」
「へ?」
「まっさんは、なにか準備してるんスか?」
「私は……」
どうしよう。
『私の能力で、私の聴力を調整出来るから、恋ナスビの鳴き声は私に届かないんだよね』と素直に言うべきか。
もっさんには悩み聞いてもらったし、できるだけ隠し事とかしたくないんだけど、元勇者とか転移者とか、そういうのを毛嫌いしてくる人をいっぱい見てきたからなぁ……。
もしここで彼女に蛇蝎の如く嫌われてしまったら、しばらく立ち直れないかもしれない。
ならここは――
「じつは、かかってるんだよね。私にも。恋ナスビの鳴き声が平気になる加護」
嘘は言っていない。決して。
ステータスオープンだって、加護みたいなもんだし。
でも私と同じように、嘘くせぇな。とか思われてるんだろうな。
「あ、そうなんスね。準備万端じゃないっスか」
あれ、案外ピュアな反応。
てことは、本当にあるのか、そんな加護が。
「なんなら、あたしがまっさんのぶんも引っこ抜いて、渡してあげようかなって思ったんスけど」
「いや、さすがにそこまでお世話になれないよ」
「べつに気にしなくていいのに。……じゃ、早速採取するっス」
もっさんはそう言うと、未だに威嚇し続けている恋ナスビに近づいていき、その花の下、茎の部分をガッと掴んだ。
「ほらほら、まっさんも」
もっさんに促されると、私は一旦音量調整にて、自分の聴力を0まで下げた。
でもこのままだと、もっさんが何を言っているか聞こえないから――
私はすいすいと指を動かし、会話ログを開いた。
これはここ三ケ月で気づいた、新しい能力だ。
私の周囲の会話を文字に起こして勝手に記録していく能力。
もちろん、ログとして確認できる文字数にも制限がある為、遡れる会話は限度がある。
けど、どうやら会話保存機能もあるみたいで、おそらく任意の会話を保存できるようになっているんだろうけど、これはロックされていて今は使えない。
『準備はいいっスか』
もっさんの口が動き、文字がリアルタイムで打ち込まれていく。
今日もログは問題なく作動しているようだ。
「準備オッケー。てかこれって、そのままもっさんみたいに掴んで平気? なんか棘なかったっけ?」
最初は戸惑ったが、今では自分の声が聞こえない状態で会話するのは問題ない。
『棘は葉っぱのほうっスね。たしかにちょっと手に当たると思うっスけど、根っこのほうを掴んだら問題ねス』
私は見よう見まねで、もっさんと同じように茎の部分をむんずと掴んだ。
『掴んだっスね。そしたらあとは――』
〝ずぼっ〟
もっさんは一気に恋ナスビを引き抜いた。
地面から土とともに、大根の木乃伊みたいな化物が出てきた。
うねうねと動いていて、なんというか、本当に気味が悪い。
私も同じように、一気に引き抜く。
その時、葉にある棘がすこし手に当たって不快だったが……でも、大丈夫みたいだ。
鳴き声は完全に遮断されているし、もっさんの体も特になんの異常もなさそう。
ちらりと会話ログを見てみると、恋ナスビの声は拾っていなかった。
本当に鳴いているかどうか不安だが、あの禁書の内容を信じるなら、綾羅に戻る頃には収まっているだろう。
ふともっさんに視線を戻すと、彼女は愛おしそうに恋ナスビに頬ずりをしていた。
頬に土がつくこともお構いなしらしい。
変なやつだ。でも……嫌いじゃないけど。
「もっさん……もっさん。もっさん、聞こえてる?」
『ハッ!? な、なんスか』
「私、もう帰るよ」
『ま、まさかそのまま都に突撃? それがまっさんの発散方法!?』
「いや、さすがに鳴き止むまで待つから」
『だ、だよね……焦った……』
「あと、今日は愚痴、聞いてくれてありがとう」
『いいんスよ。あたしとまっさんの仲じゃないっスか』
「……そういえば、もっさんは――」
私が言いかけると、新たにログが更新された。
『見つけましたよ』
辺りを見回してみると、もっさんと似たような格好をした女性がこちらを見ていた。
『げっ、サラ。なんでここが……!』
『さ。帰りますよ』
『イヤ……! イヤッイヤッ……!』
サラと呼ばれた女性はもっさんの首根っこを捕まえると、私に小さく頭を下げ、そのままずるずると彼女を引きずっていってしまった。
こうして私は、この世界の喪女と奇妙な縁ができてしまった。
あまりにも唐突過ぎて、彼女の連絡先を聞くのを忘れてしまったが……なぜだろう。
彼女とはまたどこかで会える気がする。
私は恋ナスビ片手に、しばらく二人がいなくなった後もボーっと見送り続けていると、やがてあることに気が付いた。
「この世界に慣れてないだけかも……てもっさん言ってたけど、私、自分のこと転生者って言ったっけ」