第15話 謎の漫画家アスモデウス
〝恋ナスビ〟
別名マンドレイク。
紫色の鮮やかな花に、無数にある小さな棘の葉を持つ植物。
一見、スミレのように見えるが、人が近づくと猫の尿のような臭いのする悪臭を放ち、威嚇してくる。
威嚇を無視し引き抜くと、老人の顔のような根が、人の脳に深刻なダメージを与える鳴き声をあげる。
時間にして一時間ほど断続的に鳴き声は続くが、常人では五秒聞いただけで錯乱し、十秒聞けば全身が麻痺、二十秒以上だと死に至る。
その根には強い催淫効果を持ち、古くから媚薬として好事家や変態に好まれている。
よい子のみんな、恋ナスビを引っこ抜いて、気になるあの子へアタックしようぜ。
「発禁にしろ!」
気が付くと私は図書館から借りていた〝実録! よい子の世界あぶない植物百選!〟を地面に叩きつけていた。
コンプライアンスは死んだ。
この本が増刷されていないことを願うばかりである。
それにしても、これで須貝組が私を殺そうとしているのはわかった。
どうやら私は、知らないうちに人から恨みを買うのが上手いらしい。
こんな真面目な債務者(?)を殺そうとするなんて、須貝組は一体何を考えているのか。
それともあれだろうか。
私ならクリアできると見込んで、この依頼を発注したのだろうか。
……いや、それはあまりにも希望的観測がすぎる。
もしそうなら、出立前に十分な説明がなされていなければおかしい。
そう。これはもう完全に、依頼にかこつけて殺しに来ているとしか思えない。
とはいえ、このまま依頼を無視して不貞寝を決め込もうにも、いつ殺されるかわからない。
であるのなら、私はこれを挑戦状と受け取る。
(どうせ)死ぬのなら、抜いてみせよう、恋ナスビ。
なに、勝算がないわけではない。
というかむしろ、恋ナスビにとって〝音量調整〟を持っている東雲真緒は天敵と同義だからだ。
◇◇◇
綾羅を出てひたすら南下した森の中。
その中をあてもなく彷徨っていると、木が生えていない開けた場所へと出た。
そこには陽光をたっぷりと浴びている紫色の花の群生地があり、私は――
「うわくさっ」
強烈なアンモニア臭が私の鼻孔を突き刺し、脳天を揺らす。
能力で嗅覚を遮断することは不可能だが、当たりだ。案外簡単に見つかった。
よく見ると紫の花は私を拒絶するように、その場でカサカサと蠢いている。
さて、早速音量調整をしようかと思った矢先、私はトンデモナイ生物に出会った。
ボサボサの髪。
鼻緒がゆるゆるの雪駄。
牛乳瓶の底のような眼鏡。
襟元がヨレヨレで中心に大きく〝性欲〟と書かれた白Tシャツ。
明らかに運動目的で購入したものじゃないパイピングショートパンツ。
モジョだ。
まさかこちらの世界で、それも森の中で遭遇するとは思わなかった。
「やべっ」
モジョは私を見るなり、そう小さく鳴き声をあげた。
私は無暗に彼女を刺激してはいけないと考え、すこしばかり距離をとる。
そうすると、彼女は私に関心を示したのか、恋ナスビと私とを交互に見て、交互に指をさしてきた。
おそらくモジョも恋ナスビが欲しいのだろう。
そしてその用途は、彼女の着用している白Tが静かに、それでいて雄弁に語っていた。
幸いこの場所は恋ナスビの群生地。
血で血を洗うような戦闘がここで起きるとは考え難い。
私は彼女に害意がないことを伝えるため、両手を天に掲げ、万歳の体勢をとった。
「なにしてんスか。さっきから」
それはとても冷静なツッコミだった。
◇◇◇
恋ナスビが放つ強烈なアンモニア臭漂う森の中、私は彼女と軽い自己紹介を交わした。
彼女の名前はアスモデウスというらしい。すごい名前だ。
ただ成人向けの漫画を描いているとのことなので、おそらくペンネームかなにかだろう。
「それにしても驚いたよ。まさか漫画文化があったなんて。しかも成人向け」
「文化だなんて大層なもんじゃないっス。まだまだアンダーグラウンドっスよ」
春画ではなく、成人向けの漫画。
私がいた世界の基準だと、この時代には些か早い気もするが、まぁ異世界なのでここらへんはなんでもありなのだろう。
私は無理やり納得した。
「ところで、真緒はなにしてるんスか。こんなところで」
「私?」
「もしかしてあたしとおなじように、恋ナスビの匂いに誘われてきたんスか?」
「うそ。こんな悪臭、誘われないでしょ」
「ええ~、いい匂いじゃないっスか。こう……お腹の下あたりが疼くというか……」
アスモデウスはそう言うと、恍惚の表情を浮かべ、なにやらくねくねと身じろぎを始めた。
牙神とは違う意味で自分の世界に浸るタイプだね、これは。
さすが変なTシャツを着ているだけはある。
「私は依頼だよ」
「依頼……? ああ、なるほど。真緒は冒険者なんスね。じゃあエリート様だ」
アスモデウスは茶化すように言った。
どうやら彼女はその内気そうな外見によらず、結構社交的なタイプのモジョのようだ。
「いや……鉄級なんだ。冒険者は冒険者でも」
「おやおや? ということは今、結構危ない橋渡ってるんスね」
「かもね。ていうか、アスモデウスって……」
なんかシラフで白昼堂々、面と向かってその名前で呼ぶの恥ずかしいな。
オフ会とかあったら、こんな感じなんだろうか。
「ああ、呼びづらかったら、もっさんでいいっスよ」
「……なんでそこ切り取ったの?」
「気が付いたら、もっさんって呼ばれてたから知らねっス。たぶんシラフで白昼堂々、面と向かってそう呼ぶの、恥ずかしかったんじゃないっスかね」
なにやら出会った頃から感じていたシンパシーを、今はより一層強く感じる
いや、待てよ。
もっさんって……なるほど、喪っさんってことか。
「じゃあ、遠慮なく、もっさんで」
「どうぞどうぞ。……あ、そうだ。あたしも真緒のこと、まっさんって呼んでいいっスか?」
「え? いや、全然いいんだけど、逆に呼びづらくない?」
「なに言ってんスか。それがいいんスよ」
うーん、よくわからん感性だ。
「話戻すけど、もっさんって、ギルドについて詳しいんだね。もしかして関係者?」
「いやいや、さすがに鉄級がギルド内でどういう扱いなのかは、常識っスよ」
「そうなんだ」
「だから、鉄級冒険者のまっさんが恋ナスビを採取しに来てる異常性も、わかってるっス」
「あ、やっぱ異常なんだ、これ」
「そりゃそうっスよ。恋ナスビの入手手段なんて、その道の専門家、銀級以上の冒険者に高い金を払って依頼するか……安い金で、何も知らない鉄級冒険者を雇って、抜かせて、あとで回収するかっスからね」
「そうだよね……」
「あれ。今の、まっさんが死ぬって話なんスけど、えらく冷静っスね」
「え、そうかな」
「普通ならもうちょっと怒ったり、焦ったり、悲しんだりするはずだと思うんスけど」
「実感ないからじゃない?」
「……ふむふむ、つまりあれっスね。まっさんは無理してるんス」